THE CLASH(ザ・クラッシュ)とは、英国のパンクバンドである。
ニューヨークパンクの影響で発生したロンドンパンク(またはオリジナルパンク、初期パンク)ムーブメントを代表するバンドの1つ。
何かと三大好きの日本人からはTHE SEX PISTOLS、THE DAMNEDと並んで三大パンクバンドに数えられる。活動期間の長さ、音楽的な幅の広さからあらゆる層に人気があり、その影響は今日に至るまで大きい。クラッシュの影響を受けたバンドは、パンクというフィールドにとどまらず枚挙に暇がないためここでは割愛する。
音楽的には、パブロック出身のジョー・ストラマーがリードする形で比較的ニューヨークパンクにも近い轟音ギターサウンドのバンドとしてスタートしたが、次第にメンバーの音楽嗜好を色濃く反映させ、ダブやレゲエ、スカ、ラガマフィンなどを中心としたジャマイカ音楽の要素が強くなっていった。
代表曲は「白い暴動」「ハマースミス宮殿の白人」「ロンドン・コーリング」「アイ・フォート・ザ・ロウ」(カバー曲だが代表曲)、「バンクロバー」(空耳アワーでちょっと有名)、「ロック・ザ・カスバ」「ステイ・オア・ゴー」(ジーンズのCMソング。原題はShould I Stay~)など多数。
なお、この時代のロックの邦題は勢い&雰囲気重視のため、ホワイトライオット=白人暴動を「白い暴動」と訳したり、「ハマースミス宮殿の白人」はハマースミス・パレイというライブハウスで固有名詞なのにparais=娯楽ホールをpalace=宮殿と誤訳?したりしているが、それがかえってカッコ良く印象的な邦題となっている。
幾度かのメンバー交代があるが、もっとも知られる主要メンバーを紹介する。
クラッシュの象徴。兄貴肌のキャラクターとしゃがれた酔いどれボイスで世界中のキッズに慕われた。トレードマークのテレキャスターは「ストラマキャスター」と呼ばれる。リーゼントヘアーにライダース、くわえタバコといういでたちが有名だが、アメリカ進出に前後してモヒカン刈りになっていた時期も。
中産階級の出身で、もともとは漫画家を目指していた。The 101'ers(ワン・オー・ワナーズ)というパブロックバンドでの活動、セックスピストルズとの衝撃の出会いを経て、1976年にTHE CLASHを結成。
記録的な失業率で「成功するにはフットボールスターかロックスターになるしかない」とまで言われた70年代当時の英国にあって、ジョーは政治に強い関心を持っており、英国の格差問題や差別問題を歌詞に取り入れて賛否両論を呼ぶ。gdgdになってしまったセミドキュメント映画「ルードボーイ」の中で、主人公に抜擢したレイ・ギャングにアドリブで「あんたの音楽は好きだが、ロックに政治を混ぜるなよ」と批判され、苦笑いしながらピアノを弾き語るシーンが印象的。
無職のパンクスでもレコードを買えるようにと価格を極力下げ、ライブに来て帰れなくなったファンはホテルに全員泊めるなど、面倒見の良い兄貴キャラは一生涯貫いた。また、パンクスとしてあるまじきチャリティー活動も死ぬまで続けた。
音楽的には、ジャマイカ音楽の影響が大きい。旧英国植民地で英連邦の1つであるジャマイカからは多くの移民がロンドンに流入しており、ジョーはジャマイカ式のサウンドシステム(移動型音響設備)のパフォーマンスに憧れ、ついに自らジャマイカに飛ぶが、売人に脅されたりして酷い目にあい、逃げるように英国に帰国。「Safe Europian Home」(2ndアルバム収録)にて「もうジャマイカはこりごりだ。安全なヨーロッパの我が家が一番さ」と素直な心境を歌った。
ライブにおいては江頭2:50ばりに体をかきむしり、ステージ上をのたうちまわるパフォーマンスで、のちの甲本ヒロトらにも多大な影響を与えているとされるが、暴れすぎて燃え尽きてしまい歌をサボっているパートが非常に多いのが難点。左利きを無理やり矯正した関係でギターはひたすらカッティング、リズムギターに徹しており、ソロなどは滅多に弾かない。ストラップを長く伸ばして太腿のあたりでストロークする姿はまさに正調パンクス。
