397
331 ななしのよっしん
2018/07/12(木) 23:18:44 ID: Ocry/E004x
幼少期に父が死んでから放浪生活で
やっと落ち着いたとおもったら兄も死んで19で家督を継ぐって中々の苦労人だよな
まあこの時代に苦労してない人の方が少ないだろうが
332 ななしのよっしん
2018/09/17(月) 14:43:46 ID: F3SOTWx1pZ
※320
東晋の時代になっても呉の地域は皇帝の言う事聞かん家臣ばっかだったしな。
東晋の明帝はその状況に我慢ならなくて皇帝の権力強化しようとしたけど
寿命が足らずに失敗したし。
333 ななしのよっしん
2018/11/03(土) 23:10:37 ID: Ax1RnO61vW
>>327>>328
自分もそう思ってけどその時期について
「親魏路線と反魏路線を行ったり来たりして、国としての軸が見えない」
って言ってた人がいてそういう見方もあるのかって思った。
確かに言われてみればこの時期の孫権というか呉がやったことって天下三分と天下二分どっち目線でみても中途半端だなと。
334 ななしのよっしん
2018/11/09(金) 08:11:51 ID: 8YD2ieJwF/
孫権が親魏や反魏に見える、もっと言えば劉備・劉禅、曹操・曹丕相手にどっちつかずのように思えるのは
孫権にはこの二氏のような正統性、天下を統べるだけの力がなかったから。
もともと、曹操、曹丕は献帝を庇護し、曹丕が献帝から禅譲を受ける形で国を興した。
それに対し、劉備は前漢劉氏の血を引く、漢の末裔として漢を復興させる形で国を興した。
両者とも正当な手続きを踏み、両者とも言い分が通っている国。でも、孫権は
禅譲も復興も国を興す手段には使えなかったわけ。だから地位を高める必要があったの。
最初は劉備相手にそれをやろうとした。劉備を庇護して、曹操における献帝のような状況にしたかった。
でも失敗した。劉備は独自に勢力興して、やがて季漢(蜀漢)という国家を築く。
335 ななしのよっしん
2018/11/09(金) 08:17:58 ID: 8YD2ieJwF/
で、劉備を使う方法に失敗したから、今度は曹魏を使った。臣従を誓って、
曹魏から「呉王」の地位を貰った。あとは「呉王」の地位を武器にしつつ、
「曹魏に天命なし。曹魏に天下を任せることはできない。」と今まで黙殺していた
ことをお題目にして呉を起こした。所詮どこの誰ともわからぬ家柄の孫一族たる孫権にとって
前漢劉氏の末裔たる劉備や、親子2代で三公を努め、漢帝国の重鎮たる曹氏出身で、
献帝から禅譲を受けた曹丕から見れば、孫権なんて所詮下賤の馬の骨。
ちなみにこういった手続きを全く踏まず、とりあえず後漢衰退してるし次は俺だろ!と
ばかりに適当に国建てた挙げ句そっぽ向かれて落ち目になったのが、かの蜂蜜皇帝こと袁術ね。
孫権は袁術がなんで失敗したかをよく理解していたわけ。娘も一応妃に迎えているしね。
336 ななしのよっしん
2018/11/09(金) 08:21:25 ID: 8YD2ieJwF/
あと、孫権が全盛期の判断を失うのが240年くらいからだが、この240年代はもう
魏が正当後継王朝として確たる権力を築き中原に君臨していた時代とちょうど重なる。
孫呉は中華にとって完全に賊国同然という状況をどう思っていただろう。
孫権にしろ、劉禅にしろ、もっと言えば魏呉蜀全部で「流石に中華の正当国家は魏だよね」という
空気が蔓延していたのが結局、呉蜀の覇気を失させ、中原から流れてくる人材を封じ、
人材不足と厭戦気分を招き、自壊に近い崩落を招いたのではなかろうか?
まあ最終的に崩壊したのは魏も一緒だから、結局共倒れなんだけど。
337 ななしのよっしん
2018/11/13(火) 16:39:42 ID: 09JlHZXSZ5
国家観自体が揺らいでた時代なんだし一族郎党の身の保証が守られたりや名誉欲や出世欲が満たせる場所ならどこに所属したって不思議じゃないだろ
劉表や劉焉に仕えてた連中だって途中で反乱起こした奴らを除けば自分たちのこと賊だなんて片時も思ったことないよ多分
338 ななしのよっしん
2018/11/18(日) 14:05:11 ID: 3aePJ3/fvw
寒門出身の子飼いが早々に亡くなってしまったのがなあ
門閥を頼りつつ門閥の専横をいかに抑えるかが中国大陸に成立した諸国の課題
339 ななしのよっしん
2018/11/20(火) 17:01:30 ID: zat4c0X1jY
そういえば、孫権はある宴会でロバの頭に諸葛謹の字を書いて、諸葛謹をディスったエピソードがあるけど。
座興とはいえおふざけがすぎないかね。
孫権は何か諸葛謹に恨みがあったのだろうか?
