25
<<
<
>
>>
1/1
1 ななしのよっしん
2010/04/11(日) 01:33:43 ID: pD3BRuAkNh
>最後まで振り落とされず無事乗り切った者は満場の喝采を浴び、後世まで語り継がれるヒーローとなります。
マジデ?!
2 ななしのよっしん
2010/04/12(月) 07:42:07 ID: I/2SU6uQUg
3 ななしのよっしん
2010/04/12(月) 10:14:06 ID: cb/CqPiX9N
だれも亡くなる事無く祭りが終わったらすげぇ!っていう世界ですからね…
4 ななしのよっしん
2010/04/12(月) 23:08:28 ID: vphh8IlXOd
見に行ったよ!
11日の一本目(秋宮三?)だけしか見れなかったけどねー
来年就職すると、職業柄多分次見に行けるのは老後とかになりそうだから見れてよかった!
>地元の御柱祭に対する想いは強く、御柱開催年は御柱一色となる。
これすごく伝わってきたなぁ。
良い祭があって他県出身の俺には羨ましかった
5 ななしのよっしん
2010/05/08(土) 23:18:24 ID: vt92dr8J3D
死者2人出たみたいだな・・・
6 前宮一の氏子
2010/05/12(水) 00:10:08 ID: ghKPIxZ4wv
諏訪大社スレからのコピペ
地元では確かに「御柱で死ねれば本望」的な空気があるよ。
目処梃子(メドデコ・詳細はググレ)に乗れて初めてジモピーとして受け入れられる、みたいなのも。
けどね、ホントにそれで死んじゃって良いとは誰も考えてないと思うわけよ。例えお祭りでも、死んじゃったらそれで終わりよ。残された人間は「ああ、御柱だから仕方ないね」とは思えないんじゃない?
主催者側も努力したよ。上社も下社も木落し坂をフラットにして柱が暴れないようにしたりとかがんばったよ。
山出しで安心し、油断しちゃったんだね。建て御柱で死者が出てしまうとは思ってなかったんじゃない?
けどね>>133の「25時間後の死者」も建て御柱なんよ。その教訓が生かされなかったのは残念。公式では無いがため、参考にしようが無かったんだろうね。
御柱祭はなくならないでしょう。
諏訪の平ら(←何故かジモピーはこう呼ぶ)の捌け口だから。そのおかげで、昔どんなに年貢が上がろうと諏訪の平らでは一揆が無かったらしいよ。
あと、亡くなった方に心よりご冥福をお祈りします。いや、本当に。
7 ななしのよっしん
2010/10/26(火) 17:41:24 ID: QHW5p+aSS3
御柱祭の有力な起源として延暦23年(804年)らしい。
となると1200年以上続いている祭ということになる。
8 ななしのよっしん
2010/11/09(火) 00:17:51 ID: I4T6jW304O
御柱自体は建御名方神以前の国津神の信仰。
元を辿れば縄文時代まで行き着く。
現在のような祭の形態になったのはいつか不明だけど
巨木を立てるの自体は、その頃からじゃないかな。
9 ななしのよっしん
2013/11/30(土) 21:36:49 ID: 1iDkE7Zpal
>>sm19808393
4:46~
死傷者:ゼロ
10 ななしのよっしん
2014/07/20(日) 23:38:25 ID: H3tXXRPKfR
理解できないなぁ
死ななきゃ恥、みたいなのって狂気的だよ
逆に、人付き合いの苦手な人でも参加すれば名誉が得られたりすんのかね
大体、田舎だとよそ者が大成するのは並大抵じゃないから、それだったらある意味楽ではあるんだろうけど
11 ななしのよっしん
2014/08/26(火) 21:06:43 ID: BWsZAUyjkE
>>10
???そんなこと書いてなくないか…?
