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181 ななしのよっしん
2016/04/04(月) 06:19:01 ID: 63M4fu7Gz+
そんなに詳しく知らないにわか勢ではあるんだが
この人はなんかもう「たんに運が悪かった人」というイメージがあるわ
運を「状況」や「立場」と言い換えても通じるのかね
182 ななしのよっしん
2016/04/10(日) 14:34:42 ID: /jFePFfhaV
創造立志伝で大幅強化されたな。
183 ななしのよっしん
2016/05/29(日) 21:11:35 ID: JmCCBCfBQP
足りなかったのは寿命だけじゃないかな?
割と運はよかったと思う
関ケ原でも結果的には勝ち組に属しているし、アレがナニな状態の秀吉と縁が切れたのも結果から追えばはラッキーと言っていい
184 ななしのよっしん
2016/06/26(日) 20:35:53 ID: JxCO19FASu
寿命だよなー
関ケ原あたりの百鬼夜行なんて一部の例外除けば誰も彼も同じだし
死ぬタイミングが悪すぎたわ
185 ななしのよっしん
2016/08/25(木) 15:31:45 ID: 9JJyUghMo8
実質東軍として動いていたにも関わらず関ケ原本戦が始まってしばらく傍観してたのが痛すぎる
アレのせいで当時から小早川家臣の評判はあまりよろしくなかったようだし
186 ななしのよっしん
2016/08/27(土) 09:12:11 ID: yQMfMj/1Q9
>アレのせいで当時から小早川家臣の評判はあまりよろしくなかったようだし
小早川家臣団を批判する当時の史料? だとしたら貴重な史料なので文書名を教えてほしい
秀秋死後に一部の重臣の再就職が遅かったことを指しているなら、御家取り潰しへの抗議(戦国時代から江戸時代初期まではよく行われた)とか生活に困ることはなく急がなかったという可能性もある
187 ななしのよっしん
2016/09/04(日) 21:19:57 ID: 7JfVTUsMUl
なんか最近の研究だと、「開戦後しばらく傍観してた」ってのは間違いで、むしろ小早川勢と大谷勢の激突から戦端が開かれて、その後一方的に西軍が蹴散らされたって説があるんだって? 真田丸はどうなるのかね
188 ななしのよっしん
2016/09/18(日) 13:47:55 ID: doEcPoSPFs
関ヶ原に実際に行って笹尾山(石田三成本陣)と松尾山(小早川秀秋本陣)の両方に行ってきたけど、扱いの差が凄まじかったな。前者は道案内の看板もあるし、山頂まで5分とかからない所に駐車場があるのに、後者は看板も無いうえにロクに整備されてない山道を1時間弱歩かされた。
189 ななしのよっしん
2016/09/23(金) 03:04:46 ID: w8wO31XMea
190 ななしのよっしん
2016/09/27(火) 19:57:33 ID: nVoGuD3CWB
関ヶ原の裏切りで過剰に低評価されてる部分がなきにしもあらず・・・ではあるものの、北政所に大金せびってた形跡があったり、少年時代から酒ばっか飲んでて最近では若死にしたのもアル中が原因とか言われてたり、なんかやっぱり人としてダメだなぁという感じはする。
もちろん追い詰められるだけの理由はあったんだろうが。
191 ななしのよっしん
2016/09/28(水) 01:21:15 ID: doEcPoSPFs
幼少期から秀吉の一存で良くも悪くも人生を大きく左右されてきたから、多少なりとも人格歪むのも分かる気もするなあ。少なくとも史実の行動やあの派手な陣羽織を見るに、優柔不断なヘタレってのは違うと思う。
192 ななしのよっしん
2016/10/01(土) 20:29:41 ID: nAFOSyt+/k
TVドラマじゃどの作品も秀秋が三成に朝鮮出兵の時期に讒訴されて恨みを抱いている描写を全く見かけないし、秀秋が家康にビビって裏切る流ればかりなんだが何故だ?朝鮮での働きを見る限り小心なビビリとはとても考えにくいし、三成の讒訴への報復の機会を伺っていたというのが自然じゃなかろうか?
