71
31 ななしのよっしん
2014/08/11(月) 09:44:51 ID: WD6BFQJ3R2
32 ななしのよっしん
2014/08/24(日) 01:26:29 ID: zytWgffQJy
軍師官兵衛では破格過ぎる程の扱いだったな。脚本、田中さんの名演技と大河史上、あれ程、見事な荒木村重はもう出ないだろうな。
33 ななしのよっしん
2014/10/05(日) 20:36:49 ID: mdH/3uqrxH
へうげもの中では一番好きな武将だわ
「わしは密かに勝っておる。もはや信長にはでけへんことをやれるっちゅうわけや」は名言
くだらない理想のために死んだ奴よりよっぽど尊敬できる
34 ななしのよっしん
2014/10/09(木) 02:52:43 ID: WQqvXoBqh1
最後の一行以外は同意
35 ななしのよっしん
2014/11/09(日) 16:56:25 ID: 1wPFtRJo9D
この手のスレは高二病罹患者が多いからね、仕方ないね
織田軍外様組では秀吉や光秀、一益なんかとも並ぶ出世頭だったはずなんだがどうしてこうなった
色々と型破りな人間だったんだろうけれど、信長からの離反あたりからはことごとく悪い方向に出ちゃった感じかね
36 ななしのよっしん
2015/01/16(金) 16:46:31 ID: hCBMxmAe1y
>>33
村重のせいで死ぬハメになったのに戦国武将の正室として毅然と死んだと伝わっるダシもくだらないって言うんだろうか
村重は非常に人間らしくて面白い逸材ではあるが、尊敬できるかどうかは別問題だwww
37 ななしのよっしん
2015/09/26(土) 18:02:54 ID: 5AKiLeqK43
>>27
すごい歯に衣着せぬこと言うけどさぁ
他の武将が道糞と同じ立場だったら同じことやってると思うよ
家長こそ幹で妻子はその枝葉という儒教道徳を鑑みれば妻子が犠牲になることはあってもその逆は絶対にありえないだろ
今でいえば愛犬のために飼い主が身代わりになるようなもん
当時の人はあくまでその当時の価値観に基づいて行動していたことを忘れんようにな
38 ななしのよっしん
2015/10/31(土) 09:00:40 ID: hCBMxmAe1y
信長公記には村重の所業を「前代未聞」としているので当時の人の価値観すらも異端だったのでは?
あの時代の死生観は今とは違うのはその通りだけど、殿様が「妻子や城兵の助命と引き換えに切腹」して果てることもあったわけだし「犬のために死ぬようなもの」とは言い過ぎでは?
そもそも普通の武将なら謀反起して失敗したら信長に土下座しに行くか、責任とって切腹してると思われる。
村重は謀反起こして失敗、本来なら責任取って死ぬべき存在なのに妻子家臣全て見捨てる。おまけに村重の家臣まで「私が説得しに行きます」って言いながらやっぱり妻子見捨てて逃げてるわけで、なんだこいつら??ってなったのは当然の帰結かと。
39 ななしのよっしん
2015/11/01(日) 03:02:56 ID: lVQNw9cFvX
死生観よりもまず第一に戦国時代はバトルロワイヤルで人情や美談の優先度が低かったことをもう一度再認識したほうがいいんじゃない?
大名クラスになるともはや打算でしか動かないっていうか動けない。美談が許されるのは一将の時くらい
城主切腹による助命嘆願とかは最初から敵方の城将が敵わないから命を差し出して降伏するわけだけど、裏切っておいて「僕一人の責任だからみんなのことは許してあげてブシュッ」で済むわけがない。関係者もろもろ連座して一族郎党斬首ですわ・・・
今現在、村重が有岡城から大物城に移ったのは逃亡だったのか援軍要請のための直談判だったのかすら分かってない。
だからこのどちらかを前提に話を進めても大きな意見の相違が出てくる。これを省いて城を抜けた部分だけを結果論で倫理的に良い悪いもまた話が変わってくるんだよなぁ
40 ななしのよっしん
2016/02/07(日) 21:06:41 ID: 9ftkmMuoP6
一族郎党もろとも処刑のところを当主の切腹で済ませるのが当時の慣習
なのだが荒木の場合は事情が複雑
まず荒木村重は近江公方派VS阿波公方派の抗争中に、池田家の内紛を利用して池田家を乗っ取った
そして信長包囲網に参加
ところが信長に奉じられていた足利義昭も信長包囲網に鞍替えし、その足利義昭が信長に追い詰められると、荒木村重は信長包囲網から離反して信長に従った
村重を支持して池田勝正(阿波公方派→近江公方派に転じた当主)を追い出した池田家の家臣団は、村重の行動をどう思ったか
荒木村重が信長に謀反したすぐ後、有岡城には本願寺の坊官と毛利家の家臣が居座った
また有岡城の将兵の多くは池田家の旧臣だった
想像だが、信長への謀反は家臣団から突き上げを受けてのことではないか
村重一人で決めたとしても、家臣団の同意がなければ村重が追放されて落着だし
これも想像に過ぎないが、村重は傀儡にされて他の城へ移され、しかし織田軍に追い詰められた有岡城の武将たちは村重を生贄にしようとしたので村重はブチ切れて逃亡したのでは
41 ななしのよっしん
2016/06/28(火) 21:58:59 ID: VtarERR/ft
煎じ詰めると、織田家の家臣って神経衰弱率高くね?ってことでおk?