死ななきゃ恥≠死んでも本望
そのくらい思い入れのある祭りということだろう。
この違いは分かってほしいね。
少なくとも御柱で死ななきゃ恥、みたいな感覚、地元には無いと思う。
長野五輪開会式でも取り上げられた由緒あるお祭り、そんな風に思われるのはあんまりだ。
今後とも御柱祭が負傷者が少なく、恙無く執り行われるよう祈ってるよ。
12 ななしのよっしん
2014/10/08(水) 00:04:38 ID: dnmLjfZPsh
>>11の指摘が的確すぎて、>>10が盆暗過ぎて吹いたw
お前(>>10)はこの記事のどこから「死ななきゃ恥」なんて読んだんだwww
ちなみに、歴史に浅薄なんだろうが、元々日本人て祭に関しては昔っから
「死んでも本望」って民族だぞ。
御柱祭は古来からの形式を残してるから、現代でも「死人が出る」ってだけだ。
13 ななしのよっしん
2015/08/11(火) 22:30:05 ID: NJJ5iNaUET
程度の差はあれ、人死にが出てもおかしくないような荒っぽい祭は結構あるしな。
御柱祭は伝統を色濃く残してるから、現在でも人死にの可能性があるくらい
危険度が高いって話であって、別に死ぬためにやってるわけじゃないし。
14 ななしのよっしん
2016/02/11(木) 16:02:18 ID: ndQFqUC4Ci
どうしよっかな〜見に行こうかな
15 ななしのよっしん
2016/02/12(金) 16:05:46 ID: 1WmjrKIY2b
御柱で死人が出るときは大体その人の不注意で起きる。
前回の建御柱で亡くなってしまった人は安全帯をしていなかった。
本当に恐ろしいのは上社で行われる、御柱の抽籤式。
毎回抽籤総代という役割の人が決められていて、
前4(一番後ろからスタートする柱)を引こうものなら、
ご先祖様の墓石を倒されたり、動物の死体を玄関に置かれたり、最終的にそこに住めなくなってしまうほど追いやられる。
まぁすべての地区がそうだというわけではないが。
前回の御柱であった本当の話。
16 ななしのよっしん
2016/04/03(日) 20:27:49 ID: hhMZPoCMvb
つうかそもそもこのお祭り自体が、「死者を出すためのお祭り」だよ。
諏訪大社は製鉄の神であるタケミナカタを祀ってる。
タケミナカタは死体を好むため、良い刀を作るための、良い鉄を得られるように、毎年死体を祀る。
そのための御柱祭。
今どうなってるかはわからないが、そもそもはそういうお祭り。
死者は出て当たり前、というか出ないと意味が無い。
17 ななしのよっしん
2016/04/04(月) 20:55:33 ID: mckm8y5ctC
まぁそうじゃなきゃ「御柱祭で無くなった人は神様に選ばれたから」なんて文句が出るワケないからな。
そもそも御贄柱とか、人身御供が前提となっている部分もあるし、中世以前は普通に諏訪湖に生贄の男児が捧げられてたし。
まぁ昔は昔、今は今。
今年は死者が出ずに無事に終わる事を祈る。
18 ななしのよっしん
2016/05/06(金) 00:58:55 ID: Y9NksQpza6
今年も出ちゃったんだよなぁ……
19 ななしのよっしん
2016/05/06(金) 14:31:48 ID: hhMZPoCMvb
>>16で書いた通りだから、死人が出ないと意味ないんだよ、
今はともかく本来の意味合いでは。
昔はご遺体を奉納してたんだから。
20 ななしのよっしん
2016/05/06(金) 23:04:18 ID: hhMZPoCMvb
>>16に自分でちょっと補足
金屋子神(かなやごかみ)が有名で、建御名方は別の神様のように思えるけど
金屋子神と建御名方は同体だって説もあるので、この辺は解釈次第。
御柱祭~死体を好む製鉄の神って説明をする時は金屋子神の方が話の通りはいいかも。
21 ななしのよっしん
2016/05/08(日) 01:09:56 ID: VOtOAEr+eu
>>20
建御名方神が死体を好むのではなく、狩猟神のミシャグチ神の神性に由るものだと思うが。諏訪の土着信仰の血生臭さはそこらの比じゃないからな。
建御名方神と金屋子神が同視されてるとは聞いたことはないが面白いと思う。金屋子神は出雲中心に中国地方で信仰されてる。磁鉄鉱を用いた製鉄を伝えたのは出雲からやってきた建御名方神と云われている。諏訪大社のご神紋は梶の葉→鍛冶にも通じる。
ただ死ぬのが当然みたいな言い振りは幾分気に食わん。
危険な祭りではあるが人死にが出ずに済んだ御柱祭も数多くある。どうしても死人が出るなら大社七不思議がもう一個増えるだろ。
それに御柱祭自体に製鉄の要素が見当たらん。いろいろごっちゃになって本質が見えなくなってないか?
22 ななしのよっしん
2020/05/16(土) 17:35:26 ID: PLKChQsT6E
気に食わんとか本質だとか
そういう伝統があるというだけの純然たる事実であって
それが社会通念上正しいとは誰も言ってないんだから
現代道徳観的義憤かは外部の人間がここでアレコレ言っても仕方ないんでないの
逆に本当に行動してやめさせるとか改善(あくまで現代道徳観側からの表現)させるというならしょうがないけど
23 ななしのよっしん
2021/01/29(金) 19:36:56 ID: qzwZIQNGZ9
時代が下るほど安全性が担保されてしかるべきなのに毎度当たり前のように死んでるからなぁ
これじゃ人柱行事と言われても仕方ないわ
24 ななしのよっしん
2022/08/12(金) 17:33:27 ID: ubsMkhAB1X
曲がりなりにも現代文明国家の時代にこんな反社会的な祭り(と呼ぶのも忌々しい)が放置されてるのがおかしかったんだよ
例の弁護士も報われただろうな
25 ななしのよっしん
2023/09/06(水) 22:05:31 ID: N+oYx0o/RI
供犠だ人柱だともっともらしく語ってるとこ申し訳ないが、木落とし坂で氏子が御柱に乗るようになったのは大正から昭和初期で、御柱祭の歴史の長さからすればほんのつい最近の出来事だけどな。
<<
<
>
>>
1/1
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。