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1 ななしのよっしん
2017/01/21(土) 22:38:14 ID: A0qCPXjZ61
記事作成乙
信長の忍びの桶狭間の戦いの義元の最期がすごく印象的だった
2 ななしのよっしん
2017/01/29(日) 13:30:00 ID: bIXRRNSe+6
記事作成者が自ら
>桶狭間の戦いとかさ、めっちゃ長い上にわかりにくくなったけどさ、
>あれ書き換えたら絶対問題起こるよ、うん。
とか言ってるだけあって、確かにこの記事は読みづらい部分が多い…どーしたもんだろうかね…
3 ななしのよっしん
2017/03/20(月) 17:51:05 ID: bIXRRNSe+6
全体的に冗長な部分が目立つため、内容を修正したいと考えています。今回は特に、開戦までの部分についてです。
様々な背景があるのは分かりますが、本編に入るまでにこれだけの文章・情報量を持ち出すのはいくらなんでも読み辛さが目立つかと思います。大幅な編集になるので、開戦以前の部分の軽量化案を一旦提示させていただきます。
http://d
ひとまず3月末日まで御意見・方針など確認させてください。
4 ななしのよっしん
2017/03/30(木) 16:01:21 ID: bIXRRNSe+6
とってもアバウトながら桶狭間周辺地図。青は織田方、赤は今川方の城(村木は砦)。
タイトル:桶狭間概略図
5 ななしのよっしん
2017/04/02(日) 14:48:43 ID: bIXRRNSe+6
特に意見がなかったので、対応を行いました。
6 ななしのよっしん
2017/04/08(土) 15:39:06 ID: bIXRRNSe+6
続いて後半部の修正案を提示します。
「謎だらけ」と強調している割に、どこがどう謎で諸説あるのか分かりにくくなっているので、その辺りを整理しています。
http://d
御意見などあれば4月20日ごろを目途にお願い致します。
7 ななしのよっしん
2017/04/22(土) 14:29:25 ID: bIXRRNSe+6
>>6の対応を行いました。
8 ななしのよっしん
2017/05/23(火) 23:19:10 ID: AfSbinLIBE
9 ななしのよっしん
2017/06/14(水) 11:08:34 ID: +6ePxyhifl
織田軍が今川前衛部隊を攻め崩して追撃、その先に義元の輿を発見した時には義元は現場からすでに逃走
すぐに逃げた義元の戦術眼と決断力と行動力はもっと評価されるべき
今川旗本衆は退却時も団結して組織行動で織田軍に立ち向かい、数十人単位ごとに踏み止まり生還不可能な殿軍を引き受けて、太田牛一が絶賛した奮闘振り
その彼らが義元が討死した後はバラバラになって湿地帯に追い込まれて信長の小姓たちに手柄首獲られるばかりだったというのが辛い
10 ななしのよっしん
2017/06/15(木) 13:59:03 ID: bIXRRNSe+6
>>9
これが逆に本能寺では、信忠たちが逃げずに踏みとどまって壮絶に死んじゃうのがなあ・・・歴史の皮肉としか言いようがない・・・
11 ななしのよっしん
2017/07/17(月) 04:07:56 ID: d90EXmsCXu
桶狭間戦記の
大高城に入城すれば安全だけど戦略上の事情から(作中では千秋の討死に)により桶狭間に着陣って話は好き
12 ななしのよっしん
2018/01/09(火) 04:17:19 ID: vp9uvtnvsu
>>8
というか才能があっても慢心するとこうなるという事例の極致というか
圧倒的な大軍を擁しながら中軍に敵主力の奇襲突撃を受けた挙句に大将が討ち取られるっていうのは
信長に運が向いていたっていうだけじゃ説明のつかないような事態だし
13 ななしのよっしん
2018/03/02(金) 08:24:51 ID: w0p9uM8Xe/
