6
<<
<
>
>>
1/1
1 ななしのよっしん
2019/12/16(月) 00:28:03 ID: jBmiheTOL7
唯物論って日本語のニュアンス的には実在論の方が世間で通りがいい意味になってると思う。
それは批判的意味を込めて物理主義とも言われるが、だいたいは意識や精神の否定とかに近い感じ。
マルクス主義と同じ意味で唯物論哲学が冠されていた日本でも逆に批判を込めて唯物論的だと言われてた事もあるが、マルクス主義が退潮すると共に左派がそれまでの唯物論哲学を承継すること放棄しているというのが何となくの感じ。
だけど世間的にはお金で説明してくれるマルクス主義の理論って、今でも納得感大きいと思うんだよな。嫌われるというか触れられないのは単に唯物論哲学が緻密化しすぎて研究者だけのものになってしまった感じからだと思う。
代わりとなる唯物論的、つまり政治運動社会運動に結びつくような話がないから多くの人は宗教や伝統に直接回帰するわけでもないけど、資本主義の荒波に揉まれて苦しむままに任せてわけがわからないママというか。
詳しくは自分は整理出来ないけど新しい実在論も新しい唯物論とか日本語訳では振れ幅あるわけじゃない?アメリカやドイツではどう言葉として言及されているかはわからないけど、目的として社会批評が多分にあるところを見るとマルクス主義なしのナショナリズム批判という意味では多分日本語の世界と似てるんじゃないかなと思う。
まあ別にマルクス主義の頃のようにグランドセオリーを求めなくても別にいいのかもしれないけど。
2 ななしのよっしん
2020/05/24(日) 02:28:42 ID: fr7SW2rabT
>>1
いやその理解は大事だと思う、"言葉が理解出来ないから人は区別しないと気が済まない"という生物的本能に直結してる。
だけど俺達が見るべきなのは「唯物論」という日本言語で調味料や人工着色料のかかりまくった言葉を見るんじゃなくて「唯物論者」または「唯物論派閥」あるいわ「唯物論哲学」と赤の他人が定義した"唯物論という一括にしてはいけない最も本質的な数々の哲学者の考え方"を理解しなければならない、という真実を理解しなければならない。
人が「レッテル」を貼りたがるのは「自分とは違う」と区別する、理解するために納得するためにそれは仕方がない、違うものだから、けどそこにちょっとでも感情が混ざるとそれは「その人の言葉」になってしまう。
大事なのは「真実=理解=知識」に近づいているかどうかだ、何かが正しいとか、何かが間違いとかではなくそのプロセスを理解し正解に導く事、それが哲学の真理でありこの世の真理の一つだと思ってるよ。
3 ななしのよっしん
2020/05/24(日) 02:38:09 ID: fr7SW2rabT
>>2
続き、だからカントが言ってた「ごちゃごちゃ知り得ない様な事を神だの何だの超越的な言葉に置き換えず、人間の認識能力の範囲内で哲学を扱う」がこの「唯物論」という言葉に終止符を打つ考え方だ。
唯物論も祖である原子論もカントの言う「超越的な言葉」であって、超越的な言葉に置き換えて放置するのではなく最期までどうにかして理解に至れって事何だろうな、と思う。
原子論は証明された、唯物論は証明されていない。
けれど必ず真実はある、マルクス経済学なんて「人間の心の中にある強欲という概念を立証させる為の物、それが金である、そして闘争を起こす」と考えればそう難しくはないと思う。
現代哲学は物凄い所まで来ているのかも知れないなぁ。
このまま"目に見えた物を真実と捉えるか"
それとも"目に見えた物だけでは事足りずにその先の真実を求める人間の強欲"が勝つのか。
4 ななしのよっしん
2020/07/27(月) 11:15:47 ID: QwiOuwzwx1
物質ってなに
5 ななしのよっしん
2021/03/31(水) 08:30:03 ID: GCk1Im3Zbs
凄く雑に纏めると
目を閉じて耳を塞いで歩いても、壁にはぶつかるし段差には躓く。もしそれが毒や槍や罠だったら取り返しが付かない。
という信仰や思想で良いんじゃないかな。
逆に唯心論は「見なければ遭遇しない」という信仰や思想だと思う。
6 ななしのよっしん
2023/09/24(日) 20:33:00 ID: uEIPZTEi4w
マルクス主義唯物論によれば、正義とか自由は善ではないし殺人も悪ではない。それらは善悪ではなく物質的基盤のない虚妄だ
ただただ、階級闘争と革命の勝利だけが、物質的実態を持つ。その為なら自由を奪おうが殺人しようが唯物論的には問題がない
ただし、現代の民主主義社会で、階級闘争と革命の勝利に物質的実態があるとはとてもいえないのが致命的難点
<<
<
>
>>
1/1
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。