59
31 ななしのよっしん
2013/05/08(水) 02:36:54 ID: vaz5jvlK6P
大名としてはうんこだったけどゲリラとしては有能だったんだろう
32 ななしのよっしん
2020/05/11(月) 22:10:45 ID: 2npfZsz49Q
おーついに規制解除されたか
ニコ動では竹中半兵衛の憂鬱→龍興記での大暴れっぷりが印象深い
33 ななしのよっしん
2020/05/11(月) 22:16:15 ID: 7YrIDDdIRU
カリスマっていうより憎めない愛嬌がある人ってイメージだわ
信長別として、どこの陣営も殺すほど憎んでないし
34 ななしのよっしん
2020/05/11(月) 22:16:16 ID: qbmPBdvej4
滝川一益や朝倉義景と並んでなぜか消えていたここが、今年の大河的にはちょうどいいタイミングで規制解除…よかったよかった
来週から大河に登場する朝倉義景のページもどうか…
35 ななしのよっしん
2020/05/11(月) 22:23:19 ID: 9gzMCnMqg1
やっと規制解除か良かった良かった
大河で出るか分からんからある程度様子見してその後にちょっと加筆修正しようかな
36 ななしのよっしん
2020/05/12(火) 01:27:19 ID: 2wxzKEkuFO
あ、記事復活したんだ
歴史的にはあんま目立たないが、国落ち後も信長に抵抗し続けた根性は好き
37 ななしのよっしん
2020/05/16(土) 19:18:19 ID: x9mbRbChqP
センゴクや信長の忍びみたいに、大名時代は凡君だったけど、
追放されてから覚醒して強くなったというのが最近のイメージ
麒麟がくるに果たして出てくるか
個人的に、信長の野望でも三國志の張飛や呂蒙みたいに、
ある時期から急速に能力上昇みたいな救済措置は欲しい
38 ななしのよっしん
2020/05/18(月) 18:30:35 ID: qbmPBdvej4
一勢力を築いた先代急死後急激に滅亡に向かった尼子義久・今川氏真・織田秀信(あるいは信雄)たちに較べると大名として滅亡した後に頑張った感じか
そのあたり六角義賢・義治にも通じるな
ただそれらの人物はいずれも天寿を全うしているが彼は討ち死に…
39 ななしのよっしん
2020/05/29(金) 18:15:58 ID: Dvx8A8kZn+
アンチ信長だったのかぶっ殺したいほど惚れていたのか
まあ父親と対立した叔父たちが信長に仕えて重用されてたから、龍興がもし降伏しても織田家に居場所は無かっただろうね
>>37
1562年から内政外政値が徐々に上昇するといいかもね
この頃から織田信清を支援して信長を圧迫、快川と組んで武田家と同盟、遠山家を両属に、朝倉家と婚姻して北の脅威を除いた等々
1564年の終わり頃に復権後、劣勢の戦力で信長軍に快勝したりも
40 ななしのよっしん
2020/05/29(金) 18:29:01 ID: sgTz1dkpny
直に話したことのある身としては治部大輔様の低評価には納得いかない
豪快で面倒見のいいお方だったよ
41 ななしのよっしん
2020/05/29(金) 19:16:03 ID: qbmPBdvej4
42 ななしのよっしん
2020/05/29(金) 19:39:30 ID: 9gzMCnMqg1
気軽に霊界通信するな
43 ななしのよっしん
2020/06/08(月) 11:58:04 ID: 5mIY17Vj5P
だいぶ細かく書かれていていい記事
河野島の戦いは直筆書状だと織田軍に大勝利した、織田信長は天下の笑いものだと書かれているが
その翌年に稲葉山城を失陥しているあたり、殆ど捏造に近い大本営発表の勝利だった。
このときの書状(中島文書)に連署した氏家直元、安藤守就の2人がのちに信長に寝返ってるのが良い証拠
同年に六角義賢が三好三人衆に寝返って足利義昭が越前に逃げた(=美濃には逃げられなかった)
って考えると、六角と共同で三好三人衆(=足利義栄)に与した可能性が高いな。
足利義昭の上洛作戦に参加するはずが、土壇場で三好に寝返り、信長の不意をつき、
