98
91 ななしのよっしん
2018/07/04(水) 19:02:43 ID: 38xe0ET4sH
創作の影響とそれに対するカウンターのせいで武勇武功についての毀誉褒貶がよく論じられるが、この人は陪臣、しかも重臣クラスになったこともないにも関わらずやたらと一流教養人との交流の跡が残ってるよな
細川幽斎とか里村紹巴とか古田織部とか
槍働きなんぞよりそっちの方がクローズアップされるべきだと思う
平時の武士の価値は教養とコネ
他だと立花宗茂あたりが最たるものだが
92 ななしのよっしん
2018/07/06(金) 21:31:56 ID: S4+eqk5fH/
>>平時の武士の価値は教養とコネ
一応自身で連歌の興行を開き細川幽斎を招ける程度の連歌の実力はあったそうですよ。
亀岡文殊奉納の歌会では、和歌の衆として参加(21名)し、慶次の5首と言うのは最高記録だそうです。この時野崎の遺書を信じるのであれば、確か70歳位だそうです。
93 ななしのよっしん
2018/07/07(土) 02:56:48 ID: 38xe0ET4sH
>>92
俺は利益の武功よりもその教養を身に着けた過程や交友関係を結んでいった過程が知りたい
出身の滝川氏(恒興以降の池田氏含む)も謎の多い一族だしね
一益も茶の湯を好む風流人だし、前田家に入る前から文化人との繋がりがあったのだろうか?とか、興味が尽きない
94 ななしのよっしん
2018/07/07(土) 09:38:29 ID: S4+eqk5fH/
源氏物語は九条植通に習ったとされ、里村紹巴の弟子だっとされる史料もあるけど、真偽は分からない・・ただ、連歌会に何度も同席はしています。
連歌会メンバーとの交流は天正10年・16年・17年での連歌会の記録で確認はされてますが、慶次が前田家に入る前に交流があったのかは分かっていないと思います。
上杉家の仕官も細川幽斎・里村紹巴を通して直江と知り合い仕官したのではないか?と言う指摘もあります。
95 ななしのよっしん
2018/07/24(火) 23:48:52 ID: S4+eqk5fH/
慶次って結構元気なお爺ちゃんだったらしく道中日記での京都から米沢までの慶次の旅の内容を調べると一日の移動距離は32キロで(ほぼ徒歩)峠を越える事もあったそうです。(この時69歳)
96 ななしのよっしん
2019/10/18(金) 19:32:14 ID: 7IdgABYFey
>>95
父親とされる滝川益氏なんて108歳まで生きてるしね。家康の父親である松平広忠と一つ違い。
広忠が家康(当時の感覚では彼も長生き)死後もずーっと生き延びて、寛永年間で
死んだみたいな凄さ。
97 ななしのよっしん
2019/11/20(水) 19:04:24 ID: S4+eqk5fH/
>>里村紹巴の弟子だっとされる史料もあるけど、真偽は分からない・・
ごめん。ここ書き間違い
当時源氏物語の第一人者の九条からは習ってたけど、里村の弟子かは分かんない(交流はあった)
98 ななしのよっしん
2022/04/03(日) 10:36:56 ID: 4/QyL7aSDn
慶次の物とされる鎧を見ても相当な派手好きなのが分かる
花の慶次ではあの鎧は出てこなかったけど実物見たときに、あぁ慶次の鎧だわって納得した
ほめた!
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