340 ななしのよっしん
2018/12/05(水) 22:18:11 ID: Lrg0iyVW1X
>>339
ないんじゃね?酒癖の悪さは色んな作品でネタにされるくらい有名だし
普通に酔っ払って落書きしちゃったってだけの話の可能性
翌朝「昨日はロバで盛り上がりましたね」って聞いても「……?何が?」って返されてもおかしくない
341 ななしのよっしん
2019/01/24(木) 16:57:34 ID: hXVLRiNjhu
二宮の変の動画見てて
ふと孫策の諡気になって確認したら孫策は王号止まりなんだな
(ちなみに晋は司馬師も帝号を諡)
つまり端から孫策の係累を最初から低くしてる訳だけど
この辺も二宮の変の遠因になってるのかもしれんね
342 ななしのよっしん
2019/01/27(日) 22:09:15 ID: M6ljqMiGoK
儒教における礼に「昭穆」というものがある。
端的に言えば「家系の宗主は、親世代(昭)と子世代(穆)が交互に継いでいかねばならない」というルール。
つまり「父→子」「叔父→甥」みたいな継承は○だけど、「兄→弟」「父→孫」みたいな継承はルール違反になってしまう。
だから孫堅→孫権という「本来の形」にするためには、孫策をいわば一時的な代役とみなさねばならない。
これはむしろ昭穆の序をスルーして兄弟間での継承を認めた司馬炎のケースがイレギュラーなんであり、後に賀循が苦しい言い訳をすることになっている。
343 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 18:45:18 ID: hXVLRiNjhu
>>342
それはあくまで孫権サイドの理屈であって
日本の壬申の乱の例を挙げるまでもなく兄弟継承が難しい事には変わらんからね
堅が武将として名を上げ策が袁術から独立した孫呉の成立の流れを考えると尚更ね
344 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 18:49:41 ID: hXVLRiNjhu
>>335
孫呉が袁術軍閥の後継である事を考えると
根拠なく皇帝を僭称するのは自然の流れな気もするな
345 ななしのよっしん
2019/08/22(木) 20:42:11 ID: mRZr/SvuAg
220年に曹操が病死して魏は後継者争いでゴタゴタになるんだから
関羽の傲慢さに耐えて曹操が亡くなるまで待っていれば、呉が天下を狙うのも夢ではなかっただろう
司馬懿が反乱を起こして再び魏がゴタゴタになったら、二宮の変でまたも好機を潰してしまう
孫権はせっかくの好機を潰してばかりじゃないの
346 ななしのよっしん
2019/08/22(木) 20:57:10 ID: tLszsbPDr4
そしたら劉備本隊と合わせて中原を先取されて
呉は長江上流の荊州から関羽というバケモノがいつでもなだれ込める体制をキープされたままになるな
347 ななしのよっしん
2019/09/17(火) 12:56:06 ID: Nr7CbDguQ3
最後の最後で老害化したけど、夷陵まではほぼ戦略的に間違った事いってない上に適材適所かつ群臣との変な不和もない(どころかむしろ調停がうまい)理想的な君主なんだよな~
概要に書いてないけど孫権生涯で最大の戦役である夷陵後の曹丕との戦いに完勝したのがその後の老害化を決定づけた気がする
自分が生きているうちはもう魏に飲み込まれる事はないな(国内では呉こそ最強とまでプロパガンダされてもいいレベル)と思っただろうし実際そうだからなぁ
三国志的にはそこから孔明の苦闘ばっかクローズアップされるけど、当時一番デカい顔してたのは曹丕曹叡じゃなく孫権じゃないのかな。その後に晩年の曹叡がデカい顔し始まるが…
348 ななしのよっしん
2019/10/29(火) 22:55:59 ID: bGfJjjFxJb
何で合肥で負けちゃったんだろうなあ
他の戦では無難に戦って合肥除けば名将と言って良いレベルなのにここが本当に不思議で仕方がない
349 ななしのよっしん
2019/11/25(月) 10:28:30 ID: 09JlHZXSZ5
そりゃ魏(後漢)だって長江渡って来られちゃ大変なんだから負けられんだろ
350 ななしのよっしん
2019/11/26(火) 20:34:38 ID: FcKnX37qNZ
魏だって長江渡って建業急襲なんて出来なかったからね
