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TOKIOとは、 |
だが、長瀬以外のメンバーがメインボーカルを務めることもある。
例としては、長瀬と山口のダブルボーカルによる「AMBITIOUS JAPAN!」など。
また、CDデビュー直前まで小島啓(2nd guitar)も所属していた。
1989年に城島がプライベートで組んだ「ジョーバンド」が前身。その後、事務所社長にTOKIO BANDという名を与えられたのがバンド史の始まりとされている。
バンド名は、世界的に覚えてもらいやすい名前ということで、ヨーロッパで東京を指す音「トキオ」になった。
1990年、当時SMAPのバックダンサー仲間だった国分、松岡、小島の加入を機にTOKIOと改称。その後、城島が事務所と交渉し、ジョーバンド時代からの音楽仲間だった山口も加えて、5人での活動が始まる。1993年頃から、当時ジャニーズJr.で勢いのあった長瀬がサポートで参加するようになり、現在の体制の基礎ができあがる。
1994年、デビュー直前に小島がジャニーズを脱退したため、長瀬が正式メンバーとなってデビュー。デビュー曲の発表からわずか3ヶ月でNHK紅白歌合戦に出場も果たす。以来、紅白には毎年(22年連続)顔を出しており、バンドグループとしての連続出場記録および通算出場記録を保持、更新し続けている。
1999年に「ザ!鉄腕!DASH!!」の企画で忌野清志郎と共演して以来、実績豊富なミュージシャンとの共演、曲提供の機会が増える。主だったところでも、中島みゆき、長渕剛、横山剣、椎名林檎など、ジャニーズじゃなかったらなかなか呼べない人たちが名を連ねている。
一方で、メンバーが自ら書き上げた曲も、ファンの間では人気が高く、2014年7月にデビュー20周年記念で発売されたベストアルバム『HEART』収録曲を決める人気投票で1位になったのは、長瀬の作詞・作曲で2013年2月に発売されたシングル「リリック」だった。1998年発売の『Graffiti』からアルバムに収録されていた自作曲だが、「リリック」以降はシングル収録曲も自作が中心になり、特にA面は、両A面や複数枚同日もしくは連続発売などであっても、どれか1曲は必ず長瀬の作品になっている。
2014年、デビュー20周年を迎えたTOKIOは、ジャニーズグループとしては初の、SUMMER SONIC2014に出演。各公演すべて入場規制がかかる盛況ぶりだった。
2018年、山口達也が不祥事により脱退、ジャニーズ事務所退所 。4人体制になる。
2020年7月に、グループ全員がジャニーズを離れることを発表する。
このうち、長瀬智也は2020年度限りでTOKIOからも脱退。
残る3人はジャニーズの関連会社として、個人事務所にあたる「株式会社TOKIO」を立ち上げ、城島が社長、松岡と国分が副社長に就くと発表された。法人登記簿によると、(株)TOKIOの代表取締役はジャニーズ本社の社長が兼任している。
TOKIOには数々のコンビ名が存在している。諸説あるが、ここではよく使われているものを上げる。
また、山口&国分&長瀬のトリオをそれぞれの名前のTをとって「T3」と呼ばれる。
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最終更新:2025/04/09(水) 22:00
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