足利義昭の越前逃亡の原因を作ったと考えると、人心が離れるのは仕方ないか
44 ななしのよっしん
2020/06/08(月) 12:10:53 ID: 5mIY17Vj5P
織田信長と斎藤龍興の攻防は織田信清の記事にも詳しいが、美濃の
防衛ラインとして斎藤龍興は武田信玄とも手を組んでいて、その巨大な連合で
もって織田信長と拮抗できたからその点の外交は評価されそう。
武田信玄が離脱したのは、上杉謙信との全面衝突に至った川中島の戦いや
その後の武田家外交政策の転換(武田義信+親今川から武田勝頼+親織田へ)も
あるだろうし、信長に単独で対抗したわけではないが六角や武田と
組んでしぶとく抵抗し続けていたのは再評価の目がある。
あと、記事中で朝倉=日根野の信長挟撃ラインにも触れられているが、
これ朝倉義景が撤退するのは仕方ないっす。これ現代でいうところの
越美北線と越美南線(長良川鉄道)のルートだと思いますが、
日本有数の豪雪地帯で冬では今でも通行止めになる場所です。
こんなところ進んだら物資不足で孤立して全滅しますよ
45 ななしのよっしん
2021/02/02(火) 02:22:55 ID: v2NFSGLPnl
あれだな、南北朝時代で美濃にいる北畠顕家と越前にいる新田義貞が連携すれば勝てたのにって言うようなもんだな
46 ななしのよっしん
2021/02/02(火) 02:29:49 ID: v2NFSGLPnl
>>44
でもその数十年前ぐらいに朝倉と土岐が同じルートで結構戦してるからなあ
できないことはないというレベルだろうね
47 ななしのよっしん
2021/02/02(火) 02:41:16 ID: 2wxzKEkuFO
>>46
その美濃まで遠征したときはどれも冬が来る前に戦が終わってるしなあ
信長包囲網時のような長期間の遠征は厳しい
48 ななしのよっしん
2021/02/02(火) 02:52:39 ID: 2sdYPq82al
戦国無双クロニクル2ndの浅井家ルートではモブ武将グラフィックながら準主役と言っていいほどの活躍
49 ななしのよっしん
2022/05/03(火) 16:48:47 ID: cHAEB3ZF7z
年齢を考えるとめちゃくちゃ頑張ったと思う。もっと評価されたげて
50 ななしのよっしん
2022/07/17(日) 12:20:51 ID: gHsDuQDT4y
祖父の頃から周りの評判どうしようもないし父義龍も一色姓を名乗ったり色々無理くりして家格を上げる動きなどして周辺豪族の信頼を得ようとしたけど早死にして…だからなぁ
51 ななしのよっしん
2022/08/04(木) 18:04:20 ID: jkVvLwc6wl
長井隼人佐って長井道利のことで良いのかな? 義龍の兄じゃなくて叔父だけど。
52 ななしのよっしん
2022/08/04(木) 23:08:27 ID: ZsBm+CIFQV
>>51
『寛永諸家系図伝』だと、ですね
今では、以下の2理由から、長井隼人佐は、確定ではないが、道三の息子とみなされています
①『寛政重修諸家譜』では道三の初長子とされている
②確実な史料では道三の時代には全く出てこない
53 ななしのよっしん
2023/01/07(土) 12:39:00 ID: zNvu3l3GgL
統治関係はほとんど資料ないから不明だけど
とりあえず祖父・親父の代に
頻繁に周辺勢力と積極的な外交策は展開していて
それは龍興の時代にも引き継がれている
結果、負け組についたってだけで
ただのボンクラはその外交構築すらできずに
孤立して滅んでいくわけで
ゲームで編集するなら能力はいまいちでも
外交関係のスキルは付けてあげたいところ。
あと本題とずれるけど、最近でこそ交通網の発達や温暖化で影響が少なくなったけど、当時の越前は有数の豪雪地帯なので、冬に帰らなきゃ兵站が確保できない以上
そら帰るしかないよね、って話なので
信玄は朝倉義景をあんまりいじめないであげて欲しい。
わざわざあの包囲網に出張ってきただけでも
新たな領土を増やさなければ戦費はかさむわけだし
兵糧を他の大名が全部面倒みてくれるわけでも
