233
151 ななしのよっしん
2017/05/02(火) 16:12:32 ID: P5XNweRMdG
脳筋のイメージ強いけど
普通に軍指揮官として関羽より優秀だからな
そら死ななきゃ軍閥築いて権力持ってたろう
152 ななしのよっしん
2017/05/31(水) 15:57:05 ID: //mDIMLnju
益州攻略戦でも漢中攻略戦でもそうなんだけど、あの時代に数万の軍を率いてちゃんと目的通りの場所に着いてそこで戦略的軍事行動できるって、並の能力じゃ務まらんのよな。相当に知的作業も要求されるし、具体的には一日に何十本も命令書書いてそれを伝令で伝達して、もちろん予定通りに行かないこと多いから予定を修正して。
最近ネットで三国志ファンが張飛の実像に迫ろうといろいろ努力してるけど、武勇が人並み外れてて、規律に恐ろしく厳格で、事務能力にも優れてた、ってとこなんだよな。
ただ、あまりにも苛烈な秩序維持にサディスティックな虐待癖が加わったのがあの最後になったと。
だから、創作での陽性な張飛像とは結構対象的と言うか、歴史物の創作で例えようとしてもあまり適当な有名キャラがいないような人物像っぽい?
153 ななしのよっしん
2017/06/28(水) 21:04:44 ID: LbKh+UPxL1
154 ななしのよっしん
2017/07/08(土) 00:13:07 ID: bUCmqQPVpR
長坂の曹操軍相手に橋で仁王立ちでかかって来いやァ!とか暫く演義の創作かと思ってた
155 ななしのよっしん
2017/10/05(木) 04:39:54 ID: bCmd09l50s
>>149
菅沼遼太じゃあるまいし信長が知略50以下とか無理やろ
>>146
三国志平話はむしろ張飛の活躍が華々しいくらいだからね
まあ平話は張遼が知勇兼備で軍師も兼ねるような史実無視だけど
演義で呂布、関羽、張飛がほぼ横並びにされたのは関帝信仰もあったのかもな
そういえば平話では諸葛亮も頼りない。演義の超人諸葛亮とは対照的だ
156 ななしのよっしん
2017/10/11(水) 13:11:21 ID: EqKJBHPuw7
諸葛亮は花関索伝でも頼りないな
まぁあれは張飛だろうが関羽だろうが関索以外の登場人物がみんな頼りないが…
157 ななしのよっしん
2018/02/18(日) 12:22:24 ID: J9j5AvIOLD
実際、長生きしてたら諸葛亮と上手くやれてたのかな?
足を引っ張りあってたのか?足並み揃えて北伐に励んでいたのか?
158 ななしのよっしん
2018/03/20(火) 07:59:38 ID: eA18jgghVK
無双8で初めて死亡シーンが直接描かれたけどやっぱり残念な最期だな
夷陵で暴れまくった結果の壮烈な戦死とかなら格好付いたんだけど
159 ななしのよっしん
2018/03/24(土) 22:45:41 ID: EPRp+uYVQT
長生き云々で思い出したが、張飛って実は演義のイメージより若いんじゃないかって言われてるよな
正史の見せ場の初登場は、呂布を劉備が曹操と一緒に破った時だから198年以降。
若くして劉備に仕えてる割に、最初に出てくるのが198年ってのはおかしいんじゃないか?って
演義では黄巾の乱や虎牢関の戦いから出てきてるが、正史ではそんなのはない。
関羽と張飛はいったいいつから劉備に仕えていたのか?
