53
1 ななしのよっしん
2010/10/30(土) 01:13:03 ID: oCY1ls+dHx
2 ななしのよっしん
2011/01/28(金) 23:57:08 ID: s7O92JGoNu
軍師連中が諍いを起こしまくって袁紹陣営が自滅した感じ。張コウを訳解らん使い方して投降させたりするし。
3 ななしのよっしん
2011/08/09(火) 21:19:16 ID: 0dLw53Gmvx
>>1キリのよい数字で天下の趨勢が決まる決戦…西洋史にも探せばあるかも。
>>2船頭多く船山登るってところかな。多種多様な人材を集めたまではよかったけど、彼らをうまくまとめる力が無かった。
4 ななしのよっしん
2011/09/13(火) 21:27:29 ID: Gfe0Z2XPHO
横山三国志ではまさかの一コマで終了。もはや伝説と言っていいのでは…
5 ななしのよっしん
2011/09/13(火) 21:30:58 ID: +j+gPYg8ki
>>4
タイミング的に丁度掲載誌が休刊になったからね
本人的には描きたかったみたいだけど
(十数年前の光栄の三国志本でのインタビューで言ってた)
6 ななしのよっしん
2011/09/26(月) 19:08:26 ID: KuaAg8Atjj
>>5
というか横光御大に光栄がインタビューしてたんだ、それに驚いた
赤壁までとは言え、アニメ横山三国志でそこは補完できるかな
7 ななしのよっしん
2012/11/09(金) 19:20:27 ID: kEVmEVk8qt
官渡の戦いの後、袁尚・袁煕を殺すまで7年かかってるんだよね。
汝南袁氏を完全に滅ぼすのは、並大抵のことではなかったんだなぁ。
万里の長城を越えるのも大変だったろうしね。
8 ななし
2012/11/09(金) 19:51:25 ID: IMwn4lhQmk
あんま関係ない話だけど当時の万里の長城がどれくらい整備されてたかによるんじゃない。
当時はまだ土を固めただけの粗末な壁だと思うし、けっこうそこら中崩れていたかも
9 ななしのよっしん
2012/11/14(水) 00:48:37 ID: kEVmEVk8qt
万里の長城を越えること自体より、寒さや食料の調達のしにくさが大変だったと思うんだが。
10 ななしのよっしん
2012/11/23(金) 02:31:18 ID: owf32GqlLG
>>7
しかも、メインの手段は正攻法でなくて「仲違いさせて漁夫の利を得る」という搦め手。まともにぶつかったら汝南袁氏がいかに厄介かを曹操が理解してたって事だろうなぁ。
11 ななしのよっしん
2013/03/17(日) 02:40:11 ID: OIve99bu1t
そもそも官渡合戦での袁紹の敗因は名士達の権力闘争だからね。
袁紹にしてもその下で蠢く名士連中にしても曹操なんか眼中になくて、むしろその後に訪れるであろう袁紹政権で主導権を握る事を考えて陰謀を巡らしているという有様。
田豊らの意見が退けられ、軍権まで剥奪されたのは袁紹の恣意によるものなのがほぼ確実で、それどころか袁紹自身が派閥抗争を煽って共倒れを望んでいた節すらある。
そんな軋みも含めて許攸が内情を暴露したなら、そら正攻法で攻める訳は無いね。
12 ななしのよっしん
2013/08/25(日) 01:14:12 ID: 0ONkM24OLx
三国志における天下の情勢を決める最も大きな戦であり
また孫策が直前に死ななければ曹操は南の孫策をも睨みながら事を進めなければならなかったためコレまた全くどうなるかわからない戦でもあった。
汝南袁氏を完全に滅ぼすのに7年掛かったがここも孫呉が孫策急逝の後でドタバタしてなければ官渡で勝った後も厳しいものとなったのは間違いない。
13 ななしのよっしん
2014/02/07(金) 18:35:07 ID: YnVLTsD9q2
曹操の動員兵力1万で、自領内での戦いなのに、袁紹軍より先に兵糧不足に陥りかけてるってのだが、
当時の中原が如何に世紀末状態だったのかってのを伺わせる
14 ななしのよっしん
2014/02/19(水) 20:45:25 ID: s6U7uQhcmj
曹操が飛躍した理由の一つに屯田制がよくあげられてる(と言うか史書にも書いてある)けど、生産力が軌道に乗ったのってずっと後のことだよな
兗州時代、許昌時代は外征時には毎度食糧問題が付いて回ってる