193 ななしのよっしん
2016/10/03(月) 12:28:11 ID: yQMfMj/1Q9
そもそも三成が小早川秀秋を讒訴したことを示す記録がない
三成は頭でっかちなイメージあるけど、当時の史料では沿岸警備で補給路を守った福島正則を讃えたり、秀吉の怒りを買った大名を助けたり、多くの大名の相談相手になったり交流したりで(真田丸で話題の真田信之とも仲が良かった)むしろ気遣いの人
小早川秀秋は別に三成を憎んでいたわけではなくて、単に次の天下人は家康だと見込んだのではないかな
そして戦後に宇喜多秀家の領地を任されたのは家康から信用されていたのだと思う
秀秋の死後に小早川家が改易されたことで使い捨てられた印象もあるが、
重要な土地は誰にでも任せられるものではないから、その人物が亡くなって跡継に不安を抱いたら改易・減封・転封して空いた土地を他家に委ねるというのは、秀吉も後の時代の江戸幕府もやってる
(潰された大名家は堪らないけど)
小早川家の次は家康の娘婿の池田輝政の家が治めたしね
194 ななしのよっしん
2016/11/13(日) 23:12:55 ID: JmCCBCfBQP
記録も何も、ほんとに讒訴したと考えてる人はいないだろう
「きっと三成の讒訴だ」という感情を抱いただろうな、という「推論」であって
後世の我々が史料で見てわかる三成像はどうでもよくて、秀秋から三成がどう見えていたか、どう誤解した可能性があるかというお話
195 ななしのよっしん
2016/11/15(火) 10:05:28 ID: JhV2in53iO
ただただ時代に翻弄されただけの存在ではないだろうか。
年齢的に為した事は神輿の如く担がれただけのお飾り、自分の意志とは無縁な生涯だったのではと思えてしまう。
関ヶ原以降は特に西側のヘイト集めに利用するために厚遇され、思惑通りで現代に至っているとか。
196 ななしのよっしん
2017/01/19(木) 01:08:20 ID: du01awOnH4
pixivの説明だと
子供の出来ない豊臣秀吉の養子になったと思ったら、子供が出来たので放逐され、
朝鮮出兵で手柄を立てたと思ったら、手柄を理不尽に奪われて大ピンチ、
その時に徳川に助けてもらったから恩を返そうと思ったら、近くで豊臣西軍が蜂起したせいで臣従せざるを得ず、
関ヶ原で意気揚々と徳川に味方したら、裏切りを予想していた大谷吉継に襲撃され軍は半壊
後生では臆病な裏切り者扱い
かわいそう
197 ななしのよっしん
2017/01/19(木) 01:42:43 ID: PGPCVtF9i1
大谷隊壊滅には脇坂の役割も大きい気がするが
小早川秀明一人だけが裏切り者扱い
198 ななしのよっしん
2017/01/19(木) 20:16:52 ID: /CkfMl4IDN
199 ななしのよっしん
2017/05/13(土) 02:12:48 ID: /m2UXHhOGq
ここ最近再評価されて合戦開始と同時に大谷勢に突っ込んでたと言う学者もいるし、従来の臆病者の裏切り者という評価は否定されてきてるから少しは浮かばれようか
200 ななしのよっしん
2017/05/25(木) 11:40:46 ID: yQMfMj/1Q9
子供の頃はなよなよしてたってイメージあったけど、実際は逆に武芸大好きかつ粗野な少年だったみたいだ
大陸で暴れた猛将の片鱗は子供の頃からあったのだろうね
それで秀吉に心配されて行儀よくしろと注意されたのだが、秀吉は秀秋に武将として大成することは期待してなかった――というよりそうなって欲しくなかったみたい
その辺りは豊臣の後継者問題が絡んでたのかな。注意されたのは秀頼が生まれた頃だから
201 ななしのよっしん
2017/09/12(火) 10:55:53 ID: bxHL4gl85E
むしろこの人ってドラマとかの福島正則的な
騙されやすい戦馬鹿の方が近いんじゃない?
