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1 ななしのよっしん
2013/03/16(土) 11:53:21 ID: A5hzNM0wNL
記事作成乙!
戦いの流れだけじゃなくて政治的な流れにも触れるとは素晴らしい。
2 ななしのよっしん
2013/03/23(土) 18:13:14 ID: JmP8WRH/RI
事実関係は間違ってるがな
3 削除しました
削除しました ID: dldiOPDpOn
削除しました
4 ななしのよっしん
2017/02/05(日) 10:24:10 ID: Ul+lhTOcX7
池田「俺を釣りたいんだろ?釣られてやるよ!」
鬼武蔵「義父の手伝いしとこ」
堀Q「後ろから銃声が…」
信吉「たっ助けてー!」
ほぼ同時期でこれとか
5 ななしのよっしん
2017/02/05(日) 10:50:37 ID: +FXfBlpwnA
池田・森っていう織田家の実力者二人がここで消えたのは
秀吉的にはやっぱり痛いより美味しい部分の方が多かったのかな
6 ななしのよっしん
2017/06/16(金) 08:47:45 ID: HH89ITIUqd
生き残っていたら、丹羽家処分の時に揉めたりすることはあったかもね
それと信雄たちと戦ったとはいえ、戦後の信雄・家康・北条の東海道ラインにもし池田まで加わったら天下統一までの流れと政権構造が違うものになったかも?
しかし池田・森が生きていたら美濃が安定して、戦後の家康陣営である信濃の切り崩しはもっと早く進んだかもしれない
7 ななしのよっしん
2017/09/29(金) 07:00:41 ID: 2MQy3bt+e5
ここで秀吉が本当に勝つ気があったなら家康が小牧山から抜け出したのを察知できなかったのは問題がある
8 ななしのよっしん
2017/10/10(火) 16:40:25 ID: nOwhShDp2V
中入り作戦は兵力差見るとわかるんだが徳川家康・織田信雄は軍のほとんどを中入り軍との戦いに
当ててるんだよね。つまり小牧山城はもう最低限の兵力しかいない
状況で、当然秀吉が連動して攻めきたらほぼ間違いなく落城していた。
恐らく秀吉の当初の狙いとしては、家康本拠をつくことで、
信雄、家康両名を事実上分断する予定だったのだと思われる。
つまり秀吉VS信雄、秀次(+池田森堀)VS家康という
展開にもっていきたかった。家康を分断した後で、信雄を潰し、
後から主軍+中入り軍で家康を潰す各個撃破の戦術を取りたかったのだろう。
が、秀吉の思惑は外れて、織田信雄もほぼ全軍を率いて家康と同一行動を取り、中入り軍を襲撃してしまった。
その後の手際の悪さを見る限り、秀吉は最後まで信雄・家康がどれくらいの軍勢で中入り軍と戦っていたのか
その数を測りかねていたんじゃないかな。家康の神算か、信雄の博打かは不明だけど
9 ななしのよっしん
2018/07/15(日) 18:01:37 ID: i/GDwKcL4K
家康・信雄連合軍ってこの戦いで秀吉を完全に倒すことって可能だったんだろうか
10 ななしのよっしん
2018/07/19(木) 16:55:40 ID: ulDk6FJUi/
無理だな、そもそも兵力差が違いすぎるし
桶狭間、長篠みたく豊臣の重臣が大量に死亡すれば別だが、それができる状況作り出すのは難しい
11 ななしのよっしん
2018/08/16(木) 03:47:18 ID: 1o1CE7vK4a
所詮は今川+武田程度の国力しかない徳川と、旧織田の豊臣だと国力差が二倍近くあるからなぁ
逆にいえば二倍程度だと局地戦では勝てない事も多々あるのは歴史のふつう
かの赤壁の…はい
12 ななしのよっしん
2019/01/02(水) 21:17:16 ID: QY4UwMgXGC
当時の徳川と羽柴とでは2倍近くどころか5倍程度の国力差があるぞ
同盟相手の織田と合わせても3倍近い差があるし
13 ななしのよっしん
2019/06/01(土) 10:57:37 ID: HH89ITIUqd
とはいえ秀吉は四方の敵と同盟勢力の毛利家にも備えて有力武将含む戦力を分散してた
時期によっては尾張戦線や近畿西部で反秀吉側の戦力が上回ったりしたこともある
それで秀吉自身は主力軍と共に東西往復を何度も強いられたしね
秀吉陣営は良く凌いだと思う
この時期の宮部、仙石、杉原、浅野の活動は地味だがもっと評価されるべき
14 ななしのよっしん
2019/09/24(火) 01:31:58 ID: JD/tHgEgey
思ったんだけど小牧・長久手で家康が戦ってる訳だから甲斐・信濃は戦力があんまり無いと思うんだけど末森城の戦いで佐々成政が動けない間に上杉景勝に徳川領の甲斐信濃に攻め込ませればよかったんじゃねーかなまたは北条氏政に攻め込ませるとかで家康は終わったんじゃないか?
