154
121 ななしのよっしん
2015/10/31(土) 09:20:15 ID: JSZurfjt24
武力78のくせに関羽だのなんだのに喧嘩売りにいくんだよマジ勘弁
たまに大逆転勝ちしちゃって武力激増しオール100武将の到達権手に入れちゃったりもするけど
そうなると毎年の年末がドキドキもので……
122 ななしのよっしん
2016/02/09(火) 13:32:49 ID: 3J8op23vee
もう散々言われてるけど、凄く良いタイミングで死んだ人なんだよね
天下二分に関する想定や計画が、結果論も除いても無茶無謀と言わざるをえない
実行前に死んだからこそただロマンだけが残ってくれた
ただ周瑜が極めて有能な将帥なのは間違いないんで、。
ここまで杜撰な計画を強行しようなんて、死が目前に迫ってた結果としか思えない
死の前に大事業を達成しようとする焦りか、その焦りが判断を狂わせたか
123 ななしのよっしん
2016/03/18(金) 10:31:29 ID: 3CeHg0BbDg
まぁあの周瑜が焦りがあったとしても、戦略的に無茶な進軍はしないだろうし。彼なりに勝算はあったと思うよ
・道案内に地元民の甘寧らがいた
・曹操の南下は無い(明らかに曹操軍は冀州で療養中)
・後でホウ統が上策としているように成都奇襲はこの時点では有効だった(防衛体制が整っていなかった?)
・交州経由で南中を脅かす搦め手もあった(210年に士燮が臣従している)
この辺の情報を確実につかんでいたとしたなら確かに周瑜らしい遠征とも言える。
不備を言うなら益州奪取後の統治と北の情勢変化が眼中に入ってない事か。まぁ後者はともかく前者に関しては何かしら目算はあったんじゃないかな?劉焉だって益州民から見れば外様だったんだし。
124 ななしのよっしん
2016/05/03(火) 20:00:07 ID: 6N1hGUItcl
いやいやいやw流石にそれは無茶苦茶アルヨ。
曹操軍は翌年には関中討伐に出兵していて、それほどの損害を受けていたような記述は無い。
ホウ統が上策として成都奇襲を献策したのは、劉備が益州の中にいて表向き劉璋の味方だったから。
士燮は孫権に心服していた訳ではなく、益州の豪族との仲介役くらいはこなしてたけど、兵までは受け入れてない。
仮に劉備統治下の時の様に豪族を動かしたとしても、劉璋勢力が南中にどれ程食い込んでいたかは不明で南中の動乱がどれ程影響を与えたのかもよく分からんしね。
125 ななしのよっしん
2016/06/17(金) 21:17:08 ID: LacGTmc9yF
一つ大事なことが抜けてる
周瑜は関羽張飛ら劉備軍の将兵を使うと言ってる
蜀攻略軍の構成は総指揮官周瑜に副官は甘寧と孫喩、主力軍は劉備軍
んでもって歴史的事実から見ると劉備軍は奇襲じゃなく力押しで勝ったという結果があるわけで
十分勝ち目はあったんじゃないか
まあ、その関羽や張飛を部下として使うって前提が普通に考えるとありえない話だから無理ってなるんだがな
でも面白いよな
周瑜は劉備は人の下にいるような人間じゃないって言ってるのに
その直後に劉備を自分たちのもとに留めようと明らかに矛盾したことを言ってる
>>115のように無理矢理軟禁するとしたら関羽らが素直に言うこと聞くとも思えない
これはどういうことだ・・・?