160 ななしのよっしん
2018/04/25(水) 16:27:50 ID: EqKJBHPuw7
関羽と同タイミングの黄巾討伐(184)の際に劉備に仕えて身辺警護役になってる、且つ既に亡命者になって姓名変えてた関羽が張飛より「幾つか年上」ってことからするに、その時点で若くても十代後半ってところじゃないか
161 ななしのよっしん
2018/05/19(土) 11:38:30 ID: a0x235h8zc
正史で関羽の功績が出てくるのは劉備が平原相になってからで
劉備が平原相になるのは劉備が公孫瓚を頼ってからなんだよね。
これが191年。関羽の初出が191年で、張飛の初出が198年、
あと、蜀の演義五虎将軍で唯一生年がわかっている馬超の初出が192年。
馬超は176年の生まれだから、正史の記述を含めても、
関羽と張飛の生年はこの前後なんじゃないかと疑ってる
162 ななしのよっしん
2018/06/05(火) 14:35:35 ID: EqKJBHPuw7
流石に170年代生まれってことは無いんじゃないか、募兵に応じた時点での年齢が若すぎる
161年生まれの劉備に兄弟の様に愛され、張飛と関羽の二人で護衛として就いたってことはその時既に18~20代前半だろう
163 ななしのよっしん
2018/06/07(木) 21:44:44 ID: lwpmFyKCzn
>>157
「君子を敬愛して小人を憐れまず」という張飛の性格から考えて、諸葛亮とは上手くやれていたと思う。
164 ななしのよっしん
2018/06/11(月) 23:22:09 ID: dp4vRsOMFR
165 ななしのよっしん
2018/06/20(水) 19:26:12 ID: a0x235h8zc
>>162
「先主為平原相,以羽、飛為別部司馬,分統部曲。
先主與二人寢則同床,恩若兄弟。而稠人廣坐,侍立終日」とあるから、
関羽が劉備の護衛をしつつ、兄弟のように愛されたのは劉備が公孫瓚の
部下として活動していた時期だと思う。ここから逆算すると、
191年当時関羽は大体20歳と仮定して、生まれが171年なのは辻褄としてはあうんじゃね?と思う。
あと、正直、関羽張飛のその後の扱いがひっかかる。正史では桃源の誓の類は特に記述がない。
にもかかわらず、張飛の子孫は娘が劉備の息子、すなわち蜀皇帝劉禅の室となり外戚化した。
そして関羽の子孫は、息子である関興の子、関統が劉氏を娶り、これまた劉禅と親族化している。
関羽や張飛が演義くらいの年齢だったら、なぜここまで重用されたのか謎が残る。
翻って、関羽や張飛は比較的若く、その生涯の殆どは劉備の輔弼に捧げられ、
なればこそ兄弟、家族のような関係を劉備と築けたのではないか?と想定する
166 ななしのよっしん
2018/08/19(日) 18:01:42 ID: bUCmqQPVpR
>>163
張飛主観では上手くやれている認識になるだろうけど、諸葛亮視点ではわりと頭痛の種な気がするぞ
同じ性格・性能のの三下がいたら絶対に重用はしないだろうし、なんなら殺しても不思議じゃない
167 ななしのよっしん
2018/10/10(水) 20:13:58 ID: Ax/38pnVEk
張飛は士大夫には頭を下げてるんで、
諸葛亮とはうまくやっていけたと思うよ。
むしろ、関羽の方が諸葛亮と仲違いしそう。
168 ななしのよっしん
2018/10/11(木) 08:12:12 ID: dvEY7KZS2q
>>165
んー、彼らの勤続年数を考えれば実年齢にそこまでの関連は無いのでは?
諸葛亮の子供も劉禅の娘を娶ってるし、有能な重臣に嫁がせるのは普通だしね
ましてや外戚の層の薄い劉備ならなおさら
169 ななしのよっしん
2018/10/16(火) 04:11:28 ID: jURhr8aE6M
張飛をハルヒって言う奴は毛利元就をオクラって言う奴と同じレベルで臭い
170 ななしのよっしん
2018/12/13(木) 17:58:22 ID: o33P63YPiu
どうあがいても絶望という状況からの
「頑張れ!張飛が参った!」ほんとすき
171 ななしのよっしん
2019/01/04(金) 23:20:56 ID: yBjnaemuUH
挙兵の時点(たぶん黄巾の乱)で護衛として仕えてるんだから
171年生まれはないよな…
172 ななしのよっしん
2019/01/21(月) 23:11:41 ID: OMLvxGSqoc
>>152
張飛=敏腕用兵家像は最近ネットで見かけたけど、部下に過酷だったって評への印象が変わったな。
というか張飛って、最初から軍律を叩き込まれた兵士を統率させたら、真っ当な名将と呼ばれたんじゃないかな。
173 ななしのよっしん
2019/01/22(火) 16:47:50 ID: a6ACKApN73
>>172
そもそも「萬人敵」という評価の時点で当時の方が名将扱いですね
これが当時の故事に詳しい軍師からの評価である事を考えれば一騎当千の凄い版みたいに解釈するのはむしろ不自然で
項羽が兵法を学ぶ故事に準えてる以外の解釈は有り得ないんですよ(呂布への「飛将」という評価も似た様なもの)
張飛の実態については
軍律に厳し過ぎる酷吏に近いものだったんじゃないかと想像してます
張飛の子供が文官になったのもそういった父親の側面を継いでいるからなのではと思ったりもします
174 ななしのよっしん
2019/01/24(木) 10:55:47 ID: +kUXqNgd6W
横山三国志を読むに最期裏切られて殺されたのが完全な自業自得としか思えんのだが……
正史や他の媒体だともうちょっと同情できる末路だったのかね?
