602
361 ななしのよっしん
2018/07/26(木) 16:39:41 ID: 7cKFG+sgGZ
>>355
医学で言う意識の定義は勿論分かりやすいし、実験しやすいのも知ってるけど、そうすると主観ってなぜ出来上がるの?ってところは分からなくない?そこを考えるのがいわゆる哲学だと思う。
勿論この議論って医学が進歩しないと近づく条件が整わないし、むしろ医学者と呼ばれる人からどんどん研究して欲しいと思う。似た立場だとロボット工学で有名な大阪大学の石黒浩がいるよね。俺はそういう意味じゃ先に例を挙げたベルクソンみたいないわゆる科学者サイドの人間から真の哲学が生まれると思ってる。
別に思想史を整理するような人がいても邪魔じゃないし、面白いから文学的な意味で必要と思うけど。
>>356
俺もポスト・ヒューマン論の全ては追ってないけど、ポスト・ヒューマンってかなり科学的な成果じゃないの?故に石黒浩という人がいて哲学的テーマを現実的に与えている。俺はあなたが挙げてた意識の定義で終わりとは「主観」について答えがないので思えないけど。
362 ななしのよっしん
2018/07/26(木) 16:48:57 ID: 7cKFG+sgGZ
>>356
でもその言語学者って「ある言語学者」だよね。あなたも私も普遍性についてある程度考えつつ、特定の概念について論じてるけど、何であなたの挙げた言語学者が最も普遍的なの?
勿論、物理的な音を分解するのも大事だけど、それって意味論じゃないよね。意味論を扱わなきゃ広辞苑なんて作れないからあなたの先程の話とは殆ど関係ない。なんか都合よく概念を操作しすぎじゃないの?
別にある程度概念を伸縮させてもいいけど、端的に話が矛盾してる。
>>357
人工言語学派の考えと変わらないんじゃないの。計算言語なら。ちなみにこの定義で言うと前期ウィトゲンシュタインは哲学者なの?数学者なの?俺はどっちもだと思ってるけど。
>言語学は生態・医療・理数等の現代的研究とも重なっている
どこから重なっててどこから重なってないかってなんであなたが決めたの?さっきは言語哲学は哲学寄りと言いつつ、あえて音素の話で言語学者を代表させてるけど、何か基準あるの?
別にあなたの発想でもいいけど、哲学以外の全てが数学で処理出来るかのような発想の根拠が分からない。
363 ななしのよっしん
2018/07/26(木) 16:54:35 ID: 7cKFG+sgGZ
>>358
あなたの言語学者の定義が行ったり来たりで分かりづらいんだが、論理学を含む意味で俺は理解してる。故に齟齬があるのかもしれないが、永井均らは論理学のスキルは遜色ないよ。でも論理学を用いて哲学をしている。例えば、永井均は意識について、三浦俊彦は宇宙論について。
もし哲学だけが数学や論理学を用いてはいけないならば、分析哲学という分野が怪しくなるが、分析哲学もあくまでも哲学であって言語哲学ですら無いの?
あとその理屈だと数学者が物理学の学会に属していないから、物理学的発見をしたとしても物理学とは呼んではいけないみたいに見える。
過去にいくらでも学会と新発見が関係ない事あったけど、それもだめ?自分は別に学会が要らないとは言わないが、人間なのでタイムラグが生じると思ってる。最初から「学会にいないし、学会に何も痕跡ないから関係ない」ってのはなんか目的がない限りは言ってもあまり意味ないと思う。
364 ななしのよっしん
2018/07/26(木) 17:02:18 ID: 7cKFG+sgGZ
>>358
生化学と徳は関係ないから>>345自体が端的に事実と違う。自分の考えの過ちを認めないと他人にばっかり厳しいやつだと思われるよ。
あと現代人が言語学的に考えた結果と精神や意識についてって関係あるの?あなたの例だと音素の例しか挙がってなくない?