ないのだから、結構頑張った方だと思うよ。
あの撤退を無能呼ばわりする人多いけどさ
54 ななしのよっしん
2023/02/19(日) 17:26:20 ID: Dvx8A8kZn+
義秋が信長に上洛のため龍興と和睦して協力しろと要請した件、
義昭が朝倉・浅井・龍興・信長の同盟作って六角に圧力掛けて自派に引き戻そうとしたなかなか大規模な構想だったと思われ、
信長も承知したけど同じ年に反故にして美濃侵攻して失敗したんだけど、
その後に家康が義秋の対立派閥である足利義栄と近衛前久に取り入った事件があってな…
1566年も激動の年だったが同年の龍興は家康の心変わりを誘発する程信長相手に大きな勝ちを得た可能性がある
同時に義秋勢力から(信長のせいで)弾き出されてしまい、それが翌年の衰退に繋がったのだろう
六角との密な連携は浅井領が間にあるため阻害され、北伊勢で連携するしかないが、北伊勢は織田信興と滝川一益が数年間で大きな成果を挙げて織田方になった
西美濃衆の離反は義秋による工作だったのではという話もある
信長は龍興が同じ陣営にいることが許せなかったのかもしれない
織田家には利治、利尭たちもいたし
55 ななしのよっしん
2023/02/20(月) 02:34:34 ID: ZsBm+CIFQV
ある程度あってる気はするんだが、時系列的にこの時点では義昭は六角のことを味方とは思ってないけど敵とも思ってなさそう
むしろ、その理屈でいうといまいち態度をはっきりさせない六角相手に圧をかけようとしたら、
裏で三好から調略ものびていたので完全に敵になった、の方が近そうかな
龍興と信長の開戦と、六角が義昭を襲撃したのはほぼ同タイミングなので、
六角に関しては完全にクロだと思うのだけども、信長対龍興はどっちが戦端開いたのか分かればな〜
あと、家康と近衛は徳川三河守の件のこと?
確かに義昭は将軍になってからも、この件ガン無視して松平蔵人って呼び続けるけど、
近衛はたまたまこの時期京都にいて、たまたま九条稙通や二条晴良が義昭についたので、とばっちりで追い出された、までしか言えなさそうだなあ
56 ななしのよっしん
2023/03/19(日) 00:37:30 ID: PEf2PVlpDY
西美濃衆の離反が足利義昭(当時義秋)を見限ったことをきっかけに起こったのは間違いないと思う。
本来の絵図では六角+斎藤+織田で戦うところを、六角は義昭を襲撃して、
斎藤は織田と開戦、って考えたら戦端を開いたのは龍興側で間違いないだろう。
仮に信長側から戦端を開いていたら龍興がまだ義昭派かもわからないのに
味方を攻撃したことになるし義昭がなおも信長に頼り続けたことと矛盾が生じてしまう。
一度朝倉のもとへ行ってからも、なおも信長を頼った事から義昭にとって信長は当時は重要な味方だったのだろう。
57 ななしのよっしん
2023/05/27(土) 17:41:31 ID: tqhb/M1cuS
いかんせん若すぎたね
竹中半兵衛の稲葉山城乗っ取り話とかでかませ犬のオッサンってイメージを持ってたけど
亡くなったのが26とかってなあ…
対した信長も若いけどまさに新進気鋭な若者であって龍興は幼君て表現に近い年齢だもの
義龍の早すぎる死が悪いよー
58 ななしのよっしん
2023/06/18(日) 23:24:16 ID: 8NHX0Inr1u
生存説のひとつで「越中のくうえもん」ってのほんとすこ。
若くして大大名を継いで欲望の限りを尽くして、家臣に戒め(謀反)されたり、爺様の娘婿に家追い出されて、復讐しようとあの手この手の限りを尽くすが結局はご破算。
そして遂に越中(富山)の地で神仏に目覚めて民百姓達と農地耕したり温泉掘ったりして余生をすごす…
正直これが龍興物語の中で一番ハッピーエンドですこすこのこ。
59 ななしのよっしん
2023/11/23(木) 13:34:35 ID: 3MLuosBYJB
こいつも含め最近の日本史界は如何に史実に逆張りして名君にするかゲームがトレンドだからなあ
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。