15 ななしのよっしん
2019/09/28(土) 20:02:23 ID: TMs+U+xpKU
>>14
秀吉包囲網の記事見ればわかるが、秀吉は甲斐信濃方面にも手を伸ばしてる
小牧の同時期に木曽義昌が徳川家康から離反。保科正直らが討伐軍に赴くが敗退。
翌年には、有名な真田昌幸が離反。上田城合戦に続き、ここでも徳川軍が敗退。
そこから石川数正、小笠原貞慶など徳川軍にはボロボロ離反が相次いで
講和と言う名の事実上の臣従に至る。つまり家康が秀吉に臣従したのは
信濃戦線の崩壊が一因にある。ちなみに北条氏政は徳川家康の同盟者で
どっちみち沼尻で秀吉方の佐竹義重、宇都宮国綱と戦ってるから動けない
上杉景勝は、この頃目下の新発田重家の反乱に苦慮中。秀吉も要請したが
景勝は動けなかった。この新発田重家の反乱は、蘆名盛隆、伊達輝宗が援助しており、
最終的には盛隆(1584年)、輝宗(1585年)の不審死による
蘆名伊達同盟の壊滅まで景勝が優勢に転じることはなかった。
16 ななしのよっしん
2020/05/16(土) 21:01:29 ID: eMnbxk/ERp
歴史蕃組でちょろっとやってたけどこの戦い、結構三方ヶ原と被るよね
信玄も中入りというか浜松無視で先に進む振りをして、家康を三方ヶ原に釣り出した
秀吉の狙いも案外信玄と同じだったりしないかな?
中入りは陽動で、家康を釣り出して中入り軍と本隊で挟み撃ちにするのが当初の狙いだった
ところが家康が出てくるのが思ってたより遅かったのか早かったのか、中入り軍は立て直す機会を、秀吉本隊は連携する機会を失って逆襲された
まあ秀吉の狙いが何だったにせよ、家康に関しては三方ヶ原で狙ってた坂の途中で背後から強襲する作戦とこれは似てるように思う
17 ななしのよっしん
2020/05/23(土) 10:45:32 ID: lOA2uLPzSz
重要なのはタイミングではなく軍の数。
羽柴秀吉は中入り作戦で一貫して家康の名前を出しているから
おそらく目的は織田信雄、徳川家康を分断すること。
家康を小牧山城から外して池田恒興らが一戦に及び、
その間に自分が信雄を懐柔するなり倒すなりして、
徳川家康1人にターゲットを絞って対処できるようにしたかった。
問題なのは、ここで織田信雄の軍までもが家康に追従したこと。
織田徳川軍はほぼ全軍で別働隊を追いかけ、逆に小牧山城はほぼスッカラカン
前線基地にすぎないとはいえ小牧山城を取られるリスクを負ってでも
別働隊の壊滅に全戦力を投入された結果、想定以上の数によって
羽柴秀次が大敗し作戦全てが台無しになった。恐らく池田や森の
行軍速度を見る限り、途中で徳川軍と戦うことになるのは想定してる。問題は信雄率いる織田軍まで来たこと。
18 ななしのよっしん
2021/05/23(日) 03:45:08 ID: 1o1CE7vK4a
この頃の羽柴軍って指揮官クラスの人材がマジでいないよな。
経験不足の元足軽(七本槍)か旧織田重臣のロートルばっかりだから、賤ケ岳みたいな一極集中戦ならいいが方面軍になると官兵衛がいないとか利家がいないとか丹羽病気とかでボロが出る。