俺の考える言語哲学は、フレーゲやカルナップも入るから、あなたの想定する言語学と違うのかもしれないけど、何であなたが一向に物理以外に話を向けないのかわからない。
何か大目標みたいなの話してもらったほうが分かりやすい。
俺としては特に分析哲学の場合は数学も物理学も親和的だと思うから、確かに分けたほうが話しやすい時はヘーゲルの場合は特に感じるが、きっちり分けなきゃいけないって感覚自体が分からない。
あなたの目標がこれと違うなら訂正するけど。
365 ななしのよっしん
2018/07/26(木) 17:14:36 ID: 7cKFG+sgGZ
あとあなたは社会学と哲学も違いを強調したいみたいだけど、当たり前だがどの哲学者も当時の社会を論じてるぞ。ホッブズは政治哲学だから当然といえばそうだが、ニーチェだって当時の世相からヒントを得ている。
俺が知る限りだと社会学って分野によっては「生きづらさ」みたいなの扱ってるので思索的、ポスコロ的なのと親和的だから、人口学のような統計的なのばかりじゃないと思ってる。
俺も反証可能性とか余程の悪影響がない限り論じたところで、人文科学や社会科学自体をひっくり返すとは思わないけど、社会科学については反証可能性を簡単に認めるのってあなたのここまでの意見聞いている限りはなんか矛盾感じる。
根拠があれば聞くけど。
366 ななしのよっしん
2018/07/27(金) 14:41:25 ID: 3mrdklzgGU
たまに哲学関係のコンテンツ見かけるが
大半がこれだったんだな
>多くの哲学的問題は言葉の用法を間違えているだけの無意味な問いでしかない
367 ななしのよっしん
2018/07/30(月) 23:31:23 ID: 5GhoKCOTvC
>>359
基本的には学術的資料や学会の公表物をざっとでも見た方が、俺のレスを読むよりは、哲学と言語学(やそれ以外)との関係について正確に考えることが出来ると思うよ。レスはするが、前レスを言い換えた内容が多くなるだろうし、それであなたに納得がいくかどうかは分からん。
ついでに言えば、あなたと俺とで意見が一致した場合もそうでない場合も、または俺があなたに説得か何かされて、哲学や哲学者(永井均・三浦俊彦等)についてもっと言及するように言語学会や言語学者へ勧めたくなった場合も、結局は意味がないように思う。
あなたの言うように俺は「言語学者を代表して」ないし、俺が勧めても効力はない。それならあなたがより正確に考えたり、より直接的に学会に関与したりする方が、学術的にも時間的にも有効じゃないだろうか。
「普遍定数」は「物理・化学の基本法則を表す式」(https://
>どういう判断で哲学と社会学分けてるかが気になる。
最初に挙げるとしたら、学問系統の名前が違い、学会が違い、学術雑誌が違い、といった点からの判断だよ。
付け加えれば、辞書からの判断。例えば「自然言語処理」の同義語として「自然言語技術」があるので(https://
「哲学」→「世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される」(https://
「社会学」→「人間や集団の諸関係、特に社会の構造・機能などを研究対象とする社会科学の一分野」(https://
そして、ある二つの語が分けるべきでないもの、分けられないもの等であれば、その二つの語は同義語か類義語になっていた筈じゃないか?と思う。
368 ななしのよっしん
2018/07/30(月) 23:34:17 ID: 5GhoKCOTvC
>>359
>俺の認識だと哲学は科学じゃなくていいって立場だから、そもそもこの論争自体何が目的か分からないが。哲学の対象はあくまでも人間の精神自体。
俺の目的は究極的には、”それ語の定義次第じゃね?”と言うことかな。”哲学の言う「科学」「精神」”等々と、”科学の言う「科学」「精神」”等々は、字面は同じでも語義が違うと見えるから。
