325
241 ななしのよっしんふ
2020/01/21(火) 19:54:14 ID: SKvjENr29R
空の思想は仏教というよりは仏教に影響を与えたブッダが悟る前の師匠の教えからきたんじゃないかな
瞑想をするだけでは解脱できないが瞑想はいい修行だと学んだヤツ
242 ななしのよっしん
2020/02/11(火) 17:29:55 ID: CpqeutrkSe
243 ななしのよっしんふ
2020/04/03(金) 16:23:29 ID: SKvjENr29R
ブッダ はクシャトリヤ(王侯貴族身分)だったからアーリア人もしくはアーリア人要素の高い先住ドラヴィダ人の混血という風に普通は考えられるが
最近の研究だと必ずしもアーリア人が上の身分でドラヴィダ人が下の身分というわけでもないらしい(もちろんその傾向が強いが)うえに、シャカ族はネパールの山岳民族を出自としたモンゴロイドだった説も有力になってきているらしい
人種とカーストが必ずしも一致しないのならあり得る話ではある。
244 ななしのよっしん
2020/08/04(火) 20:07:11 ID: bo8/74hunv
仏陀の肌は白いって原始仏典の相応部経典に言及があるからアーリア人だよ
245 ななしのよっしん
2020/08/04(火) 20:10:46 ID: QjRXQrMP93
つまりアーリア人が建国した先史文明アトランティスの国教は仏教
246 ななしのよっしん
2020/08/04(火) 20:18:36 ID: rByUH+zrK7
ブッタがコーカソイドとなってしまうと三大宗教の全ての開祖がコーカソイドという事になってしまうんだよなあ
247 ななしのよっしん
2020/08/05(水) 11:31:37 ID: bo8/74hunv
248 削除しました
削除しました ID: vBldgvFipq
削除しました
249 ななしのよっしん
2020/09/07(月) 09:05:27 ID: ZRt5JgFSgi
伝統宗派ならまだいいんじゃない?
阿含宗とか念仏宗、大乗教、念法信教みたいなのはNG
250 ななしのよっしん
2020/09/07(月) 18:08:58 ID: d/VqBFJJeY
興味深い
"「慈悲」は、神において発動しているものであって、人間が持つことのできるものではない。「慈悲の心を持ちなさい」だなんて、そういう俗っぽくて安易なことを言っちゃいけない。それは、仏にたいする冒涜である。そうやって、宗教は堕落してゆく。"
https://
251 ななしのよっしん
2020/10/19(月) 03:05:20 ID: bo8/74hunv
>>241
仏陀に師匠なんて居ないよ。
仏陀はアージーヴィカ教徒のウパカに「貴方の師は誰ですか?」と聞かれてこう答えている。
「 われは一切にうち勝った者、一切を知る者である。
一切のものに汚されていない。
すべてを捨てて、愛執がなくなったときには解脱している。
みずから知ったならば、誰を〔師と〕めざすであろうか。
われに師は存在しない。われに似たものは存在しない。
神々を含めた世界のうちに、われに比敵し得るものは存在しない。
われこそは世間において尊敬されるべき人である。われは無上の師である。
(中村元他訳『世界古典文学全集6 仏典Ⅰ』筑摩書房 1966年p.26 SN.Ⅰ,p.66.G.)」
252 ななしのよっしん
2021/02/07(日) 19:22:20 ID: ABJFdKvU4k
ドイツのアーリア民族主義者は、キリスト教がユダヤ人発祥なのを嫌って、
キリスト教仏教起源説を唱えていたらしい
だからか、ドイツでは仏教研究が比較的盛ん
253 ななしのよっしん
2021/02/08(月) 00:25:38 ID: apEteginf9
文献学の下地があったのと、仏教というよりインド学全般が盛んだったのが大きいんじゃないかと思う
荻原雲来をはじめとした日本人留学生の方がドイツ人より仏教研究に熱心だった、なんて話もあったし
アーリアン学説はサンスクリットの発見に端を発するんで切っても切れないけど…
254 ななしのよっしん
2021/02/09(火) 07:23:17 ID: PBg1V5Q5YV
キリスト教、イスラム教が主にコーカソイド系に信仰されてること考えると仏教がモンゴロイド系中心に広まったことを想うと仏陀もモンゴロイドの可能性もありそうだけど
255 ななしのよっしん
2021/02/10(水) 09:54:01 ID: IPe0Dt2Tug
ミャンマーではイスラム教徒を殺すのは仏に至る道だと説いて殺しの正当化をしてる坊主がいるらしい、仏教の何をどう解釈したら殺しが正しいと考えられるんだ
256 ななしのよっしん
2021/02/12(金) 08:04:28 ID: bo8/74hunv
>>252
因果が逆
そもそもアーリア人云々はインド学舎のマックス・ミュラーが提唱した学説で、ミュラーはインドのテキストの翻訳を沢山手掛けていて、そもそも先にインド学の研究がある
そのミュラーは別にユダヤ人を嫌っていないし、その研究に反ユダヤの文脈はない
ドイツにはそもそもミュラーらのインド学の研究の下地があって、そこからアーリア民族主義が勃興したという流れ
