WCWとは、かつて存在したプロレス団体。現在、WCWの権利は全て、WWEが所有している。
元々はNWAミッド・アトランティック・レスリング(ジム・クロケット・プロモーションズ)が母体で1988年11月に経営難で ターナー・ブロードキャスティング・システム(TBS)に売却され誕生したTBSのプロレス部門の子会社団体。
発足当初はまだNWAに加盟していた為、NWA-WCWと名乗っていたが1992年にNWA脱退後はシンプルにWCWとなった。そして、この会社がWWEを苦しめたかつ呆気ない終わり方を迎えた。
TBSの子会社という特質性もありWCWの社長は親会社の顧問弁護士などが務め、実権は本社から派遣された副社長が握る組織だった。
しかも、その最初の副社長ジム・ハードはプロレス番組に少ししか関わってないということもあり、リック・フレアーに最も似合わないギミックをやらせ、それで激怒させて王座ベルトと共にWWF(当時のWWEの名前)に移籍されるという失態を犯した。
所属選手に関しても、レックス・ルガー、ビッグバン・ベイダー、スティングといったNWAで活躍した人間がメインロースターを張っていた為、所詮はNWAに依存していた頃だった。
ちなみに、トリプルH、アンダーテイカー、ファルークもこの頃に所属していた。
94年にエリック・ビショフが副社長に就任すると、彼はWWFと全面戦争をすることを宣言。
手始めに、当時のWWFで主力だったハルク・ホーガンやランディ・サベージを引き抜くことに成功。
しかも、クリエイティブ・コントロールという試合の勝敗やマイクアピールを自分で決められる権利を与えた。
そして、それを全面に出したのが1995年9月4日、「マンデー・ナイトロ」というWWEの「マンデー・ナイト・ロウ」と全く同じ日・時間帯に番組タイトルまでパクった番組を開始。しかも、サプライズとして、前日までWWFにいたレックス・ルガーがWCWに移籍。これにより、WWFvsWCWの戦争「マンデー・ナイト・ウォー」が勃発した。
これだけに留まらずビショフはWWFに在籍している元WCW所属のレスラーが負ける試合ばかりを繰り返し放送、ロウの試合結果をナイトロの生中継でネタバレ、 更には当時WWF女子王者であったアランドラ・ブレイズに、ナイトロの番組内で 持参してきたWWF女子王座のベルトをゴミ箱へ捨てさせると言う前代未聞の行為を敢行。いかにビショフがWWFを潰したいかが分かるだろう。
翌年の96年には、レイザーラモンとディーゼルの引き抜きに成功。彼らに「WWFから来た侵略者アウト・サイダーズ」というギミックを与えるが、1ヶ月も経たないうちに大失敗の匂いが漂わせた。
そこに、テコ入れをしたのがハルク・ホーガン。二人を自身の仲間に入れ、白と黒を強調する伝説のユニット「nWo」を結成したのだ。
このnWoの爆発的な人気を期に、視聴率もうなぎのぼり。更に、引き抜きもWWFのみならず、レイ・ミステリオやエディ・ゲレロなどのルチャリブレやクリス・ベノワやディーン・マレンコなどのテクニシャンも移籍させるという(当時の)ジャンルの一流選手がWCWに所属していたのだ。
一方のWWFは悪戦苦闘。ステロイド裁判による信用の低下。正統路線からやりたい放題の過激路線「アティテュード」に移したとはいえ、まだ人気は出なかったこと。ブレット・ハートの解雇問題に巡り起きてしまった「モントリオール事件」を引き起こしたため、倒産寸前にまで追い込まれた。
だが、ここからWWFの社長、ビンス・マクマホンは悪のオーナーと化し、ビンスに激しく抵抗したストーンコールド・スティーブ・オースチンの抗争を中心に逆転し始めたのはいうまでもない。
そして、97年になるとnWoとクリエイティブ・コントロールによって引き起こされた「誰も負け役やりたくない問題」が発生。スティングの抗争後にホーガン派(ハリウッド)とナッシュ派(ウルフパック)に分けたが、不透明決着ばかりでマンネリ化が見えた。
しかし、98年に無敵超人「ゴールドバーグ」が人気者となったため、98年までは両番組の視聴率に大差はなかった。そう、98年までは…