クラッシュ解散後は、しゃがれ声を生かして(?)シェイン・マクゴワンの代理でThe Poguesのギターやボーカルをつとめたり、俳優としてジム・ジャームッシュの「ミステリー・トレイン」やアレックス・コックスの「ストレート・トゥ・ヘル」といった映画に出演したり、精力的に幅広い活動を行う。90年代後半からジョー・ストラマー&メスカレロスとして始動、再び脚光を浴びる。しかし、クラッシュの再結成をメンバーと画策していた2002年に突然の死去。死因は心臓発作。ジョーの死は日本のスポーツ新聞などでも報じられた。
「おれたちは都会派ゲリラを気取ってるわけじゃない。おれたちの武力はかぎられている。おれたちは何かが起きる雰囲気を作り、自由社会の精神を守りたいんだ」
「一つのアイディアが育ち、自然にまわりに伝わっていく、そんな環境を作り出したいんだ。結局は、人間の意思と感情の問題だと思う」
[1]
ジョーと並び立つもう1人の象徴。作曲&ボーカルはほぼジョーとミックの2人で行っており、音楽的な貢献度は大きい。
パブロックあがりでジャイアンボイスのジョーとは対照的に、線の細い舌っ足らずの少年のような歌声で、2人の掛け合いのコントラストがクラッシュの大きな持ち味となっていた。ベースのポールとともにストラップを長く伸ばし、両足を開いてのパフォーマンスはいかにもパンクバンドらしい。
真面目かつ呑気なジョーとは対照的に神経質で、そのくせ時間にはルーズという扱いづらい不良。パンクムーブメントにあてられて無軌道な言動も多かったが、他のまずいパンクバンドと比べればおとなしいほうである。
基本的にはジョーと交互に歌うセカンドボーカルといった位置付けだが、ミックがソロを取る曲(「Stay Free」「Train in Vain」「Should I Stay or Should I Go?」)には独特の切なさとポップ感覚があり、シングルヒットも多い。「あーあー」というソプラノ気味のコーラスも印象的。
プレイヤーとしては、「チロリロリロリロ」「チーローリーロー」というパトカーのサイレンを思わせる単音のシンプルすぎるリフがやたら多いのが特徴。でも基本的にはパワフル。
クラッシュ解散後はデジタル音楽に傾倒し、「Big Audio Dynamite(B.A.D.)」を結成したがクラッシュファンからはさほど受け入れられなかった。なぜかU2の前座で来日したりしている。また、ポールにも言えることだが解散後だんだん頭髪が寂しくなっていった。ただしピストルズのスティーブ・ジョーンズと比べればファンに与えたショックは小さいと言える。
「あのころは、みんなが一つの目的をもって、何かをいっしょにやろうとする動きがたしかにあった。レコード会社が入り込んできて、競争とか、いがみ合いが始まるまでの話だけどね」
[2]
3人目のフロントマン。クラッシュで一番のフォトジェニックであり、いわゆるいい男。見た目だけでなく性格も男前で、The Modsの森山達也など多くのパンクスから「マブダチ」認定されている。
3rdアルバム「ロンドン・コーリング」のジャケットで、ベースを叩きつけようと振りかぶっている写真は「パンク」の象徴として未だに語り草になっている名ショット。
ミックと出会ってバンドに誘われ、生まれて初めて楽器に触ったのが20代になってから。ミックはギターを教えようとしたのだが、「難しすぎる」とベースに転向。この転向は上手くいき、それ以降ポールはベーシストとしての道を歩むことになる。
「昔から、ベーシストじゃなくて、ギタリストになりたかったんだ。でも全然弾けなかったから、ギター抱えて跳ねまわりながらめちゃくちゃ弾いてただけだった。結局ベースをやることにしたんだけど、どうせなら最高のベーシストになってやろうと思ったんだ」――ポール・シムノン
「ポールは入ったときには、まるで弾けなかった。おれはもともと、楽器を弾けないやつがグループにいるなんてことは問題外だと思ってたんだ。でも、そのグループにぴったりの人間を選んで、仕込んでいくっていうのも悪くない」――バーニー・ローズ(クラッシュマネージャー)
[3]