42 ななしのよっしん
2016/08/28(日) 21:33:15 ID: /vGC3EnOgb
生涯追っていくと松永久秀よりよっぽど梟雄なんだよなあ
摂津池田も足利も織田も毛利も全ての勢力を
自分のために利用するだけ利用して、
ヤバイと思ったらなりふり構わずかなぐり捨ててトンズラこいて
地位も名誉も全部自分の今のためなら捨てられるような武将でしょ
織田信長や豊臣秀吉じゃ相手が悪すぎただけで
43 ななしのよっしん
2016/10/24(月) 06:50:00 ID: /0rKkNGwJF
Q.なんで織田を裏切った?
センゴク村重「織田家の高転びを見る為」
へうげ村重「数寄の為」
44 ななしのよっしん
2017/03/11(土) 03:44:38 ID: 5AKiLeqK43
>>38
儒教と言うか近代以前の東アジアの価値観では家父長が幹で女子供は枝葉なわけで。主君に対する反逆行為が「前代未聞」なわけで妻子を犠牲にすること自体は問題とされていない。あくまで当時は女は子どもを産ませるための道具で嫡子が成人すれば用済みだったことを忘れてはいけない。
>>40
>一族郎党もろとも処刑のところを当主の切腹で済ませるのが当時の慣習
うんなわけねーじゃん。三木合戦の時も別所が切腹した跡、開城した三木城内は
織田側の軍勢によって略奪や強姦虐殺の乱妨取り限りが尽くされたあと皆殺しにされたわけで。村重が切腹した所で事情は変わらんかっただろうよ。
45 ななしのよっしん
2017/04/08(土) 14:21:59 ID: 9ftkmMuoP6
>>44
まず三木城の件は極例なのだが
次に三木城で本当に皆殺しが行われたかは疑問も出ている。大量殺戮に関する伝承が地元に残っていない&供養の記録が見つかってないから
また秀吉は「戦果」を極端に誇張して宣伝した傾向があったことも考察するべき
賤ヶ岳の戦いについて小早川隆景(毛利家)や遠藤基信(伊達家)に誇張報告した例
長久手合戦について上杉景勝や佐竹義重に誇張報告した例などなど
三木城の件は宇喜多直家に向けた恫喝で、この時も秀吉には戦果を誇張する動機があったことは理解しておかないといけない
秀吉は最初の播磨平定時に宇喜多の属城では皆殺しを行った。宇喜多直家は、信長が後ろ盾になった浦上宗景を追い落した武将だったから。秀吉は当初から宇喜多に対しては脅しをかけて従わせようとしたわけ
また三木城皆殺しが秀吉の書状通りに行われたとして、皆殺しの範囲がどこまで適用されたかも考えてみる必要がある
勿論開城後の雑兵の乱取り黙認と混同してはいけない
46 ななしのよっしん
2017/06/19(月) 18:15:36 ID: sXHcOM6Ke9
少なくとも、本人が胸を張れる人生だと考えてなかったから「道糞」と名乗ったんだろうに。
まあ謀反の動機も秀吉への嫉妬だったという説もあるし、後年になって信長も許しを与えている。
有岡城の根切りに関しては、信長も赦免したかったのに当の女子供まで降伏を拒否して徹底抗戦したので、外聞もあって許しようがなかったという話もある。
47 ななしのよっしん
2017/08/30(水) 15:55:28 ID: 6ZiUdtmuv/
電話もテレビもネットも無いような時代だし自分の置かれてる立場や上司の置かれてる状況を俯瞰的に見るのはかなりの能力が求められるよな
道薫に限らず謀反を起こした敗者がどういった経緯で謀反に踏み切ったのか、謀反を鎮圧した側はどんな危機感を感じていたのかを現地(城跡とか)に行って推理するのは面白いもんだ
48 ななしのよっしん
2018/01/19(金) 08:42:00 ID: TvtG4uYtEU
まあある意味最後まで毛利に義理立てして織田信長に刃向かった結果
信長も有岡城で捕らえていた人質殺すしかなくなったってのはあるな
経歴的にも野心ありありなんで中間管理職みたいな板挟みの悲哀イメージはない
そういえばこいつの子供だか孫だか言われてる岩佐又兵衛は一時期、
織田信雄の家臣だったらしいな。親同士は仇敵の関係になったが、芸術的にウマがあったのか・・・?