というかあんな奴の仇討ちに燃える劉備……
入蜀の際、厳顔を破って味方につけた張飛は格好良かったが
175 ななしのよっしん
2019/02/01(金) 23:12:08 ID: bUCmqQPVpR
張飛の自業自得的行動はほぼフィクションで、正史ではほんとにいきなり死んでる
記載が簡素すぎて同情しにくい
部下の扱いにいきすぎがあるのを劉備が日ごろから注意していた記載はあるけど、張達たちに何かした記載は無いからそれとこれが関係あるのか分からない
フィクションの類では気のいい脳筋馬鹿だが、馬鹿という点をおいても正史を読むと性質も真逆の寡黙な鬼軍曹が見えてくる
176 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 14:36:03 ID: bUCmqQPVpR
とは言えあれだ
>>173の「一騎当千の凄い版みたいに解釈するのはむしろ不自然で」てとらえ方もズレてる
正史でリアルで無双してるのはたった二十騎で「是张益德也,可来共决死!」なんてやらかした張飛の他は張遼くらいだし、>>173の言ってるのとは違う意味(死に際の大暴れ)で項羽を連想させる
177 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 17:39:17 ID: a6ACKApN73
>>176
>>173だけど、別に張飛に個人の武勇が無いなんて一言も言ってないよ。「萬人敵」という評価の理解について書いているのであって、当時から単なる脳筋扱いじゃない証左としているだけだから。
張遼を例に挙げてるなら、正史無双したその張遼に脳筋のイメージが薄い事からも私の言いたい事が分かると思うんだけどねえ。
178 ななしのよっしん
2019/02/23(土) 18:13:40 ID: a6ACKApN73
調べるまでもなく
中国史において同じく「萬人敵」の評価を受けているのはまさに名将と呼ぶに相応しい韓世忠ですからね
言葉の意味を大切にする中国において故事の持つ意味合いは大きいと思います
179 ななしのよっしん
2019/06/21(金) 02:51:37 ID: Vtq5Lfr58N
>>171
黄巾の乱自体が長期化していること
反董卓連合との戦いに参加していないことを考えても
184年の黄巾の乱ではなく192年の兗州刺史である劉岱が
戦死した青州黄巾党との戦いの時期というのが若年説の根拠
当時劉備が身を寄せていた公孫瓚がこれを撃退している
つまり184年の時点で護衛していたのではなく
192年の時点で劉備の護衛をしていたのが関羽、張飛
逆算すると175年生まれまで遡れる
180 ななしのよっしん
2019/06/21(金) 06:16:07 ID: XKKtcSqLlE
正史・関羽伝にこうある
「先主於郷里合徒衆、而羽與張飛為之禦侮。先主為平原相、以羽・飛為別部司馬」
(劉備が郷里で徒衆を糾合した時、関羽は張飛と禦侮(護衛)をした。劉備は平原相になると、関羽・張飛を別部司馬とした)
劉備が平原相になったのは191年。つまり192年には護衛どころかとっくに次の段階まで出世してるわけ
つまり>>179の説は大間違いと言わざるをえない
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