同じく「楽器の弾けないベーシスト」だったピストルズのシドと違い、ポールはベーシストとして開花した。パンクバンドなので当然ピック弾き。作曲やボーカルはほとんどやっていないが、「ガンズ・オブ・ブリクストン」など数曲を手掛けている(ポールはブリクストン出身)。
また、デザインセンスがあり、クラッシュの衣装や垂れ幕などを担当していた(たとえば少年ナイフにおける敦子さん的な位置付け)。
クラッシュ解散後はデザインセンスを生かして画家になったらしい。ミックのためにB.A.D.の3rdアルバムでジャケ絵を描いてあげたりしていた。音楽活動も継続して行っており、最近ではデーモン・アルバーン(Gorillaz、元Blur)とのプロジェクトで話題を呼んだ。
もっとも在籍期間の長いドラマー。悪ガキタイプで、ホテルの窓から鳩を撃って逮捕された。
技術的には同時代のパンクロックバンドの中でも群を抜いており、ジャマイカ寄りの無国籍雑食ロックであるクラッシュにあって、作曲の2人よりもトッパーとポールのリズム帯こそが音楽面でのキーパーソンだったという評価もある。ドラムのみならずたいていの楽器をこなすマルチプレイヤー。ジャズやソウルに造詣が深く、「ロック・ザ・カスバ」など作曲もいくつか手掛けている。演奏面では、特に5連符などを多用したスネア中心の小気味良いフィルに特徴がある。
ドラッグ中毒でクラッシュを解雇されてからは、リハビリなどを頑張った模様。
海賊盤含め数多くの音源が発売されている。オリジナルアルバムは次の6枚。ただし人気の高い3rd「ロンドン・コーリング」などと比較して、6th「カット・ザ・クラップ」あたりは知名度もほぼなく、クラッシュファンでも収録曲を言える人があまりいない程度に黒歴史扱いだったりする。音楽的には毎回激烈な変遷を遂げているため、特に4th「サンディニスタ!」以降は別バンドに思えるかもしれない。
「ロンドンは退屈で燃えている!」(ロンドンズバーニング)――ピストルズの「勝手にしやがれ!!(Never Mind the Bollocks)」と並んで、世界中のボンクラどもの魂に火をつけた荒ぶる記念碑。叛逆の音楽(レベルミュージック)を体現するアルバム。ボンクラの1人である、後のブルーアイドソウルの巨人ポール・ウェラーは衝撃のあまりThe JAMを結成してしまい、その他世界中のボンクラどもが我も我もとギターを手に取った。「パンクはアティテュードだ」というジョーのポリシーがこの上なく伝わってくる1枚。このアルバムに収録されたレゲエのヒットチューン「ポリスとコソ泥」のカバーがきっかけで、クラッシュはリー・ペリーという名プロデューサーと出会うことになる。英国盤、米国盤、日本盤と、細かく収録曲違い(後発のシングルを収録など)やテイク違いがあるので、全部集めてみるのも一興。 |
「やりたいことはなんだってお前はやっちまうんだ」(トミー・ガン)――バズコックスらとともに欧州を中心に大規模なツアーを繰り返し、人気を確固たるものとしたクラッシュによる2ndアルバム。優れたエンジニアを迎え、メンバーの技術も飛躍的に向上している。暴力的だった1stと比較すると、より洗練されたサウンド、明確なメッセージ性、ポップ&キャッチーなメロディで聴きやすく、チャートに初登場2位を記録、アメリカではTIME誌の「LP・オブ・ザ・イヤー」に選出されるなどヒット作となった。なお、この年初には一方の雄・ピストルズはすでに解散して“伝説”となってしまっており、以降のパンク史においてクラッシュはピストルズの正反対とも言える泥臭く不器用な道を歩んでいくこととなる。 |
「彼はおれの欲しいもの全部を与えてくれる、自由以外はね。こいつは憎むべきことだ」(ヘイトフル)――The La'sの唯一のアルバムや「Ramones Mania」と同じぐらい「別にそのバンドのファンじゃないロックファン」の自宅に置いてある率の高い、不朽の金字塔。よく「ロック史上に残る名盤」のような特集があるとだいたい20位とか微妙な位置にランクインしており、初心者の入門編にはもってこいの1枚。ジャケットのポールのカッコよさもあり、もっとも認知度の高いアルバムと言える。2nd以上に音楽の幅は広がり、ジャズからスカからなんでもかんでも貪欲に取り込んだ上で完全にクラッシュ色に染めた楽曲たちはいずれ劣らぬ珠玉の名曲ばかり。ここに至ってロック界の頂点を垣間見たクラッシュだが、80年代を目前に控え、バンド内には徐々に亀裂が生じ始めていた。 |