ミュラーは民族主義者だけど、日本人留学生で後のインド学者である高楠順次郎らを丁重に扱っていたりもするから、そこまで排他的じゃなかったのかもしれない
まぁミュラーの著書を読んだことないから詳しく知らないけれど
257 削除しました
削除しました ID: OJIC/qot9B
削除しました
258 ななしのよっしん
2021/02/22(月) 14:26:26 ID: UNZklZG0Zo
廃仏毀釈って仏教側が弾圧された印象が強かったけど調べてみたら組織力の高い仏教組織(組織の基盤が民衆にあった宗派)は廃仏毀釈を生き延びて現代でも続いてるんだね
逆に組織力の弱い組織(基盤が藩にあった宗派など)はイメージ通り排斥されてしまった
259 ななしのよっしん
2021/02/22(月) 14:28:00 ID: QjRXQrMP93
仏智破
260 ななしのよっしん
2021/03/02(火) 18:12:35 ID: Sd24tHshRR
>>251
いや、出家直後に一時期師事していた人はいるよ。
アーラーマ・カーラーマとかウッダマ・ラーマプッタとか。
すぐに全て学んでその教団から出ていったけど。
261 ななしのよっしん
2021/03/02(火) 23:30:40 ID: bo8/74hunv
>>260
いや、相応部経典からの引用でパーリ経典の実際の文章なんだけど
別に疑ってるわけじゃないんだけど、学んだって文章を原典訳から持ってきてよ
どっち経典の言及がより妥当か見てみなきゃ分かんないわ
学んだだけで師匠ってわけじゃないかもしれない
俺らが学校の授業を受けてても、先生は師匠ってわけじゃないし
262 ななしのよっしん
2021/03/07(日) 05:20:55 ID: k7UNjhPXpz
最近は神経細胞を培養して脳組織を実際に作ったりコンピュータ上で脳をエミュレートしてみせたりしてるけどああいうのは死ぬと仏教的には極楽浄土に行けるの?
後者は機械だからNG?
263 ななしのよっしん
2021/03/08(月) 00:54:15 ID: Sd24tHshRR
>>261
まだインターネットでしか調べてなくて済まんが「因果経」と「方広大荘厳経」。
参考までにフランス語訳?https://
では
Le Bodhisattva après s'être revêtu d'habits de religieux, viaite en passant plusieurs personnages, et arrive i la ville de V&içali.
U se met sous la direction d'Arâta Kâlâma ; mais s'apercevront bientôt qu'il n'a plus rien k apprendre de ce maître , il s'en va dans la capitale du pays de Magadha.
うん、分からんので日本語訳探すわ
サンスクリットから漢語に訳してそれから日本語に訳した物がどれだけ「先生」と「師匠」、「師事する」と「学ぶ」のニュアンスを保ってるかは分からんが図書館行って調べてみる
264 ななしのよっしん
2021/03/08(月) 12:57:17 ID: bo8/74hunv
>>263
実は俺、最初のレスした時点から別にアーラーラ・カーラーマの存在とか知ってたんだよね
元々は空の思想が仏陀の師匠の学説なんじゃないかってレスがあって、その発想は大乗の思想で、原始仏典の時代には存在していないから、それはそもそも本来的に釈尊の教えですらないという話をしようとしたけど、説明が面倒だったから、相応部経典の詩句で師匠が居ないって話を持ってきただけなのよ
原始仏典と同時期かそれより少し後くらいに書かれたであろう『プラシュナ・ウパニシャッド』では空の思想につながるような言及があって、おそらく空の思想は外来のもので、少なくとも仏陀の師匠からってのはあり得ないとか色々あったけど、説明がめんどくさくて師匠はいないって文章を持ってきてた
仏典は色んな人が好き放題書いてるから、経典によって言及が食い違っていて、原始仏典の相応部経典の先の引用だと師匠居ないって言ってるけど、同じ原始仏典でも師事した人の話とかはまぁある
著者が複数いて、書かれた時代の範囲も物凄く広いから、言ってることが経典によってまるで違う
苦行を推奨してその楽しさを語る記述がある経典もあれば、苦行はしないって言ってる経典もあるし
ちなみに、>>263で挙げられた二つの経典は大乗の経典で、大乗の経典は学術的に偽書だと分かってるから、仏教の創始者ゴータマの事績としてその記述が扱えるかと言うと…難しいと思う
そりゃ、大乗仏教の教義としては意味があるんだろうけど…
『方広大荘厳経』の方は知らないけど、『因果経』の方は国訳大蔵経ってシリーズで日本語訳が出てて、経部の11巻に収録されているから、読むとしたらこれしかないと思う
…まぁ日本語訳って言っても文語訳で、全然日本語訳になってないと思うけど
出版されたのが昔だから、国立国会図書館のサイトで読めるとはいえ、ねぇ?