49 ななしのよっしん
2018/08/15(水) 22:33:13 ID: 6ZiUdtmuv/
戦国の人はその辺結構ドライだからね
親の仇を雇って美談になる例もあるし
50 ななしのよっしん
2019/08/10(土) 09:23:20 ID: u0CcTkt+GY
逆に考えてみるんだ
荒木以外で蔡氏を犠牲に助かった大名か武将は居ただろうか
51 ななしのよっしん
2019/08/24(土) 15:30:21 ID: QRI19vMhYk
>>48
生まれてすぐ村重死んでるし名字も変えてるならしこりはないってことじゃろ
52 ななしのよっしん
2020/12/06(日) 23:09:01 ID: YzF0yRcFjV
放送話数カットのあおりを受けて、軍師官兵衛で充分出てきたから今回は無しみたいな感じで、
麒麟がくるは登場しないかもしれないね
国盗り物語では光秀謀反フラグの一つだから、必ず登場していたのに…
53 ななしのよっしん
2020/12/11(金) 20:36:53 ID: CpUXLjbYMs
後世の人から見るとほんと意味わからんウンコだけど
本人もウンコと名乗るくらい自覚してた人
54 ななしのよっしん
2021/01/13(水) 08:02:35 ID: VYGskP9jzq
>>48
信雄はアホなだけで寛容だし勇気もあるし教養もあるぞ、アホなだけで
55 ななしのよっしん
2021/02/13(土) 17:52:30 ID: hsDoJpM04s
逃げるほど命惜しいのにわざわざ反逆したのは、まあ、反逆自体あまり重要に思ってなかったんだろうな
将軍の影響力なり本願寺の戦力なりを過信していて「これで信長も終わりか…」と深く考えず反逆したと考えるのが一番筋が通る
56 ななしのよっしん
2021/04/25(日) 14:17:23 ID: qKACbDuQqS
>>50
これ思い浮かばないんだよな
妻子と共に死ぬはよくあることで、妻子とともに逃げることもあれば、巻き込まれる前に離縁してしまうことも
逃げた時に妻子まで連れていたのかいまいち詳細がわからない武将も多いが、妻子が処刑されたという話がなければまあ生きてはいたのかなと思う
明らかに妻子を犠牲にして逃げたというのでぱっと思い浮かぶのは荒木村重だけ
57 ななしのよっしん
2021/04/30(金) 20:32:26 ID: VtarERR/ft
利休や秀吉が改名を促したのは、茶の席で「俺なんてウンコみたいなもんだからさwww ウンコって呼んでよ、ウンコってwww」とうざかったから説
58 ななしのよっしん
2021/06/04(金) 13:33:07 ID: 9ftkmMuoP6
楽しいお茶会の席で道糞殿と呼び掛けるのもな…茶が不味くなりそう
改名の原因である村重の壮絶な過去を出席者がその度に思い出すのも場の空気を重くしそうだし
59 ななしのよっしん
2021/07/07(水) 16:54:21 ID: YQIivejXeC
60 ななしのよっしん
2021/09/09(木) 23:41:43 ID: zfErrd4p+L
工藤かずや/池上遼一の「信長」って漫画だと
一門と配下が一向宗の門徒になったために
身動き出来んくなったって感じだったか
自分はへうげものの地位も家族も捨てて敵に諂ってでも
数寄の業と欲を貫いた清々しい俗人っぷりが好きだった
ほめた!
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