冀州を手に入れてからは安定してきた印象だけど
15 ななしのよっしん
2014/04/29(火) 10:47:11 ID: hRxv6/1tEp
三国志の官渡の戦い後の袁家の内輪揉めとそれを利用して曹操が滅亡に追い込む流れて大抵カットされるからね。
戦国物だと長篠の戦いからの7年すっ飛ばしていつの間にか武田滅んでるて扱いに似てる。
16 ななしのよっしん
2014/06/28(土) 19:36:53 ID: iPuw7/Og16
>勝った方が相手の領土を手に入れ、中華最高の勢力を誇る事となる
ここはやっぱり違うよなあ。
結果として官渡の勝者が華北・中原を制したの事実だけど、官渡で勝つことイコールそれではないし。
17 ななしのよっしん
2014/07/19(土) 08:51:55 ID: Z/sS3iq00U
袁紹が負けたのは田豊・沮授の策を用いなかったからだ→用いていたら勝ってたと
昔の俺は単純に考えてたな
田豊・沮授の策を用いていても、相手に読まれてしまって結局負けていたかもしれないのに・・・
もし歴史がそうなっていたら、郭図の策を用いていたらと、知った風に言ってたんだろうな・・・
どんなに優れてると言える策でも、相手に読まれて対処されたら負けるし
バカげてると言える策でも、相手に読まれなかったら勝てる。
結局勝敗を決めるのは相手に読まれるか否かって事が大きいと思う
官渡に限らずこういうのって多いよね。
「こんな事したらこういう風になるのは分かり切ってるだろww」←分かんねえよ!!
結果論で物言われるのは仕方がないとは思うし、それはそれで正しいとも思うんだが
「こうなるのは分かり切ってた」とする意見は出来るだけ言わないようにしたいものだ
18 ななしのよっしん
2014/08/02(土) 19:05:05 ID: x2Vp87oqza
官渡の戦いよりは、袁譚と袁尚のどっちかをブチ殺しておかなかったのが敗因
19 ななしのよっしん
2014/11/02(日) 00:46:58 ID: QKRdjiWGJz
曹操は合戦し不利であった(曹操用の「ボロ負けした」の表現)という記述があるので
気になって正史をもう一度読んでみた。
袁紹はイケメンとブサメンの二人を失う→しかし一度は大勝利を収め、曹操大ピンチ
→そこで許攸が裏切り、兵糧を全て焼かれるという致命的な打撃を受ける
→大軍であるため兵糧不足がさらに不利になり、
兵糧庫の戦いで捕らえた兵士の鼻を切り取るなどの曹操の心理戦の影響で兵の士気が下がる
→敗北、しかしまだ曹操に劣らない勢力
なわけかな。
しかも裴松之によるといくつかの理由で曹操軍もかなりの数であったとされているから複雑だね…
やはり袁紹の真の敗因は後継者争いだったような気がする
20 ななしのよっしん
2014/11/17(月) 01:10:02 ID: xKy+PIg8CW
決戦で負けたら中立・日和見勢力が大きく動くとかあるんじゃないの
曹操が呂布を倒す前に痛い目に遭ってたのをみるとそんな気がする
21 ななしのよっしん
2014/11/17(月) 04:29:05 ID: jP14HegPWF
>→敗北、しかしまだ曹操に劣らない勢力
>決戦で負けたら中立・日和見勢力が大きく動くとかあるんじゃないの
そうなんだよね。そして離反者を〆て回ってる最中に病死。
もし袁紹の寿命があと5年あったら曹操の命運は尽きてたかも。
22 ななしのよっしん
2015/01/03(土) 21:47:37 ID: x2Vp87oqza
曹操の寿命まで18年あるし、5年のびても同じじゃないかね
戦力差はともかく曹操も劉備に劣らないトンズラスキルの持ち主だし、仕留めるのは難しい
袁紹が死んだ瞬間に後継者問題でもめるの確定ってのはやっぱ大きすぎる
23 ななしのよっしん
2015/11/07(土) 18:24:45 ID: 9cQ1D3aH0o
侵攻のタイミング、渡河作戦、逆兵糧攻め、鳥巣での部隊展開…
調べれば調べる程袁紹の打った手は悪くない・・・どころか常識かつ理に適った戦術を採ってるんだがな。
いかんせん、戦術面において曹操が比類なき才と強運の持ち主だったのが痛い。まぁその辺が無い者に歴史の英雄はなれない、って事なのか。
24 ななしのよっしん
2015/12/14(月) 01:56:29 ID: 0ONkM24OLx