「月曜日も火曜日も水曜日も木曜日も金曜日も土曜日も日曜日も俺は逃げていた」(ポリス・オン・マイ・バック)――LP3枚組の超大作。ジョーの意向でレコードの価格はほぼ据え置かれた。前作「ロンドン・コーリング」からわずか数か月で発売され、そのあまりにメンバーの趣味丸出しのカオスな世界に多くのパンクスは困惑したが、音楽的な評価は今日に至るまで低くない。収録曲はダブが中心だが、もはやジャマイカ趣味に留まらず中南米からアイリッシュ・トラッド、スコティッシュ・トラッドまで雑多に取り入れたサウンドの幅は万華鏡の如き色彩を見せ、当時のロンドンのクラブシーンの温度を彷彿させる。が、もはやパンクのパの字も感じられないという説も。カバー曲が多いあたり、メンバーの肩の力の抜け具合が伝わってくる。 |
「教王さまはロックがお嫌い カスバを揺らせ、カスバをロックしろ」(ロック・ザ・カスバ)――良く知られるクラッシュとしては最後の作品。後にクラブでヘビィローテーションされることになる80年代色丸出しのキラーチューン「ステイ・オア・ゴー」「ロック・ザ・カスバ」「ストレート・トゥ・ヘル」などの名曲を含むが、アメリカ進出後のメンバーの不協和音がそのまま表れているかのようなまとまりのなさ(サンディニスタのカオスとは違い、シングル集のような趣き)がどこか時代の終焉を感じさせる切ない1枚。このアルバムに前後して、トッパーとミックはクラッシュを離れた。 |
「栄光なんてどこにもない。俺達はいつになったら自由になれる?」(ディス・イズ・イングランド)――トッパーとミックの脱退(解雇)後の再スタートを期しての初アルバムであり、そして最後のオリジナルアルバムである。バンドの最期を物語るかのように、アルバム全体に陰鬱な雰囲気が漂っており、ある種の倦怠感のようなものも感じさせる。主要メンバー2人が欠け、新たに3人の追加メンバーを迎えたクラッシュは最早クラッシュとは言えず「こんなアルバムなんてなかった」とするファンも存在する。そんな状況でレコードの売り上げが振るうはずもなく、メディアにも酷評され、クラッシュはその約10年のキャリアに幕を閉じることとなった。 |
「LONDON CALLING」本家と、コステロらによるカバー
掲示板
31ななしのよっしん
2020/07/20(月) 01:37:23 ID: bWf+z83Txb
>>29
4年前のレスに返すのもアレだが
>>26の疑問になるのは「記事で述べられてるように日本盤と英国盤の違いはあるのか」だから
米国での1stリリースのいきさつを解説されても回答になってないのでは
ちなみに自分で調べた限り英国盤と日本盤では違いはなかったから記事中の「1stは英米日それぞれで内容が違う」は誤りじゃないかと思う
強いて言うなら米盤を日本で出す時ジャケをすっぽり包む帯付けてパールハーバー79ってタイトルにしたくらいか
余談だけど個人的に米と英のいちばん大きな違いは白い暴動がデモバージョンかシングルバージョンかだと思う
これが同じ曲かってくらい印象が全然違う
32ななしのよっしん
2021/11/08(月) 20:53:39 ID: XLVPIFomR4
熱い記事だなあ。
1stでジョーの滑舌の悪さに衝撃を受けたのがなつかしい。
2nd以降かなり音がすっきり、きれい目なのが好みの別れるところか。ポップともいえる。ミ
ックの声も軽く、トッパーのドラムも軽く、だからCMとかに使われるんだろうね。
33ななしのよっしん
2023/01/10(火) 20:29:59 ID: tSwppTPsPU
急上昇ワード改
最終更新:2023/03/26(日) 15:00
最終更新:2023/03/26(日) 15:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。