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1 ななしのよっしん
2016/08/13(土) 10:14:55 ID: POjWzMZZCU
> カロリング朝から王位を簒奪し、フランス王家についた。
「簒奪」って表現は一般的じゃないと思うが。
ルイ5世没後の後継者選びで選ばれた正統な西フランク王なわけだし。
ちなみに、ユーグ・カペーはカロリング家の姻戚で、祖父や大叔父も王位についてるし、父親も王位継承の有力者だった。
ユーグ・カペーの父親が王位に就くのを辞退して代わりに立てた王がルイ5世の父と祖父。
> ロベール家の強者ロベールとその息子ウードは~その威名を高めた。
> その子孫であるユーグ・カペーは987年についにフランス王位にまで上り詰める。
この書き方だとウードも王位についていたことが分かりづらい。
まるでロベール家で初めて王位についたユーグ・カペーみたいに誤解しそう。
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削除しました ID: INahMzeHdm
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3 ななしのよっしん
2016/11/20(日) 17:24:12 ID: hwxxZIgia3
だいたい大ユーグのせい。
ウード→ロベール(ウードの弟)→ラウールと非カロリング系の王位が続き、次王にウード王の甥でロベール王の子だった大ユーグが指名される。
しかし大ユーグは代わりに海外からルイ4世を呼び寄せて王に即位させ、自身は王になることを辞退する。
その後ルイ4世が死亡すると再び大ユーグが王位に指名されるが、大ユーグは再び辞退して代わりにロテールを即位させる。
で、大ユーグが死亡してユーグ・カペーがロベール家を継ぎ、ロテール王の子・ルイ5世も死亡したとき、次王もカロリング家(ロテール王の弟)にしようって勢力とロベール家(ロベール王の孫かつ大ユーグの子)に戻そうって勢力が争って、選挙の結果ユーグ・カペーに王位が戻された。
大ユーグが素直に王位についてりゃ話は簡単だった。
4 ななしのよっしん
2020/01/09(木) 12:09:39 ID: 3NBPZ0bg1N
中国で帝位簒奪するときは何回か辞退してから禅譲を受けるって話もあるし簡単に王位についたほうがよかったとは限らんぞ
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