渡河戦+例え落とせても周りが平野だらけで奪還部隊がすぐにやってくる
っていう双方共に防衛側が有利な地形だから
351 ななしのよっしん
2019/12/23(月) 19:58:34 ID: ixNX9ZI8Us
>>348
呉は豪族連合の傾向が強くて防衛戦にはやたらめったら強いが(権益を侵されたくないので一致団結して死ぬ気で戦う)、攻略戦ではグダグダになりがち(味方同士で主導権争いして意思決定が遅れがちで、結果的に相手に対策を取られやすくなったり、機先を制されたりする)な印象。
352 ななしのよっしん
2020/02/09(日) 06:11:32 ID: Ocry/E004x
呉は演義などでの扱いのせいか、地味とか下手すりゃおまけとか言われがちだが
防衛番長だったり風見鶏的政策をすることもあって三国のバランサーともいえる、ある意味三国鼎立の鼎とも言える存在
そういう点で三国鼎立期から中期までの主役は孫権だと思ってる
353 ななしのよっしん
2020/02/14(金) 09:25:06 ID: iHKf7lbIQK
三国志大戦で丸太持ってる孫権でた
https://
354 ななしのよっしん
2020/04/23(木) 03:39:35 ID: /eoM+iKNl7
>>348
合肥の戦いは孫権軍10万って言われてるけどこれはのちの
234年の合肥新城の戦いをそのまま持ってきただけの可能性あり。
(演義で孫権軍の数減ってるのがその証拠。演義は捏造で減らしたのではなく
整合性を取る目的で減らしたのだと思われる。)
215年の荊州争奪戦で3万、夷陵の戦いで4万だから多くて同数程度
しかも当時の軍の重鎮2人(魯粛、程普)が両方参加してない
張遼ら見事な活躍をした曹操軍に阻まれたというのもあるけども、
軍勢に疫病発生(孫権軍は陸口からやってきたとあるので、
地理的にも恐らく劉備関羽との荊州争奪戦からの連戦)、
10日程度の包囲とあるので、孫権の合肥の負け方は曹操の赤壁の負け方と大体同じ。欲張った
355 ななしのよっしん
2020/04/23(木) 03:59:10 ID: /eoM+iKNl7
孫権は本当に老害化していたんかね。なんか、イメージとして「守成の孫権」が先にあって、
それをやろうとしなかった(=後継者問題)から、孫権は晩年老害化した、って言われてるイメージなんだが。
演義の影響で蜀の北伐ばかりがクローズアップされるけど、
曹操軍や曹魏勢力と戦った回数や規模で見ても孫権の方が大きい。
特に赤壁の戦い以降はどっちかというと第三勢力と戦って足場固めが
メインの劉備と違って、孫権は最初期から曹操勢力と戦い続けていた
関羽を不意打ちしてまで荊州ぶんどったり、公孫淵が討たれた後の
遼東をどさくさにまぎれて攻め込んだり、孫権は本来劉備と
同じくらい中央制覇の願望を夢見ていたと思われるんだよな。
隣の国だって、曹丕が211年に副丞相になってから217年に太子になるまで6年かかってる。
賈詡さんがいなかったら曹操も後継者問題起こしてただろうよ
356 ななしのよっしん
2020/04/23(木) 07:12:22 ID: z5AHH0UOx9
袁紹・劉表「晩年老害化し後継者争い引き起こしてるのに名君扱いされてて羨ましい限り」
357 ななしのよっしん
2020/05/04(月) 23:13:17 ID: OO2hsW4aTO
袁紹は嫡男を決める前に死んだのが滅亡に繋がったが
二宮はそうじゃないからなあ…
358 ななしのよっしん
2020/05/11(月) 14:11:00 ID: UC9yCGvBWA
>>355
老害かどうかは兎も角、
呂壱と二宮で家臣団とその忠誠ボロボロにしたのはフォローできないと思う
359 ななしのよっしん
2020/05/31(日) 10:31:51 ID: 72Y9tW594j
孫権を君主としてみると人を観る目は十分あるけど人を遇する心は
劉備に比べると及ばないかなという感じがする
張昭をはじめ家臣に対しての皮肉の逸話も一面を突きつつ結構嫌らしい部分がある
その辺りは創業者と後継者の違いだろうか
360 ななしのよっしん
2020/05/31(日) 18:37:41 ID: tLszsbPDr4
張昭に対しては明らかに赤壁らへん以外にも色々根に持ってるよね
そういう意味では諸葛瑾はうまくやった
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。