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61 ななしのよっしん
2015/05/31(日) 18:12:31 ID: 02eL8jPO3S
言葉の意味としては事実:客観的 真実:主観的 真理:絶対不変
さらにいうと真実(真理):真理と同じ、なんだよな
事実と思い込んで自分の主観である真実を話す人がいたりするからややこしい
62 ななしのよっしん
2015/06/04(木) 09:03:58 ID: AZVy49hARE
『「AならばBだ」という命題を正しいものと仮定すると、「AならばBだ」という命題は正しい。』
これは事実?真実?真理?
63 ななしのよっしん
2015/06/04(木) 12:42:44 ID: m5vPzH8ar/
トートロジーです
64 ななしのよっしん
2015/06/18(木) 12:18:12 ID: PX6sgU4Vou
>>62
それは『仮定』からの『推論』の域から出ておらず、「証明できていない」から『どれでもない』。
65 ななしのよっしん
2015/10/11(日) 12:04:46 ID: unk9/nigqQ
1+1が必ず2になるからと言って、2は必ず1+1の結果と言うわけでもないんだよな
ホント、世の中って面白いな
66 ななしのよっしん
2016/01/10(日) 06:01:58 ID: EDz1pmsi/E
前科だらけの報道
67 ななしのよっしん
2016/01/25(月) 04:21:43 ID: tFEwZhOkfX
事実の偏った寄せ集めで人を騙すこともできる
少年犯罪という事実をセンセーショナルに騒ぎ立てて曰く、
「少年犯罪は増加している」「凶悪化している」(大嘘)とかね
68 ななしのよっしん
2016/07/15(金) 22:13:47 ID: i1WjYKhtIQ
「~なのは事実」という事実じゃない事例にばかり使われる言い回し
69 ななしのよっしん
2016/08/05(金) 17:26:18 ID: m1YVyv3Nqm
70 ななしのよっしん
2016/09/12(月) 02:22:34 ID: Yg7cjV3xtm
71 ななしのよっしん
2016/09/12(月) 02:31:15 ID: O/150wUeKe
72 ななしのよっしん
2016/09/14(水) 02:51:39 ID: PLZQAOuy/Q
ニーチェの事実はなくあるのは解釈だけだって言葉は的を得てると思う
世の中、事実だと主張する物の大半がそれはお前の解釈だろってものばかりで、その事実に反する事象やその事実を反対してる人達もいると指摘すると
いやこれはこういう理屈でこうなってるから事実なんだ!っと言われてもその理屈も結局はお前の解釈なだけだろとしかならんのがなあ
73 ななしのよっしん
2016/09/14(水) 04:40:29 ID: w0SN2ahVli
「群盲象を評す」という涅槃経の言葉があるね。
この場合、象が世界(=真理)、盲人がわれわれ悟っていない凡夫。
われわれは世界(真理)の断片を色眼鏡で見ているに過ぎない、というお話。
この「断片を色眼鏡で見る」ことを「解釈」とも言えるね。
それを概念的に表現することを「言語化」と言うと。
で、さらに理論的に定式化することを「モデリング」とも言えるかな?
(理論的言語化とはより一般的枠組みの中で言語または数式で記述すること)
モデリングは数学で言うと立式、数式化にあたる。
解釈は再現可能な観測により繰り返し多角的に検証されると「事実」と認められると。
しかし解釈である限り、それは「断片を色眼鏡で見る」ことで生まれた表現にすぎない。
表現は真理そのものではないんだよね。事実とは言えても、真理とは言えない!とうてい言えません。
ここを理解するのは誰でも最初は非常に難しいと思う。
人間社会では「言葉」が作るイリュージョンへの信頼が強すぎるから。
うまい説明のしかたないものか。うーん例えば・・・、
「群盲象を評す」で言うなら、象の皮膚に猫の模様があった。
いわば、これを「この世界には猫がいる」と解釈しているのが人間ということ。
これで伝わるかなあ。的確なたとえのつもりだけど、誤魔化した説明っぽく聞こえるかな。
次に、じゃあ数学的事実も真理じゃないのか?というと、これも真理ではない。
ここらへんウィトゲンシュタインの言語ゲームの考え方と関連しそうだけど、詳しくないので語れない。
あるいは公理主義とか記号論理学とか学べば数学的事実の相対性が少しは分かるかも?
数学は答えが1つに決まるから好きとか嫌いとか言えるのは高校生の数学までだからな。
もっとも数学畑には、そんなことは百も承知のうえで、
数学的真理こそが唯一絶対の真理であるとして信仰する人間も多数いるのだが。
74 ななしのよっしん
2016/12/31(土) 12:05:53 ID: n5R67ntJ7h
数学にしても、これこれこうと公理系を決めてその中で考えるという前提はあるから数学だけが他と一線を画しているって立場は自分ルールであれこれしているようでちょっとずるい様な気もするのよね。いや、妥当性や客観性に欠けるとも思わんけど。
社会学系に行くともっと立場が苦しくなりかねない訳だがw
75 ななしのよっしん
2017/01/15(日) 09:08:17 ID: teIiW/QlAR
>>72
というより事実そのものを書き記す事は出来ないという事だね。
だから写実性だなんだという話にもなる訳で
76 ななしのよっしん
2017/07/29(土) 16:34:35 ID: ajNvzG7qIY
・ゲピーはチーエを含む。
・任意のチーエはゲポスである。
・任意のチーエをウルムするとゲポスになるようなウルムはラプソである。
と定義する。
ここから次の系が導ける:
77 ななしのよっしん
2017/11/07(火) 00:20:01 ID: CWEv0xsjuy
この記事は「事実」と「真実」をそれぞれどういうものだと捉えてるんだろう。
>誰かにとっての事実だと思っていた内容は他人からは事実に見えない場合もある。
とあるが、そんな風に観測者によって変わる事柄(≒観測者の主観が入っている)を
事実とは言わないんじゃないか?