>>360
「世界自体を考えてきた」痕跡は、文学や思想としてはまとまっていないだろうか? まぁ、これも語の定義次第かな。論文では「哲学や文学」(https://
>分類したところで目的があればいいけど、何か意味あるの?って感じがする。
単純に言うと、学会や学術雑誌が専攻ごとに分類されていたり、辞典事典や用語集の中で学術用語が分類されているから、学問もそれらに合わせて分類する、それが目的や意味かな。辞事典の中では、「分類」の定義は
●「分類はデータ処理の基本」
●「資料に対して,分類表を用いて分類記号を付与する作業」
とかある(https://
>>az430962457X
>須藤:…かつては具体的に科学で解ける問題と解けない問題が区別できなかった。当然のことです。したがって、宇宙の幾何学化という考えの下で、宇宙とは何かという問題と人間とは何かという問題を統一的に説明できるのではないかと期待した。…しかしその後の天文学の進歩によって…
>それぞれ独立に自分の疑問を追求するようになった。これは研究分野の細分化そのものですよね。…これは損失どころか、立派な進歩と呼ぶべきではないでしょうか。
>伊勢田:少なくとも、その後の天文学ではその問題を扱わなくなりましたし、今の物理学でもそういう問題を扱わない。
>須藤:その通りですが、それ自体に何か問題があるのでしょうか。(57~58頁)
須藤いわく「科学哲学は鳥類学者が鳥の役に立つ程度にしか科学者の役に立たない」「科学哲学が科学のためのものである必要は無い」(14頁)。
369 ななしのよっしん
2018/07/30(月) 23:37:46 ID: 5GhoKCOTvC
>>360
>>az430962457X
須藤いわく「科学哲学が物理学者に対して何らかの助言をしたなどということは聞いたことがない」(14頁)。「哲学者が興味を持っている因果の定義が物理学者とは違うことは確かでしょう」(141頁)。
「科学哲学が、この方法論が果たして正しいのであろうかと立ち止まって悩んでいる間に、科学は常に前に踏み出しています。それでいいではないですか。科学哲学者が横からいろいろ言うけれども、科学者からは『耳を傾けるべき重要な指摘だろうか』と首を傾げることばかり(たぶん、科学哲学者の皆さんから袋叩きに遭うでしょうが)というのが、正直な印象です」(260頁)。
科学哲学者の伊勢田哲治いわく、「思った以上に物理学者と哲学者のものの見え方の違いというのは大きい」(262頁)。「決着はつかない」(284頁)。
それらから俺が思うに、哲学の中では、分類や細分化について「意味あるの?」「天才レベルなら何やってもいい」って考え方でいいかもしれん。
>>361
「意識」や「主観」については、>>355-356以上のことは俺には言えそうにない。(医学の中の「意識」「主観」の定義は、いずれ新研究で更新されて、医学会も新しいことを言うだろうね。)
石黒浩の作品・発明・発言は、哲学にとって何かしら参考にはなるだろう。石黒浩に哲学的な面があると言ってもいいかもしれん。
ただ、「日本哲学会」で言及されたことは無い(https://
複数の辞事典を掲載しているコトバンクでも、石黒浩は哲学者や思想家として掲載されてはいない(https://
ポスト・ヒューマン論については俺も全体的に把握している訳じゃないので、確実に言い切れる事柄がないなぁ。
一応極端な例を挙げるなら、ポスト・ヒューマン社会についてアニメや「人間の霊的豊かさ」の観点から扱っている論文(https://
370 ななしのよっしん
2018/07/30(月) 23:40:27 ID: 5GhoKCOTvC
>>362
>何であなたの挙げた言語学者が最も普遍的なの?