袁紹もそうだが孫策の天命も後1年、いや3ヶ月もあれば官渡決戦の最中に横槍が入って曹操は益々厳しい状況になり歴史が変わってたかもしれないな
そう考えるとこの時点でのもしもを考えると本当に面白い、まさにターニングポイントだったのだろう。
25 ななしのよっしん
2016/01/04(月) 20:34:31 ID: MfX62TjgW7
結果論になるけど、袁紹が田豊と沮授の献策を採用してればねぇ。
沮授はともかく、田豊は強情で上に逆らうってくらいだから採用したくなかったんだろうけど、自分に心地よい佞臣よりも耳に痛い者の声を採用する方が結果的にうまく行きそうだ。
官渡の戦い以前に袁紹の失敗は
袁術を形だけでも仲良くして生かしておかなかった
劉備が曹操に襲われてる時に助けなかったor許昌攻めをしなかった
官渡の戦いの時に曹操が戦続きでジリ貧だが、自分は勢力的に優位なのに持久戦じゃなく、短期決戦を挑んだ(まぁ寿命が近かったら致し方ないかもしれんけど)
後継者を明確に決めなかった
戦いに際しても
兵糧警備を十分にしなかった
簡単に考えるだけでこれだけ欠点があるんじゃねぇ。袁紹は無能じゃなかったけど曹操の方が機知・機転に優れ、部下の使い方・まとめ方、運のよさ、全て上だったのがまずかった。
26 ななしのよっしん
2016/02/07(日) 21:14:47 ID: x2Vp87oqza
後継者問題はどうにもならないよ
この家の後継者問題は「袁紹が後継者問題を起こした」のではなく「袁紹の後継者に問題があった」のだから…
27 ななしのよっしん
2016/02/21(日) 09:10:28 ID: 9cQ1D3aH0o
>>25
袁術を活かさなかったというのは中々おもしろい。
実際できたか?はさておき、袁術の趨勢が決定付くまでに手は打っておくべきだったかも。それを進言した部下の記録も無いし、外交的にも常道しか取れなかっったってのはあるかもね。
曹操は呂布張繍馬超果ては孫権までも外交的には上手く使って凌いでたもんなぁ
28 ななしのよっしん
2016/03/06(日) 02:54:01 ID: MfX62TjgW7
>>26
後継者に問題というよりか明確に決めなかったのが大問題。特に長男の袁譚に決定して、本拠地に配置しておけば良かったと思う。(結果、家康みたく大御所・将軍みたいな事をしない上、明確に後継者を決定せず、袁譚は本拠地から遠い青州に行かせて、かわいがってた袁尚を後継者にと匂わせてたし)。
※徳川家も秀忠が後継者をかわいがってた次男の忠長じゃなくて長男の家光にして安泰にさせたくらいだし。
>>27
袁術を形だけでも生かせておけば曹操を挟み撃ちにもできたし、劉備・劉表とも囲んで3方向から焦らず・じわじわ攻撃すれば(さらに張繍や馬騰なんかも巻き込めば)まず曹操は勝てないからね。(これが田豊の持久戦策じゃないんかな~と思う)。まぁ、袁紹に、ここまでの外交力・度量の大きさがあるかは疑問だけど。
29 ななしのよっしん
2016/03/26(土) 01:18:13 ID: fzZ2Rxs+EK
袁術活用は……、俺が当時の袁紹でも嫌だなぁw
あの人、敵に回すと小うるさくて厄介だけど、味方にしても役に立たないどころか足引っ張るもんw
厚かましいし、強欲だし、泣きついてくるから滅亡寸前を救ってやってもろくに感謝もせず、それどころか家督争いに手を突っ込んで引っ掻き回しそうだしw
この時期の袁紹は、勝利の自信もあったろうし、
「戦後」にも思いを馳せてたろうから、厄介なトラブルメーカーは曹操に潰させてその戦力を消耗させればそれが
もっとも好都合と考えたんじゃないだろうか。
30 ななしのよっしん
2016/04/09(土) 04:26:10 ID: MfX62TjgW7
>>29
いやいや、袁術の活用は曹操(あとは劉表)を倒すまでで、それまで攻めることはしなくても、背後を脅かしてくれるだけでも生かしとけばって事。
さすがに袁紹もそれくらいしか袁術をあてにしないだろうし、曹操と劉表倒せれば悪政を理由に滅ぼすだけ。
実際、背後に敵を抱えると結構怖いもんだよ(曹操も張繍攻めの時に呂布を懐柔してたし、袁紹領土攻めるときも背後を孫策や劉表に襲われるのを警戒してたし(結果的に攻めてこなかったけど))
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