誰が見ても変わらない事柄(≒観測者の主観が廃されている)でこそ「事実」では?
78 ななしのよっしん
2017/12/15(金) 05:42:43 ID: IAGoG2hJpM
それは「現象」であって、「現象」の認識が「事実」
認識である以上、必然的に観測者の主観が介在することになる
79 ななしのよっしん
2018/01/13(土) 22:17:29 ID: CWEv0xsjuy
>>78
そういう定義は少なくとも俺の調べた限りじゃ見たことがない
根拠があるのであれば教えてほしい
80 ななしのよっしん
2018/01/13(土) 23:12:39 ID: CWEv0xsjuy
補足すると、根拠と言ってもそんな大層なものじゃなくていいです
こっちも自分の経験以外は辞書とかネットの情報ぐらいしかないので
81 ななしのよっしん
2018/05/02(水) 21:57:32 ID: LqDJeycIgX
事実なんて存在しない。
あるのは解釈だけである。
82 ななしのよっしん
2018/05/02(水) 23:07:49 ID: w0SN2ahVli
「現象」と言っても、そういう客観的存在があるというより、
観測の共通対象を措定しているに過ぎないから、
「観測」と「解釈(主観・認知)」だけがある、と言うほうがより客観性を懐疑した表現となる。
さらに、「解釈がある」という言い方も客観性を措定していると考え、
「解釈の観察がある」と主観的に表すこともできる。
すると「観察だけがある」と統一的に言い表せる。
ここまでくると、仏教の五蘊(色・受・想・行・識)の考えと照応しやすくもなる。
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また、こうした客観性の懐疑は科学哲学が扱う領域でもある。
ただ、一般に「厳密な事実」と呼ばれるのは、そうした懐疑を経ないもので、
圧倒的多数が自明と感じる「常識」や仮にその場では正しいとされる「公理」を基礎に、
科学的・論理学的に厳密と広く許容された手続きで得られる命題のこと、と言ったほうが近いだろう。
この立場では、観測や調査の確からしさ、統計と推論の確からしさだけが重視されるが、
前者はあくまで手続きとしての確からしさであって、
観測や調査(やそれらが暗黙に仮定する常識)の客観性を懐疑するわけではない。
こうした意味の事実はすべて「仮説」と呼ぶとしっくりくる。
ちなみに、「真実」とは現実の用法においては、
特定の事実(=仮説)の重大さを大袈裟に言っているだけで、
「客観性が高いのに知られざる事実」「乱立する仮説の中で正しいもの」
などに言い換えられるものに過ぎない。
このように「真実」には特定の事実のセットに対する相対性を含意することが多いが、
そうした相対性すらなく正しいというニュアンスを含むのが「真理」である。
83 ななしのよっしん
2018/05/18(金) 01:05:33 ID: LqDJeycIgX
事実の実態として確信しているのがこの一文
2足す2は5である、もしくは3にも、同時に4にも5にもなりうる
真理を構成するのが事実。だが人間は事実を認識する能力は無く、五感と記憶から推論しているに過ぎない。
84 ななしのよっしん
2018/06/19(火) 17:17:25 ID: w0SN2ahVli
事実性に少なからず疑義・異論がもたれてることに対して、仲間うちでは「常識」だからと
余所でも「事実」と(強弁するのではなく)さらっと言ってのける事例を近年よく見る気がするなあ。
多様な「常識」をもった集団が共存・棲み分けするようになった、と言えば聞こえは良いが、
事実性が広い観点から検証・懐疑・否定される機会を大幅に失い、
「プチガラパゴス文化」どうしの壁というか、信念の衝突や意思疎通の困難さが至る所で生じているように思う。
85 ななしのよっしん
2018/06/20(水) 15:56:24 ID: LqDJeycIgX
行為Aを許可した。
この記号から、行為Aは許可されていない状態とも解釈出来る。同じ漢字かな混じりで記号と解釈を書いているからややこしいが、記号が別の文字であれば分かりやすくはなるだろう。行為Aを許可しているかどうかは、観測者の主観でしかないのだ。
これの実例に遭遇し、それを支持する人が多かった以上、人間が認識する事実とは所詮主観に過ぎず、集団が支持する事実とは多数決に他ならない。
そういった意味では、観測可能な事実は存在しない。
86 削除しました
削除しました ID: JetfpRGk3+
削除しました
87 ななしのよっしん
2018/10/04(木) 23:05:59 ID: O/150wUeKe
別に事実でもなんでもないか
事実だから何だとしか言いようがないかの二択
88 ななしのよっしん
2018/10/04(木) 23:07:35 ID: X9CcNbRKvZ
ネットなんて事実で飽和してるからな。どうせなら世界中を騙す位の嘘付いてくれよ
89 ななしのよっしん
2018/10/04(木) 23:09:41 ID: xzKxO0UAjr
ネットにあるのは字術だよ
90 ななしのよっしん
2018/10/05(金) 18:09:04 ID: 0e36oUu2Qb
>>85
論として破綻している
その理屈でいうと「観測可能な多数決」も存在し得ない
「案Bが多数を決した」
「(〇〇氏は)意見Cを支持した」
ちなみに客観的に観測“される”ものを事実というのではなくて、客観的に観測“された”ものを事実と言う
ほめた!
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