あの言語学者たち(>>356)を挙げたのは、「言語学者って哲学者とそんなに違うの?」と訊かれたので、それへのレスとして挙げたよ。最も普遍的だ、という例としてではなく、かなり哲学者と違う、という例として。
もし"最も普遍的な言語学者は誰?"と訊かれたとして、それにレスするとしたら、まぁ学界・学会で評価の高い言語学者とか、学会で発表するような言語学者とかかな、多分。
>意味論を扱わなきゃ広辞苑なんて作れないからあなたの先程の話とは殆ど関係ない。
広辞苑(や辞書)の作成では、意味論ってそこまで特異的に重要なのかな? 広辞苑の主要な編著者である新村出は、意味論の言語学者じゃなく、国語学の言語学者のはずだし。
あと「先程の話」については、悪いけどどこを指しているのか、よく分からなかった。
>人工言語学派の考えと変わらないんじゃないの。計算言語なら。ちなみにこの定義で言うと前期ウィトゲンシュタインは哲学者なの?数学者なの?俺はどっちもだと思ってるけど。
俺がまとめると、こうなる
●「言語学」:「人類の言語の構造・変遷・系統・分布・相互関係などを研究する科学」(https://
●「哲学」:「世界や人間についての知恵・原理を探究する学問」(https://
○「計算言語学」︰自然言語を計算機(コンピュータ)で研究する言語学
○「人工言語学派」︰問題再定式化を人工言語で研究する哲学
もう少し詳しく見ると、「計算言語学」は「コンピューターによる自然言語の分析、応用などを行う学問」(https://
これに対して「人工言語学派」は、「形式的言語を用いて問題を再定式化しようとする」学派(https://
なので俺には、「人工言語学派」は「計算言語学」とは別物(異義語)に見える。
371 ななしのよっしん
2018/07/30(月) 23:48:03 ID: 5GhoKCOTvC
>>362
そもそも英語で「人工言語」は「ideal language」で(https://
つまり人工言語学派は言語学(linguistics)ではなく、哲学(philosophy)。一方、計算言語学は「computational linguistics」。
つまり人工言語学派は"人工言語学の派"ではなく、"人工言語の学派"だと思う。英語を訳せば"理想言語哲学派"かな。普通は「人工言語学派」とか「理想言語学派」(https://
そして前期ウィトゲンシュタインは、「人工言語学派」だとしても、「計算言語学」(=「コンピューターによる自然言語の分析、応用などを行う学問」)はやっていない。つまり、計算言語学者ではないはず。
辞事典だと、前期・後期ともに数学者とは定義されてない。
>さっきは言語哲学は哲学寄りと言いつつ、あえて音素の話で言語学者を代表させてるけど、何か基準あるの?
まず「音素」や音素論については、俺は今までに一度もレスしてないよ。「音素」は「語と語の意味を区別する機能をもつ音声の最小単位。例えば、「たき(滝)」と「かき(柿)」の語頭の/t/と/k/など 」(https://
学問を分類する俺の基準を挙げるとしたら、言語学と哲学とが同義語ではなく異義語として分かれている点、それぞれで学会等が分かれている点、とか。
補足すると、「言語哲学者は哲学者に近い方」だと俺が言った(>>356)理由は、言語学と哲学とに繋がりがあると俺は思ってるから。
ただ、繋がりがある語同士が同一(同義語)とは限らないし、類似(類義語)とも限らない。実際に、哲学的・言語哲学的とは言えない言語学(音声学、自然言語処理や計算言語学等)があると思うので、それらを例示してみた。
「哲学以外の全てが数学で処理出来るかのような発想」をしたつもりは無いよ。例えば、俺が挙げた言語学の一つ「音声学」は、「人間の言語音声の生理学的,物理学的,心理学的研究を目的とする学問」(https://
372 ななしのよっしん
2018/07/30(月) 23:50:56 ID: 5GhoKCOTvC
>>363
>あなたの言語学者の定義が行ったり来たりで分かりづらいんだが、論理学を含む意味で俺は理解してる。
辞書の定義だとこうだ、しかし他の定義だとこうじゃない、って風に俺は書いてきたので、「行ったり来たり」に見えるのかな?