1999年1月4日、期しくもレッスルキングダムと同じ日(アメリカ時間なので厳密には翌日)。この日のナイトロのメインは、ナッシュvsゴールドバーグのWCW王座戦。これより前のスターゲート(WCWのPPV)にて、ナッシュがゴールドバーグからWCW王座を奪取したが、その決着がホールのスタンガン攻撃という魅力のない決着だったため、ナッシュが納得いかず、この日に再戦をすることになった。
40000人以上の観客がメインを楽しむ中、ゴールドバーグが突如、ストーカー容疑で警察に逮捕されるというストーリーが発生。後に不起訴となり釈放されたが、時間まで間に合うかどうかの瀬戸際だった。
それを見たハルク・ホーガンは2ヶ月前に引退したのにも関わらず、引退試合という名の元、ナッシュとの対戦を要望した。ナッシュもこれに了承。
そして、始まったホーガンvsナッシュの対決。ナッシュがホーガンをコーナーに追いつめると、ホーガンはナッシュに軽く指を突く。すると、ナッシュが倒れホーガンがフォール。3カウントでホーガンが勝利し、WCW王座を奪取。
そう、軽く突いただけでWCW王座を獲得したのだ。
こんな終わり方に、観客は困惑する中でそれぞれのセコンドだったホールとスタイナー(大先生)が祝福。そこにゴールドバーグが乱入し、一人で全員をリング外に蹴散らすと、レックス・ルガーも現れ、ゴールドバーグに加勢するかと思いきや、なんとゴールドバーグを襲撃。nWoと共に、ゴールドバーグを手錠をかけ、スタンガンで気絶させ、背中にnWoの文字を入れるという公開処刑リンチを行った。当然、こんな結末を見た客は大激怒した。
しかも、それらの悪評を助長するように、この日もWWFの結末を暴露したが、よりにもよって当時ビンスの子飼いで最も可愛がられていたザ・ロックとビンス側によって苛められていたミック・フォーリーによるWWE王座ストリート・マッチでミック・フォーリーが勝つということをそのまま暴露。この結末を見たい視聴者数十万人がそちらに移ったため、この日がWCWの崩壊のきっかけとなった。
ここから、WCWがWWFに勝った事例はなく、更にクリエイティブ・コントロールを得たのがWWFで活躍した人間たちのみだったことに加え、前述の事件のようにやりたい放題。これに才能のある中堅選手たちが危機感を抱き、次々とWWFに移籍。その中に、ビッグ・ショー、クリス・ジェリコ、クリス・ベノワ、エディ・ゲレロという未来のWWE王者がいたのだ。
この経営不振にエリック・ビショフが一時解雇、打開しようとWWFのメインライター、ビンス・ルッソーを引き抜いたが、俳優にWCW王座を獲得させたり、親族を試合に出させる、ゴールドバーグをヒールに転向させる、ルッソー自体がWCW王座を獲得するという衰退を更に加速させただけだった。
8000万ドルの損失を叩き出したWCWにTBSはついに切り捨てを発表。フュージェント・メディア・ベンチャー社による買収も計画していたが叶わず、2001年3月23日にビンスが日本円で3億円で買収し、延長戦を経て11月のサバイバー・シリーズで完全にWCWは終了した。
これでNWAを除き、完全にアメリカ唯一の大手団体となったWWEだったが、ライバルが不在となってしまったことになり、アティテュード路線から再び正統路線へと変更。
WCWの後継団体と称されるTNA(インパクト・レスリング)の台頭、日本で再び人気が上昇した新日本プロレスと提携したROH、そこで活躍した選手たちによって創られたAEWが現れるまで、マンネリ化状態。
更に、禁止技やNGワードなどの規制により、WCWとの抗争を比べると、着実に衰退はしている。
ただし、これらの規制は未だにビンスがトップに立っていることが影響しているため、傘下番組のNXTでそれらの規制を緩めているトリプルHがトップに立てば、RAWやSDLの規制も緩めてくると期待されている。
また、WCW王座もWWE・世界ヘビー級王座として、2014年のサマースラムまで存在し、WCW・US王座はWWE・US王座として、現在でも現役。
何のためにあるのか分からなかった王座
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最終更新:2025/04/01(火) 02:00
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