慢心と言えばそうかもしれんが、これを責めるのは正直酷だろう。
そもそも当時の戦場で総大将同士がいきなり戦うのは滅多にない。
特に織田軍は総大将の織田信長が下馬して自ら戦ってるという有様
戦の常道からは完全に外れてるし、そんな戦国無双みたいなことを
やり遂げた織田信長が凄すぎるだけかと。もちろん運もあったろうが。
14 ななしのよっしん
2018/03/04(日) 17:53:03 ID: A0qCPXjZ61
ノッブって大軍率いて戦うこと多いけど刀根坂の戦いとか天王寺砦の戦いとか割りと前線で戦うことも結構多いよね
普通なら大将討ち取られるかもしれんからやらんが
15 >>14
2018/04/02(月) 00:02:21 ID: A0qCPXjZ61
間違えた、刀根坂の戦いじゃなくてその前の大嶽砦での戦いか
16 ななしのよっしん
2018/11/23(金) 13:36:13 ID: dikMWp8bq0
ヤン「少数が多数に勝つのは異常なことです。そのような奇蹟を最初から当てにされて戦争を始められたら、前線に立つ者はたまったものではありません」(震え声)
17 ななしのよっしん
2019/01/19(土) 00:19:14 ID: ZTBVuGEecQ
むしろ少数が多数に勝ってはじめて歴史は動かせると言える。
多数が少数に勝ちを重ねる「順当」路線は、実のところ機会費用が大きくなる。頭一つ抜けるには、奇跡であれ蛮勇であれ、どこかでライバルを出し抜く必要がある
18 ななしのよっしん
2019/03/31(日) 11:23:18 ID: +6ePxyhifl
側近と旗本・小姓を中核とする親衛隊は、
大名の指示ですぐに動ける、忠誠心が高く主君を守るために必死に戦う、酷使しても世間から文句を言われない
という理想の軍隊
桶狭間の戦いでは今川軍にも戦力の余裕は無かったんじゃないかな
土地勘と地元人の支持がある織田軍主力が街道沿いに南下して、砦群攻撃のために分散した今川軍の各隊を順次撃破、という可能性を潰すために今川義元は親衛隊を率いて北上、要地に布陣して織田軍の中嶋砦・善照寺砦に睨みを利かせたのではないかと
信長公式にはこの時雹が降り注いだ記述があり、その時の風向き次第で、義元が用心して麓に配置した前衛部隊の陣形が乱れてしまい信長本隊に付け込まれたのかも
敵襲への備えで配置した前衛部隊がまさかの壊滅、敗走した彼らが本陣に雪崩れ込んで本陣まで混乱、義元はこりゃダメだと即断して自軍の立て直しではなく逃走を選んだけど逃げきれず討死
という最悪の展開を防ぐための措置が全て裏目に出て大事故に至ったんじゃないかなあ
で、勝った後に今川軍の動きを知った信長が後年「運が良かった」と述懐したのではないかと
19 ななしのよっしん
2020/03/24(火) 20:41:42 ID: QQMpodC7hh
信長も弟の信行の謀反の時は副将の林美作守を自ら討ち取って
強引に勝利するとか
若い頃は割と最前線で戦ってるからな
大将や副将を一騎打ちで自ら討ち取って勝利した島津義弘はおかし過ぎるけど
20 ななしのよっしん
2020/06/04(木) 02:28:27 ID: KMZ8/EcJ7v
桶狭間、豪雨で奇襲と良く言われるけど、雨の出典ってあるんだろか
21 ななしのよっしん
2020/06/04(木) 02:35:14 ID: KMZ8/EcJ7v
自己解決した。信長公記に以下の文で一応あるのか
>右の趣、一々仰せ聞かれ、山際まで御人数寄せられ候ところ、俄に急雨、石氷を投げ打つ様に、敵の輔に打ち付くる
22 ななしのよっしん
2020/06/07(日) 20:53:56 ID: bCbt8CzEc6
麒麟が来るでは乱取りやら松平元康の中立という名の離反(三河守の叙任を巡って+兵士の疲労考慮等)で急襲の報を聞いても動かずで、実質兵力が減って・・・って流れだったな