一応俺の定義では「言語学者」は、”辞事典の定義で言語学者とされている人”や、”言語学会に所属している人”。だから、俺の定義では論理学者とは別だよ。
ついでに辞書的定義を挙げれば、「論理学」は哲学の部門の一種(https://
チョムスキーみたいな言語学者兼論理学者も現代に居るけど、全ての言語学者が必ずしも論理学者という訳ではないし、逆も然り。
>もし哲学だけが数学や論理学を用いてはいけないならば、分析哲学という分野が怪しくなるが、分析哲学もあくまでも哲学であって言語哲学ですら無いの?
その辺りも語の定義次第だと思う。俺の定義というか思いでは、分析哲学・哲学・言語哲学に繋がりはあると思うよ。同義語(類義語)だとか同じ学問とまでは思わないけどね、辞事典や学会的な意味で。
>その理屈だと数学者が物理学の学会に属していないから、物理学的発見をしたとしても物理学とは呼んではいけないみたいに見える。
”◯◯学者である人”の基準を”◯◯学会会員”と見なす限りは、そうだと思うよ。(とはいえ、物理学会に所属していない人が物理学的発見をしたことが証明されたら、その人は物理学会で会員となるか、発表・口述するか、最低でも物理学会で言及されはするんじゃないだろうか。)その物理学的発見が証明されたら、その発見後に出版された新しい辞事典の中で、その数学者は物理学者としても定義されるかもね。
>過去にいくらでも学会と新発見が関係ない事あったけど、それもだめ?
難しい話だと思う。過去では「研究分野の細分化」や学会の分化が、現在ほど進んでいないので、”過去にこうだったから”が現在に当てはまることもあったりなかったりでは? 例えば、哲学や科学哲学にとっての「新発見」は、現代の科学(の学会)にとっては「新発見」じゃないだろうし。
373 ななしのよっしん
2018/07/31(火) 00:02:12 ID: 5GhoKCOTvC
>>364
俺は>>345>>358の通りに思っているが、この点は別に明白な論拠があるわけでもないので、「生化学と徳は関係ない」とあなたが言うなら、そうかもしれない。(少なくとも、あなたや哲学者にとってはそうかも。)どういった学問や基準をもって「関係ない」とあなたが言ってるのかは知らんが、医学の中で一般的な「徳」の定義は無かったと思うので、医学的基準で「関係ない」と言って正しいかもしれない。
「自分の考えの過ち」については、悪いけど何を指しているのか分からない。川村医師を引用してから考え出した俺の考えに「過ち」があるのか。または、「うつ病の本質」を「億劫さ」と定義したり、PEA濃度で健康を測定したりする川村医師を参考にした時点で、俺の考えに「過ち」があるのか。または、「健康(≒節制)」と書いた俺の考えに「過ち」があるのか。
いずれにしても、俺に「考えの過ち」を見て取ったなら、なおさら俺に関わる必要性が薄くなっている気はするが。俺を論破しても学会や学界の流れは変わらないし。相手を論破したと思っても、ネットの特性上、相手がめんどくさくなって”わかりましたきみがただしいです”等としらばっくれていた場合、確認しようがないので。俺のレスよりは辞事典や学会資料に目を通したり(ry
>現代人が言語学的に考えた結果と精神や意識についてって関係あるの?あなたの例だと音素の例しか挙がってなくない?
まず、「音素」の話は今までレスしたことが無いよ、>>371の通り。
基本的に「哲学」と「言語学」は辞書的定義が違う異義語(>>370)だし、学会も別だし、言語学会では哲学者について言及が少ない―というか無いに等しい?―様子なので(>>358)、哲学的考えと言語学的考えは違うと思う。考えの対象語が「精神」であれ、何であれ。
>何か大目標みたいなの話してもらったほうが分かりやすい。
”辞事典は論文でも学会でも引用されるし(>>357)、第一には辞事典の定義で良くね?” 「分析哲学」・「数学」・「物理学」に繋がりがあるとしても、同義語(類義語)ではないこと、それぞれ学会が違うこと等に変わりないのでは?