202 ななしのよっしん
2017/09/12(火) 23:23:43 ID: yfOMh6rDI6
今だと西軍は本来松尾山を占領した小早川に対応しようと布陣した所横から東軍に殴られたって説もあるな。
こうしてみると関が原における小早川ってやっぱり重要なポジションだな。
203 ななしのよっしん
2018/05/05(土) 16:03:54 ID: j58bgvFTX+
戦場での功績もあるし内政でも悪政を敷いたわけでもない。
人品はともかく能力的にはもうちょっと高くてもいいだろ。
天翔記はさすがに高杉だが、将星録からもう少し高くしたくらいで。
204 ななしのよっしん
2018/11/04(日) 13:21:11 ID: yQMfMj/1Q9
武将としての戦働きに憧れて実績も残したから戦バカと言っていいかもしれない
十代前半で大酒飲みというところもドラマの福島正則に似てる気がする
なお寧々から注意されても飲酒を控えなかった模様
酒乱の性質ではなかったが、十代後半でもう肝臓がヤバくなって酒断ちしないと死ぬぞと天下の名医から警告されるも改めず、死因は酒飲み過ぎだと記録が残ってる
後継問題のストレスかなと思っていたが、調べても本人は後継者の地位に色気出してないし周りも秀秋を後継者にという動きはしなかった
諸々のことで秀吉や寧々から注意されたり処罰受けても全然気に病んだ跡がないし、素で我が道を行くオレ様だったのかも
205 ななしのよっしん
2018/11/21(水) 21:05:08 ID: yQMfMj/1Q9
連投スマン
岡山転封後の権力強化が上手過ぎてヤバイ
これで失敗した大名大勢いるのにどうなってるんだろう
206 ななしのよっしん
2019/04/08(月) 21:31:18 ID: lVpzd9DwHF
酒毒ってのはこの年齢の場合ほぼ暗殺や、戦国時代は
要は七光りで強気な不穏分子なんだよ
優柔不断じゃなくて年齢相応にイケイケ
秀頼から見ても家康から見ても生きていては困る人間だから誰に暗殺されたかは誰もわからんが、おそらく普通に大阪方に殺されたのではないかと思われる
関白をパクろうとしたのはそれだけで普通に死罪
207 ななしのよっしん
2019/08/19(月) 20:54:08 ID: 28OY+2pVZ7
きんちゃんのドォンで裏切ってみよう
208 ななしのよっしん
2019/09/04(水) 15:26:05 ID: sk3q8bzMOB
肖像画が悪いよ肖像画がー
そりゃ猛将と伝わる武将でもそうは見えない肖像画はあるけど、あんなのどう見ても虚弱で優柔不断で足りない顔だわ
もし清正や正則みたいな肖像画だったら呂布みたいな扱いされてたやろ
209 ななしのよっしん
2020/09/26(土) 03:56:30 ID: BZLqEKHWMf
>>az4845826356
「時代劇のウソ?ホント?」(リイド社、2005年)著者の藤原京氏の解説(102P-):
・石田三成の決起に応じ、全軍を率いて真っ先に駆けつけていて、関ヶ原の合戦の二ヶ月前、前哨戦である伏見城攻略に主力として参加。
・しかし、攻撃軍の三分の二を占める、秀秋を含む毛利勢を差し置いて、宇喜多秀家が総大将に任ぜられる。
・秀家の戦闘指揮は下手で、一ヶ月経っても城は落ちないが、それでも三成は秀秋に指揮権を渡さない。
・機嫌を損ねた秀秋は伏見城の陥落後、近江に進軍したところで停止し、病気と称して動かなくなる。
・困った三成は手紙を送り、西軍にとっての要衝の地である松尾山にいてくれるだけでいいと説得。
・東軍の徳川家康の方は、大垣まで進軍したところで、徳川秀忠の精鋭軍が予定日に到着しないのに大慌て。
・大阪城の増田長盛から秀秋と三成の不和を内報されていた家康は一計を案じ、松尾山の秀秋に、そこから動かずにいてくれと書状を送る。
・これにより秀秋は、松尾山から動かないでいるだけで、東軍西軍どちらが勝っても恩賞をもらえることになった。
・それ故、午前中は関ヶ原の合戦を傍観していたが、その後あえて東軍として動く決断を下す。
・感激した家康は「今後は秀忠と同じに扱う」と書いた感謝状を贈った。
210 ななしのよっしん
2021/04/09(金) 23:26:39 ID: H4tEwbzpvK
現実での秀秋の人物像が本当のところどうだったのかはともかく、ゲームでは戦国無双2の秀秋がちょっと面白すぎる。
鉄砲よりも半蔵よりも左近よりも怖いのは叔母上。
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