126 ななしのよっしん
2016/06/20(月) 00:04:19 ID: D4pj9H8ZJR
>>125
周瑜伝には「盛為築宮室,多其美女玩好,以娛其耳目,分此二人」
要は劉備は思いっきりもてなして楽しませて大望を忘れさせ、手持ち無沙汰になった関・張をオレが使う、と主張してる
正史の劉備はどこかヤクザっぽく恩義には恩義・仇には仇なところがあるから割といい策とは思う
ただ、あの寝技大王を手元に置くのは曹操の失敗も考慮すると危険きわまるけど
127 ななしのよっしん
2016/07/19(火) 16:57:20 ID: YR+pevlNga
劉備を使いこなせる・手なずけられると思った連中がみんな失敗してきた歴史を周瑜ともあろうものが忘れたのか、自分ならできるとでも思ったのか・・・
孫権ではなく自分にそれが出来るとは思ってる辺りに周瑜の良い面&駄目な面を感じるわ
と言うか周瑜が長生きしてたら必ず孫権との間に暗闘が生じてただろうな
128 ななしのよっしん
2016/08/23(火) 21:56:33 ID: LacGTmc9yF
>>127
いや、それはちゃんと分かってるからこその文頭の
「劉備は人の下につく人間じゃない」発言じゃないかと
だからはっきり明言してない何かがあるのではと勘ぐってしまうんだよね
あと周瑜は自分が離地を攻略してそのまま留まったら独立の疑いを向けられるってことはちゃんとわかってて
蜀の地を統治するのは孫喩とも言ってる
この慎重さが続けば二宮の変とかやらかす頃ならともかく
当分はうまくいったのではないかな
129 ななしのよっしん
2016/08/27(土) 20:47:38 ID: D4pj9H8ZJR
周瑜には劉備を使う気はないのが前提だろう
賓客でもなんでもいいからとりあえず呉に置いておければいいだけ
本人が飲み食い遊びに夢中になってくれれば関・張は呉に対して無下な態度をとれなくなるという事
夢中になってくれるかが怪しくて、最悪呉で工作し放題される危険性もあるわけだけど
あと、呉が蜀を取って蜀の統治を孫喩などの皇族に任せての天下二分状態で孫権が死んだらかなりまずいことになると思う
130 ななしのよっしん
2017/01/26(木) 22:01:15 ID: BHlNZ2VJqZ
周瑜は諸葛亮と対比されることが多いが、
「家臣ながら名望厚く、主の器に収まるか疑問視される」点では
実は劉備と共通するものがあるように思う。
「自分ならば劉備を上手く扱える」発言、周瑜の気負いだけでなく、
家中での微妙な立ち位置をハンドリングしてきた当事者として、
ツボも勘どころも知っているよ、という意味なら、
納得できる気がする
131 ななしのよっしん
2017/02/12(日) 09:25:48 ID: /+OtDHEG0e
132 ななしのよっしん
2017/06/06(火) 16:07:41 ID: YR+pevlNga
>>128
>>129
劉備を飼い殺しにして人質にすることが前提で「関羽と張飛を俺に使わせてくれ」と言ってるのは分かるんだが、それが周瑜の油断だと思うんだ
孫権の「劉備を囲っておくのは無理だろ」っていう返答のほうが現実的な気がする(結果ありきの後付け感想だけど)
133 ななしのよっしん
2017/06/15(木) 19:58:53 ID: mTEQcms6tU
周瑜の劉備の扱いに関しては魯粛の劉備の扱いへのアンチテーゼもあるんじゃないか?
134 ななしのよっしん
2017/07/13(木) 23:19:39 ID: D4pj9H8ZJR
結果から逆算して追うと周瑜がより頑張ってより勝った方が呉は早く滅亡しただろうというのが悲しいところ
どうあがいても孫権死亡後に残される予定の連中にまとまりが無さすぎで、むしろ領地が広ければ広いほど内紛は拡大する
孫権が天下統一を成し遂げていたら、その死後は八王の乱より酷い結果が待っていただろう
135 ななしのよっしん
2017/08/23(水) 07:05:25 ID: E6ETrQ9yZQ
孫権が本格的に駄目になり始めたのは張昭死後
孫堅・孫策時代の老将の言うことは聞くから
周瑜が生きていたら二宮の変みたいな後継者争いは起きないと思う
136 ななしのよっしん
2017/09/26(火) 11:57:45 ID: YR+pevlNga
>>136
でも下手したら主君より人望も実績もある武官なんて目の上の瘤だからねぇ
出たがりの孫権に劉禅の様に諸葛亮に殆ど丸投げとも言える態度は取れないだろうし、曹叡の様に司馬懿を信任しても下手したら豪族たちは孫氏より周氏を担ぎかねないしで、皇帝と功臣の関係って本当にめんどくさい
137 ななしのよっしん
2018/02/06(火) 20:46:41 ID: SY8aHAPMWj
>>136
仮に周瑜が司馬懿みたいになったとしたら
周瑜にまるで野心がなかったとしても、子供たちまでは責任とれんしな
晋の二の舞も十分ありえるかもしれない
138 ななしのよっしん
2018/03/01(木) 03:46:01 ID: UHBdSrsKT/
周瑜がそもそも孫権の器に収まるかって言われたら微妙だからな
史実でも関羽、張飛を自分の軍に引き込もうと考えていたくらいだし
孫策相手ですら家臣というより盟友ポジションだし。