>>365
「社会学」と「哲学」とにも繋がりがあ(ry
確かに「人口学のような統計的なのばかりじゃない」とは思うが、かといって同義語(類義語)ってほどでもないよね。辞事典や学会の中で異義語、哲学の中で同義語、ってことはあり得るだろうけど。
374 ななしのよっしん
2018/08/01(水) 21:26:29 ID: qADh/TiLE3
哲学は科学の婢・・・ってのとも違うんか
哲学と科学がお互い何言ってるか理解できない関係ということは
永井均みたいな哲学者は自称言語学者なのか?
言語学会では相手にされてないようだが
375 ななしのよっしん
2018/10/14(日) 20:55:35 ID: 3mrdklzgGU
哲学は現状、思想における美的センスに過ぎないものになってる感じなんだよな
自然科学において言語の限界が強く影響してるから、門外漢にはニュアンスを事細かく説明しないと理解出来ないが、説明しようとすると哲学をもとに初めから拒絶し始める様で、現状は相性最悪
意識というものを重要視してるみたいだから、美術とか精神医学みたいなメンタル方面と相性良いんじゃないだろうか
376 ななしのよっしん
2019/02/22(金) 23:06:54 ID: 065f1dT2n5
>>375
精神・意識の状態は血液で測定できる、と現代の精神医学で解明されている(>>345)
哲学は近世~近代の精神医学と相性良いかもしれないが、現代精神医学とは相性悪いんじゃないか
血液や細胞や脳をも計測する今の精神医学は、内科、内科学、血液学、脳科学あたりと相性良いだろうし
377 ななしのよっしん
2019/04/08(月) 20:23:31 ID: ebB7hFjhi6
378 ななしのよっしん
2019/04/09(火) 05:18:17 ID: 7cKFG+sgGZ
>>377
古代ギリシャの頃から自然科学者が世界の成り立ちを考えてきたから、科学者が哲学するのは正統的。
最近売れた『ホモデウス』も文明史と人類の未来をテーマにした科学的内容。
379 ななしのよっしん
2019/04/11(木) 00:42:40 ID: odx1YPIuiX
哲学と科学の話が上で出てたのでちょっと独り言。
哲学と(現代的な意味の)自然科学を両方ある程度きちんと学べば、両者の扱ってる対象も問題も全く質が違うことが分かる。
両者を関係付けるのはそんなに簡単なことではない
あえて語ろうとするなら両者にかなり精通(それこそ博士論文が書けるぐらい)してる必要があると思うが、このレベルの肌感覚を両分野で持ってるのは極一部のバケモノみたいな学者だけだと思う。
それでも少し勉強すれば両者の隔たりが現代ではとんでもなく広いことがわかる。だから普段は両者とも「あるがままにさせておく」べきで、半端な科学哲学の試みは大体うまくいかないし、逆に科学から哲学に安易に直輸入された概念なんてのは科学者からすれば大抵は噴飯ものでしかない(量子論とか、不完全性定理とか)
380 ななしのよっしん
2019/04/11(木) 08:55:25 ID: 7cKFG+sgGZ
>>379
ホーキング博士はバケモノみたいな学者でいいですよね・・・?
遺作となった『ビッグクエスチョン』で扱われたテーマは、オリジナルってわけではないですが、どれも問いとしては今後の人類に取っても重要だろうというものばかりでした。
>>az412101829X
量子宇宙論と哲学史なら内井先生ですかね。現代の物理学者から見たら確かに言葉遣いが違いますが、中身自体は理解できると思います。
381 ななしのよっしん
2019/06/23(日) 22:13:20 ID: XQ8naZT4/c
>>378>>380
哲学を批判する科学者をなんでスルーしてんの?