それに対して徳川は姉川・長篠はじめ∞経験値で脂が乗りきってる第一軍なんだよねぇ。当時日本で一番死線をくぐり抜けてきた軍隊と言っても過言ではない
長久手での勝利は家康本体のガチンコより何より榊原・大須賀らの最初の迅速な包囲奇襲が120点の成果出したのがデカい。
19 ななしのよっしん
2021/12/07(火) 17:36:58 ID: DkDU2LEZfi
端的に言えば外線作戦の破綻の象徴的な戦い
秀吉の頭の中↓
羽柴秀吉 VS 織田信雄
池田恒興 VS 徳川家康 (実際の総大将は羽柴秀次)
実際に起こったこと ↓
羽柴秀吉 VS 誰もいないじゃん・・・
池田恒興 VS 徳川家康+織田信雄
20 ななしのよっしん
2021/12/07(火) 17:47:21 ID: DkDU2LEZfi
実際の総大将は羽柴秀次 → 秀吉方の実際の総大将は羽柴秀次
羽柴秀吉の頭の中にあった作戦の目的は、織田信雄と徳川家康の分断、
これに尽きる。のちに滝川一益と九鬼嘉隆を使って水軍で蟹江城を
強襲させた時も同じ。蟹江は信雄の伊勢長島と家康の清洲の中間だからな。
一貫して秀吉は信雄と家康の分断を狙い続けてるので、この戦いの目的も
自然とそうなる。羽柴秀次+堀秀政+池田恒興+森長可を切り離して
家康にあて、自らは小牧の信雄にあたる。数に勝る自軍が膠着状態になればよし、
家康が別働隊を無視するなら、空白の三河を蹂躙するもよし、
家康が別働隊を追撃すれば、信雄を見捨てることになるから不協和音が生じ、
さながら古の馬超と韓遂のように連携を欠く擬似離間の計になる。
つまりこの戦いで一番の大ポカを演じたのは、誰であろう秀吉本人。
21 ななしのよっしん
2021/12/07(火) 18:07:45 ID: DkDU2LEZfi
この戦いで羽柴秀吉は7万もの大軍を遊ばせて、むざむざと別働隊を無意味に壊滅させてしまった。
当初の作戦案通りに従えば、自軍が織田信雄の軍勢を拘束、膠着しておかねばならない。
それは別働隊の動きからもわかり、羽柴秀次の別働隊は4月6日の夜に
出発したが、小牧山から目と鼻の先(10km)の春日井で2泊も宿営している。
奇襲が目当てならこんな悠長なことはまずしない。明らかに家康に見せつけて誘っている。
家康や信雄が小幡城(秀次宿営から5km)に入ると、ようやく秀次が動いているわけだから
明らかに家康に付かず離れず、三河方面にズルズルと引きつけるのが目的だったのがわかる。
なお、Wikiもここもそうだが、羽柴秀次本隊を壊滅させたのは、信雄+家康連合軍の
別働隊としているが、秀次軍が壊滅した白山林は信雄+家康がいた
小幡城から6.9kmしか離れていない。信雄+家康連合軍全隊で揉み潰されたのが正しいと思われる。
22 ななしのよっしん
2021/12/07(火) 18:19:16 ID: DkDU2LEZfi
この一連の戦いでは、桧ヶ根で堀秀政が、榊原康政ら敵の別働隊を撃破するも
敵の本軍が迫っているのを知って一気に撤退したという話が伝わる。
ではなぜ、堀秀政は家康を誘うのが作戦目的と知っていながら撤退したか?