孫権が生きていればなんとかなるかもしれないが、もし天下二分の計が成功して、
孫権より周瑜の方が長生きしていたら、恐らく周瑜は孫呉から独立したと思う。
孫呉も荊州取った後は東晋と同じく北府軍と西府軍の不和が起こっているからねえ。
(孫権と陸遜、孫休と孫綝)
139 ななしのよっしん
2018/03/01(木) 04:12:40 ID: UHBdSrsKT/
>>128>>129
周瑜が天下二分を提唱した段階での劉備は、声望はあっても実が伴っていなかった。
一方の孫権は、曹操を打ち破る実はあったが、声望が伴っていなかった。
だからこそ、やれ孫子の子孫だ、玉璽を得ただの孫家の格を高める逸話をいくつも散りばめている。
ここでいう「劉備を手元に置く」ってのは、恐らく後漢の劉協(献帝)と同じように扱うということ。
つまり劉協を奉じて力を蓄えた曹操のように、劉備を奉じて孫権ひいては自らが力を蓄える
契機にしようと考えた。名目上は劉備がトップだから関羽と張飛は孫権に従わざるを得ない。
恐らく周瑜のプランでは、劉備奉戴の孫権を中心に、孫呉軍閥が力を持ち、劉備麾下をその下に加え
劉備軍を事実上解体し、関羽張飛を操る。劉備が死んでその息子(劉禅)の代になって
頃合いを見計らい、曹丕や劉協に要求した禅譲を孫権が劉禅から行う、というのが基本ラインだろう。
140 ななしのよっしん
2018/03/01(木) 04:22:32 ID: UHBdSrsKT/
ただし当然この案には欠点もあって、まず劉備が劉協のように大人しくなってくれるかどうかということ。
もちろんその答えは史実の通り、大人しくならなかった。さらに劉備は、周瑜自身がやろうとしていた
蜀遠征を独自に試み始めるなど、孫権の思い通りにならなくなっていった。
だから周瑜の後は魯粛が次ぐことになったんだろう。ただ、孫権が中華を統一するという
現実的な構想は、恐らく周瑜のプランが最初で最後。後の魯粛にしろ、呂蒙にしろ、
中華統一という大望はそのプランにはない。周瑜が死んだ時点で孫呉の中華統一路線はほぼ破綻した。
141 ななしのよっしん
2018/04/22(日) 08:41:08 ID: yUiA0sDU6s
>>136
単なる武官でなく、揚州を代表する名士でもあったからな・・・。
周瑜が長生きしていたら地元の名士(呉の四姓など)が周氏を担ぎ出した可能性は大いにあり得る。
142 ななしのよっしん
2018/04/27(金) 17:17:22 ID: YR+pevlNga
揚州の士人としての地位は周瑜本人の思惑とは関係ないしな
皇帝になってからの孫権が豪族や汚職官僚を粛清しようとしてはその度に陸遜らによって阻止され挫折し、結果的に「老害」扱いされることとなることを考えると周氏が孫氏の代わりの神輿になるってことはあり得なくはない
東晋時代までの江南の豪族たちの動きを見ると割と皇帝は誰でも良いみたいだしね
143 ななしのよっしん
2018/05/06(日) 22:03:34 ID: SY8aHAPMWj
確か、北に引っ越そうした魯粛を引き止めて説得したのも周瑜だっけ?
マジで役に立つな周瑜、家柄だけじゃないし本当に扱いが難しい
144 ななしのよっしん
2018/06/08(金) 17:51:12 ID: +E+I5VaO0a
俺は演義しか知らない(正史は解説本で見た程度)けど周瑜ってこんなチートなのに劉備を恐れてたのか
145 ななしのよっしん
2018/06/18(月) 18:02:34 ID: YR+pevlNga
むしろこの時代に劉備を警戒しない奴なんて余程のボンクラだろう
146 ななしのよっしん
2018/08/14(火) 07:36:11 ID: yUiA0sDU6s
>>144
人を惹きつけるカリスマという自分や孫権も持っていない強みがあったので、警戒したのは当然。
147 ななしのよっしん
2018/08/19(日) 18:23:40 ID: D4pj9H8ZJR
確かに周瑜も演義被害者連の上位だけど、劉備も人格に主人公補正が掛かった代償で劉備とは思えないほど軟弱になってるからな
劉備はもっと不気味で恐ろしい奴
148 ななしのよっしん
2018/08/30(木) 11:25:24 ID: YR+pevlNga
シナ小説の主人公は才人ではなく徳人・好漢であることが強調されるから宋江も玄奘も劉備も時としてイラッとするぐらいお人好しに書かれるせいで結果的に実像より無能になってしまう(宋江の場合は存在しない説もあるが)
149 ななしのよっしん
2019/03/18(月) 20:41:54 ID: BHlNZ2VJqZ
>>144
動物的なまでの嗅覚で権力の機微を嗅ぎ分け、もぐりこんでくる
劉備という厄介な相手に対し、
「孫権と自分の微妙な権力関係は、格好の隙」という
認識が周瑜にあったと思う。
周瑜による劉備懐柔は、
「やられる前にやる」という危機感の現れ。
150 ななしのよっしん
2019/08/28(水) 13:21:25 ID: wy+BrHexYf
劉備に関わった陶謙袁紹劉表は滅んでる訳だし劉備はその滅んだ後を狙ってたりするわけだから誰もが劉備を警戒してたと思うよ
あれ根っからのやべぇ奴だもの
ほめた!
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