https://
『科学を語るとはどういうことか』において科学者の須藤靖は、科学についての哲学的考察(科学哲学)が、実際には科学と「断絶」していることを指摘している。また、「心」や「意識」という問題を解明してきた脳科学・計算機科学(コンピュータ科学)・人工知能研究開発等に関連して、科学者のクリックは「哲学者たちは2000年という長い間、ほとんど何も成果を残してこなかった」と批判している。
こうした観点において、哲学は「二流どころか三流」の学問・科学に過ぎない、と評価されている。脳科学者の澤口俊之は、クリックに賛同し「これは私のため息まじりの愚痴になるが、哲学者や思想家というのはつくづく『暇』だと思う」と述べている。実際、哲学は暇(スコレー)から始まったとアリストテレスが伝えており、上記のような否定的発言も的外れではないと、科学哲学者の野家啓一は言う。
哲学者は、科学とは違う日常的言語で「存在」や「宇宙」を語ろうとしてきた。しかし理論物理学者ディラックは、哲学者をことさら信用していなかった。ディラックが見たところ、ウィトゲンシュタインを含め哲学者たちは量子力学どころか、パスカル以降の「確率」の概念さえ理解していない。非科学的な日常的言語をいくら使っても、正確な意思疎通を行うことはできないというのが、ディラックの考えだとされている。
382 ななしのよっしん
2019/06/23(日) 22:14:55 ID: XQ8naZT4/c
生命情報科学者・神経科学者の合原一幸編著『人工知能はこうして創られる』によれば、AIの急激な発展に伴って「技術的特異点、シンギュラリティ」の思想や哲学が一部で論じられているが、特異点と言っても「数学」的な話ではない。前掲書は「そもそもシンギュラリティと関係した議論における『人間の脳を超える』という言明自体がうまく定義できていない」と記している。
確かに、脳を「デジタル情報処理システム」として捉える観点から見れば、シンギュラリティは起こり得るかもしれない。しかし実際の脳はそのような単純なシステムではなく、デジタルとアナログが融合した「ハイブリッド系」であることが、脳神経科学の観察結果で示されている。
前掲書によると、神経膜では様々な「ノイズ」が存在し、このノイズ付きのアナログ量によって脳内のニューロンの「カオス」が生み出されているため、このような状況をデジタルで記述することは「極めて困難」と考えられている。
数学者の田中一之は「一般の哲学者は、論理の専門家ではない」と述べており、計算機科学者(コンピュータ科学者)・電子工学者のトルケル゠フランセーンは、哲学者たちによる数学的な言及の多くが「ひどい誤解や自由連想に基づいている」と批判している。
田中によると、ゲーデルの不完全性定理について哲学者が書いた本が、フランセーンの本と同じ頃に書店販売されていたが、哲学者の本は専門誌によって酷評された。その本は全体として読みやすく一般読者からの評判は高かったが、ゲーデルの証明の核(不動点定理)について、根本的な勘違いをしたまま説明していた。同様の間違いは他の入門書などにも見られる。
フランセーンによれば、不完全性定理に関する誤解・誤用は哲学をはじめ一般に起こっており、宗教や神学でも乱用されている。1931年にゲーデルが示したのは、「特定の形式体系Pにおいて決定不能な命題の存在」であり、一般的な意味での「不完全性」についての定理ではない。
383 ななしのよっしん
2019/09/03(火) 18:43:22 ID: MH0ExZaUzM
哲学は全ての学問の母ってのはまさにそうなんだけど、当の哲学がその子供にどんどんお株を奪われてるってのは皮肉とも言える
いや、子が親を超えるのは親としての喜びとも言えるか
昔は物質とは何か?というのは哲学の問題だったんだけど、今じゃ電子顕微鏡とかで拡大したのを見せて「これが物質の構造でござい」とやられちゃう始末
384 ななしのよっしん
2019/10/06(日) 12:58:12 ID: TuziOELwuo
まあ教養ってそんなもんよ
語学だけ詳しい人が単純に役に立つかどうかは微妙だけど経済学にも工学にも医学にもきそ
385 ななしのよっしん
2019/10/06(日) 13:01:35 ID: TuziOELwuo
ミスった
基礎語学が必要なのと同じで人が生きるのには基礎哲学全く知らない状態って案外きつい
まず社会生活成り立たなくなるから
故に単体で役立たずだからって語学者がいなくならないし哲学者もいなくならない訳じゃない
386 ななしのよっしん
2019/10/12(土) 08:09:41 ID: 0yFWEZAgY8
>>人が生きるのには基礎哲学全く知らない状態って案外きつい
まず社会生活成り立たなくなるから
どういうこと?説明して?