265 ななしのよっしん
2021/03/08(月) 19:44:07 ID: bo8/74hunv
空の思想が原始仏典の時代にないってのは言い過ぎだな
中部経典とかに類似の話はあるから
まぁとにかく、色んな人が仏陀に仮託して色々書いてるから、経典によっては真逆のことを言っているという場合も多い
だから、相応部経典の詩句で誰の法も信奉していないし、師匠もいないと言っていて、一方で他の経典で師匠が出てくるって言われても、まぁそういうこともあるだろうな、って感じ
266 ななしのよっしん
2021/03/24(水) 22:58:26 ID: Sd24tHshRR
>>265
空とかそのへんは全く考えずにレスしてたわすまん。
経典本文読んでみたら、彼らが存在したとしても師匠どころか先生ですらなかったし。
267 ななしのよっしん
2021/03/27(土) 14:24:30 ID: bo8/74hunv
>>266
アーラーラ・カーラーマは一応、原始仏典の仏陀が悟りを得た直後について書かれた経典である『マハー・パリニッバーナ・スッタ』に出てくる
釈尊は悟った後に誰なら自分の話を聞いてくれるかを考えて、真っ先にアーラーラ・カーラーマなら分かってくれるだろうと思ったけれど、その時に神が現れて、彼は七日前に既に死んでいると告げる
次に名前を挙げたのがウッダカ・ラーマプッタで、彼も昨日死んでしまったと神に教えられている
おそらく、このエピソードが二人が仏陀の師匠という話の元で、彼らは優れた知恵をもっていると仏陀は知っていて、そのように知っているということは彼らと仏陀は悟る前に会っていて、どのような関わりかと類推して、一度師事を受けていたのではないか、という話になっているのだと思う
この経典は『仏陀最後の旅』という名前で岩波文庫から翻訳が出ていて、比較的廉価で入手できるし、この本なら比較的何処の図書館に置いてあるだろうし、滅茶苦茶冒頭でこの話があるから、読んでみると良いかもしれない
まぁ、他の成立の遅い経典に二人に仏陀が師事したって話が書いてあるそれがあるのかもだけれど
268 ななしのよっしん
2021/03/28(日) 01:08:53 ID: bo8/74hunv
>>266
やっべぇ書いてあんの全然違う経典だった
>>267の話は原始仏典中部経典に収録されている経典で、これは廉価で入手したり、図書館に置いてあったりはあんまりしないから、全文の翻訳は確かめようがないかもしれない
それと、色々確かめ直したのだけれど、カーラーマとウッダカに悟る前の釈尊が話を聞きに行ったというエピソードが原始仏典の中部経典に存在しているらしくて、それは『世界古典文学全集6 仏典Ⅰ』に部分訳が収録されていて、この本のp.12-14にカーラーマのエピソードが、p.14にウッダカのエピソードが書かれてる
ちなみに、>>267の話は同じ本のp.26に翻訳されている
ただ、これは翻訳者が話が通るように都合の良い文章を拾い上げて繋げているだけだから、文字通り受け取って良い内容でもない
とはいえ、図書館で読んだり買ったりするとなると、この『世界古典文学全集6 仏典Ⅰ』以外だとあんまり現実的じゃないから、確かめるならこの本だと思う
一応、こういう継ぎ接ぎではない原始仏典の翻訳もあるけど、定価が1万円とかするから買うのはねぇ
無駄にデカくて嵩張るし、あれ
269 ななしのよっしん
2021/03/28(日) 03:53:01 ID: apEteginf9
>>268
その本を持ってないので対応箇所かどうか分からないけど、中部の第26経(聖求経;Ariyapariyesana-sutta)を見てみた
カーラーマが自分と同じ境地に至った「同じ梵行者」(sabrahmacārin)である釈迦を認め、共に教団を指導しようと言ったのに対し、釈迦は「私の師(ācariya)であるカーラーマは内弟子(antevāsin)である私を等しい位に置き…」(PTS版, I, p. 165, ll. 7-8)と形容している
ところが面白いことに、ラーマプッタは「同じ梵行者」としか言われていないのよね(p. 166, l. 27)
ラーマプッタは釈迦に「ラーマが知っていた(aññāsi)ところのダルマをあなたは知っている(jānāsi)」と言っていて(p. 166, l. 23)、aññāsiはアオリストで過去を表すから、この文はラーマプッタ(=ラーマの息子)ではなくてたぶんその父親のラーマを引き合いに出しているものと読める(文中のrāmaはrāmaputtaの省略形でない)
つまるところ、この経による限りだと、釈迦はカーラーマを師匠扱いする一方で、ラーマプッタには師事したつもりがないらしい。2人セットでいつも言及される割に扱いに差があるのはけっこう意外
270 ななしのよっしん
2021/07/03(土) 13:00:17 ID: Doa6jyDdoB
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