それは言うまでもなく、家康だけではなく信雄、つまり信雄家康連合軍が
総出をあげて羽柴方の別働隊を壊滅させに来たこと察したからである。
別働隊だけで敵の本隊を破るというのは不可能に近い。歴史上、殆どない。
1806年にフランス皇帝ナポレオンの部下だったダヴーが、2万7千の
支軍で6万3千の敵本隊を破ったが、この時ですら敵の兵力は分散していた。
Wikiでもここでも堀秀政は家康の馬印を見たから撤退した、とあるが、
家康の誘導が目的なのに家康の馬印を見て逃げる奴はいない。信雄が来た(≒敵全軍が来た)から逃げたのだ。
23 ななしのよっしん
2021/12/07(火) 18:37:17 ID: DkDU2LEZfi
さて、信雄+家康連合軍は全軍総出で4月9日に羽柴方別働隊を
ボコボコにしていったわけだが、当の秀吉は4月9日早朝から小牧山城を
攻囲していたものの、昼頃になって秀次隊の壊滅の報せを受け、
竜泉寺方面に軍を引き連れて向かっている。ここでは
「家康を誘導させることができたから成功」とあるが・・・・
なんのことはない、どう見ても失敗である。家康の誘導以上に
「家康と信雄を分断すること」が目的だったのに、一緒になって
出撃されて、別働隊をボコボコにされてしまったのだからどう見ても失敗だ
ちなみに徳川顕彰の軍記などでも、この時信雄は小牧山にいたとか
戦況を理解できていないとしか思えない逸話があるが、仮に徳川軍が単独で
別働隊を追撃していたら、秀吉の目論見どおりになって家康は敗北していた可能性が高い。
24 ななしのよっしん
2021/12/07(火) 18:51:18 ID: DkDU2LEZfi
纏めるとこの戦いは
「天才と言われた羽柴秀吉が愚物となり、
愚物と言われた織田信雄が天才となった」
あべこべ戦争である。
この戦いで一番冴えていたのは、秀吉家康信雄という当事者3人の中で一番アホだった織田信雄だ。
三河に領地を持つ徳川家康が、手薄な本領三河に向かう軍団を無視できるわけがない。
しかし織田信雄は尾張の領地を空にする危険性を顧みず、三河を狙う別働隊撃滅に全軍を差し向けた。
もし織田信雄がその後天下を取っていたら、空城の計として講談に広く伝わっただろう。
有能無能の二元論では説明できないのが、この戦いの面白さだ。天才が凡将に翻弄された戦い。
25 ななしのよっしん
2022/07/31(日) 07:45:08 ID: fm5B1waYuF
ぶっちゃけ徳川が「秀吉に勝った」って喧伝しまくったからなんかすごい戦みたいに思われてるけど、しょせん局地戦で勝っただけで、その後の流れを見ると戦略的には完全に負けてるというのがなんとも……
逆に言えば、「ただ戦に勝っただけではダメ」と徳川に学ばせて、一戦国大名から脱皮する材料になった、と考えることもできるかもしれない
26 ななしのよっしん
2022/07/31(日) 07:56:18 ID: kaJwxWz18/
ロシアとウクライナの戦争の終わらせ方というテレビ番組で
元自衛隊幕僚長の人がこの戦いを一例に上げていたな。
戦闘では家康勝利だが、それで秀吉の行動を抑止することができず
秀吉の政治活動により結果的に家康敗北という。
強さ比べという意味では残念な戦いだけど、広く軍事というものを考えるときには重要な戦いなのかもしれない。
27 ななしのよっしん
2022/08/22(月) 03:26:54 ID: 1o1CE7vK4a
とはいえ家康が戦術的に負けてたら普通に滅亡してるので‥‥
滅亡の可能性のある三河武士が簒奪者秀吉に一泡吹かせた
という、江戸幕府史観は別に間違ってはいない
28 ななしのよっしん
2022/11/02(水) 21:40:14 ID: 6Qkn66FaHi
上にもあるとおり、国力・兵力ともに織田徳川方は圧倒的劣勢だったからね。
池田恒興と美濃国が残ってたらそれなりの勝負になってたかもしれないが、調略された時点で戦略的勝利は無理(そして家康ではどうしようもできない要素でもある)
ここまでの戦力を揃えた秀吉は言うまでもく凄いが、その中で十分に抵抗し、地震という不幸中の幸いがありつつも、減封なしの臣従講和に持ち込めたのは家康の手腕と政治力だと思う。
29 ななしのよっしん
2022/12/25(日) 20:22:22 ID: Yr1Ag7KTS+
秀吉と家康、二人の天下人を歴史的に成立させるならこの結果以外あり得なかったからある意味最良の結果
ただ後世の我々の視点でみるとここで秀吉が大勝利して家康を地方大名に落としたとしても豊臣政権が長生きできたように思えないし、逆に家康が大勝したとしても江戸時代が延びるだけの事でしかない気もする・・・
30 ななしのよっしん
2023/03/14(火) 20:04:26 ID: d3DV+ydy8l
地球防衛軍やってるとよくやらかすよな
「敵の一部を釣り出すぞ!」
↓
「全員来ちゃったテヘペロ(チーン)」
↓
作戦失敗
まさにこれ。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。