23 ななしのよっしん
2020/06/08(月) 13:03:29 ID: H9GSvnQORn
極端なこと言うと、今川義元は大高城の救援が出兵要因で、当然織田に対しては
圧倒的な優勢ではあったが、同時に「守るべき存在」も多く、そこに兵を割いて
「安心」「善政」を誇示する必要があったが、圧倒的劣勢の織田信長は
もう破れかぶれというか狂気の沙汰ほど面白いじゃないけど、
完全に最終防衛ラインまで食い込まれてるから後がない状況だった。
信長の熱田神宮参拝はそれを象徴する話だけど、麒麟がくるではわかりやすく
「可愛い息子を託す」という行動で遺言めいた話にしてるな
24 ななしのよっしん
2020/06/08(月) 13:06:54 ID: TM2Et8r40R
25 ななしのよっしん
2020/06/10(水) 19:48:47 ID: SiwAhVn8Ih
最後の解説で、「麒麟がくる」は豊明市の方も出たな。「直虎」のときは出なかったけど。
善照寺砦跡が出ることは初めてではないだろうか。
26 ななしのよっしん
2020/06/21(日) 06:47:37 ID: H9GSvnQORn
刀根坂でも朝倉義景にたいして暴風雨の中奇襲して破ってるからな織田信長は。
勝手に長篠のイメージで大軍揃えて入念にーというタイプにされてるけど
明らかに電光石火神速果敢の用兵が本分な人だと思う
27 ななしのよっしん
2020/07/03(金) 02:23:30 ID: GdCzVpnlEW
今川上洛説は仮に織田を破って素晴らしい外交手腕を発揮して京都まで他大名との間を戦もなく通過出来たとしても全盛期三好をなんとかしないといけないという無理ゲー
28 ななしのよっしん
2020/07/10(金) 22:03:00 ID: UEwBl6YBcw
謎が多い戦いだよなぁ
29 ななしのよっしん
2020/07/10(金) 22:23:48 ID: UEwBl6YBcw
個人的な意見だけど今川義元は無能じゃないけど太原雪斎が生きていれば油断せず妥当に信長滅ぼして尾張領有だろうな
目的は一気に上洛じゃなくて長年織田争ってた尾張の領有、勢力拡大と地盤固め→上洛への足掛かり
戦の人数は約2万~約5万の差があるけど兵站なんかの人足、下男なんか非戦闘員も含めて約5万で実際の戦闘人員は約2万って感じだと思う
さらに熟練兵や戦功欲が強い、松平のような従属土豪が最前線で戦って本陣に近いほど戦経験が少ない統治中心の文官系とか今川に近い高貴な身分の者(行儀がいいぼっちゃん兵)が多い新兵同様な奴らが中心だったんじゃないかと思う
だから決死の覚悟&奇襲の織田信長にあっさり本陣やられて敗北したんじゃねぇかなぁと思ってる
30 ななしのよっしん
2020/07/10(金) 22:45:33 ID: UEwBl6YBcw
あの時代にどうやって今川義元の本陣の情報を得て強襲できたのかが最大の謎だけど武田信玄とかの織田と内通、陰謀論とかはちょっと飛躍しすぎなんでまずないかな
織田が今川の本陣を察知して襲ったとした場合、ありそうなのは今川の本陣に潜り込ませたり余程諜報能力に優れていたか、今川に恨みなんかがあって本陣の情報流した内通者、謀反人がいたとかになってくる
個人的には信長が取った作戦は元々本陣を襲う計画じゃなくて大軍で戦線が伸びきった所に諜報活動で手薄な後方の兵站輸送を襲って今川を引かせる予定がたまたま、偶然に今川義元の本陣にぶち当たったor察知して予定変更したかだと思ってる
雪斎が生きてたら桶狭間の危険性を指摘して急いで桶狭間を抜けて城に入るようにするか、信長を討つ報告があるまで駿河や遠江から出ないように進言したと思う
義元は油断したのと運が悪かったのが敗因かな 無能じゃないけどもう少し慎重だったら間違いなく妥当に勝ってた
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