哲学を知っている人に言わせると日本人は無教養で哲学を知らないらしいが別に問題なく暮らしてるけど?
あと何で哲学が必要なんだ~!って人は、哲学が無いと大変なんだ!とは言うけどそれがどういう根拠で、という説明をいつもしないのは何でなの?哲学の世界では根拠を説明してはいけない、なんて縛りでもあんの?
387 ななしのよっしん
2019/10/19(土) 16:22:29 ID: XQ8naZT4/c
「説明して?」と言われれば、哲学的な理屈で説明はしてくれるだろうけど
哲学的でない「根拠」、つまり数値や、理数系の観点や、社会調査といった「根拠」は決して出さないと思うよ
これまでの流れを見ると
仮に出すとしても、どうせ哲学の本とか、wikipediaの哲学史系ページくらいしか出さないでしょ
388 ななしのよっしん
2019/10/22(火) 02:47:44 ID: oqwvzg3lgB
日本人は一度決めた約束は守るのが当然と考えているが、それは一つの考えであり突き詰めると哲学になるのではないか?
389 ななしのよっしん
2019/10/30(水) 00:48:31 ID: 7cKFG+sgGZ
別に哲学が全く科学と関係ないとも思わないけどなあ。独我論、観念的実在論の立場もあるから、ゼロとは言わないが主流派なのは観念論と実在論の架橋をどうするかになってると思う。
意識の話で言えば、チャーマーズの話は避けられないだろう。彼の話は物理主義批判ではあるが、物理現象が無いとも言わないし、特にアメリカで顕著な魂の実在について批判しつつ、意識の自然法則を確立しようとしている。
別に意識の解明は自称科学者がやろうと誰がやろうと構わないと思うが、ここのこれは哲学だけ、ここのこれは科学だけとかいうのは限界事例はあるにせよ、自由でいいと思うわ。
その時に出来ることは哲学だと主に判例集集め、科学だと実験というのはあるけども。しいて言うなら分析哲学は中間的とかくらい。
シンギュラリティの話は単独記事があるのでそちらでやるほうがいいと思うが、ホモデウス的にはシンギュラリティで人間は消えるというのが結論だけど、マルクスガブリエル的には人間の相対性を擁護してるので、そこはまだ議論が割れてると思う。そもそも予言めいたカーツワイルの話からして結論を急ぐ話でもないし。
まぁWikipediaの科学哲学のページは参考程度には読めるけど、語るにしても個別の具体的臨床的なところも見ないとな。網羅的過ぎると話が大きすぎて扱いづらい。
390 ななしのよっしん
2019/10/30(水) 01:05:31 ID: 7cKFG+sgGZ
ただ哲学自体を擁護するとしたらだが、最終的に残るのは自由についての話ではないのかな。チャーマーズの話にしても根拠付けしようとしているのは分かるが、それ以上出来るのかというところが残るのは、最後は自由意思について突き当たるから。
Wikipediaの人もデジタルアナログの話くらいは認めてるらしいので、結論は同じようなことだと思うが、自由を擁護したいというのは最近の人文系のラインナップ見てて思う。
それは科学技術批判とかメディア批判とかGAFA批判とか色々あるけど、どうにか自由な場所を残せないかという話に尽きると思う。
じゃあどうするかというのは、社会設計も伴うので容易ではないが。そこは思想、社会運動、科学技術のトライアングルが必要というか。
ノーベル賞受賞してた吉野彰さんも言ってたが、人間社会である以上、どれかが欠けては前に進めない。
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