49
1 ななしのよっしん
2012/04/18(水) 00:26:30 ID: kgQ9UeCTeK
史学科も出てないパンピーの感想だけど。
正史や、娯楽作としての系譜の元や価値はある演戯と比べて
裴松之てただの厨房に見えてうぜぇと思ってたんだが。
演戯の土壌になったと聞いて歴史的意義的には感心した。
助かる記事だ
ホント後世の人間は好きな事言うなーとも自分を見て思うがw
ま、娯楽なら演戯系譜で良いし 事実としての史実を知りたい場合、
知識を求める場合混ざってる個人の主観ってノイズはいつでも目障りだからな
現代のどの分野でもそういう「使えない」自称学者はチョロチョロ居るけども。
むしろ当時としてはストイックな仕事の陳寿のイケメンさを評価する所か
2 ななしのよっしん
2012/05/28(月) 15:55:15 ID: EMUpAqFNft
裴松之(裴徽:魏臣の六代孫) vs 孫盛(孫資:魏臣の六代孫)
ファイッ
両方とも面白一族だよね、この人たち
3 ななしのよっしん
2012/08/23(木) 23:09:27 ID: Q1251EDQ51
賈詡とか陸遜に個人的な恨みが見えすぎてて、どうしても好きになれない人。
結構いい仕事してるとは思うんだけどね
4 ななしのよっしん
2012/09/21(金) 20:47:45 ID: 5v7JkDoCZH
この人のお陰で後漢末以降の現在では散逸してしまった文書が断片的に読めると言う意味では、非常に高い功績を持つ人。
確かに個人的意見の部分には主観が入りまくってるが、その他の同時代の批評家たちの意見やデタラメな説に比べると頷ける部分が多い気がする。
5 ななしのよっしん
2012/11/21(水) 04:30:58 ID: Ulz1fAZXrM
自説とそれ以外をちゃんと分けてるからね
読むほうが頭の中で篩にかければいい
6 ななしのよっしん
2012/12/02(日) 23:33:54 ID: 5+dmPofx8G
正史には書かれなかった(書けなかった)逸話や異説を知る事ができるのはありがたい。
特に魏から晋への禅譲の過程は読み応えがあった。
7 ななしのよっしん
2013/03/12(火) 16:29:32 ID: NFTeLUImdf
8 ななしのよっしん
2013/03/21(木) 15:34:20 ID: 5v7JkDoCZH
孫盛も立派な歴史家だろ。
裴松之は孫盛を批判してるが、称賛もしてる。そもそも裴松之が注として引用できるのも(私たちが散逸してしまった資料をよめるのも)、孫盛が当時の人物評をつぶさに拾ってくれたおかげだ。
9 ななしのよっしん
2013/05/28(火) 10:46:52 ID: IJjv2EG3aT
三国志裴注の話は要するに
事実だけ箇条書きで書いたあるwikiの1ページに
大量に[要出典]を付け加えたようなもんだよね
(自分で語尾に[要出典]を付けてるという違いはあるが)
10 ななしのよっしん
2013/07/05(金) 15:25:12 ID: v6xvkemH9t
裴松之の時代には既に散逸したり断片しか残ってなかった資料があるってんだから、勿体ないと言うか残念な話だ。
逆に1500年以上前の資料が今でも残ってることの方が凄いのかも知れんけど。
11 ななしのよっしん
2014/05/22(木) 00:11:25 ID: THJDHV1Xf5
>「罪のない民衆を酷い目に遭わせた。このような悪行をするから孫の代が一族で耐えたのではないか」
「絶えた」じゃないんすかね…ざっとしか読んでないから他のところは知らないけど
修正できる人お願いしますm(_ _)m
12 ななしのよっしん
2014/06/11(水) 22:13:30 ID: DETwrmrOs0
今時のチラ裏そのものみたいな
毒吐きがけっこうおもろいおっさんやとおもった(こなみ)
いっぺん会ってみたいわw
13 ななしのよっしん
2014/07/08(火) 01:03:00 ID: Cg+2jZy5Qd
簡潔な文章でまとめ、自分の意見は表さず言外に示す陳寿
膨大な異論を全て収録し、自分の意見ははっきり表す裴松之
真逆のスタンス二人のタッグが
三国志を史記とも漢書とも違うスリリングな一書に作り上げた
裴松之が三国志注を表したのと、范曄が後漢書を書き上げたのがほぼ同時期だけど、当時は「後漢以降途絶えていた歴史を書きまとめよう」みたいなムーブメントとかがあったのかね?
14 名無し
2014/07/09(水) 17:30:14 ID: v6J6vf9Sag
>>13
文学が恐らく今より重視されてたんじゃないかな?
当時の人達から見ても、多くの英雄英傑が志の為に駆け抜けた三国時代は鮮烈な魅力があったから、重大な出来事から些細なこぼれ話をかき集めて後世に残そうとしてたんだと思う。
15 ななしのよっしん
2014/08/21(木) 21:31:37 ID: v6xvkemH9t
五胡十六国・南北朝時代にかなりの資料が散逸してしまったみたいだし、残ってる文献だけでもかき集めて資料にしなければ!という考えはあったかも知れんね。
裴松之ですら「資料が失われたていて真偽は不明」みたいな書き方してる文献があると考えると、注釈という形で少しでも残してくれた裴松之には感謝感謝だよ。
16 ななしのよっしん
2014/10/06(月) 05:27:07 ID: A292EZ3kJg
裴松之の注釈は様々な文献を用いて陳寿の正史を補ってもいるけど、時には自分の論であることを踏まえて持論も述べてるのが面白い
歴史家なんだなと思わせられるし、ちょっと論文っぽくもある
ちょっと辛口なところあるけど様々な参考資料から俗話とか収録してくれて三国時代の肉付けに大いに貢献した人物だと思うな
17 ななしのよっしん
2014/10/15(水) 10:36:32 ID: v6xvkemH9t
>>16
「信ずるに値しない」「全くのデタラメである」「余所からの引用で勝手に脚色しやがって」とかの辛辣コメントは読んでて心地よいくらいだな
そういうツッコミをしつつ、批判の矛先である孫盛や習鑿歯たちを「よくぞ多様な説を残してくれた、バッチリだ!」と惜しみない称賛を送ってる裴松之って、皮肉でなく良い性格してるなと思うよw
18 ななしのよっしん
2014/10/26(日) 15:39:30 ID: RytkZjWKLr
>>17
ちゃんと史料を持ち出して「ここはこれとかみ合わない」とか
「これ捏造やんけ絶対」とか指摘してくるから親切だよなw
主観がないわけではないが、個人的な感情や思想に流されず適切に纏めてくれているし
多様な史観を持つ史料を公平に引用し紹介してくれる歴史家の鑑
19 ななしのよっしん
2015/03/07(土) 21:17:43 ID: JIge5kiURE
この人の場合、「士大夫たる者、国のため粉骨砕身すべし!」
な忠孝のイデオロギーを強烈に持ってる。
自分の自意識が強烈だから、人物描写の際も
それが強烈に反映され、それが過剰な
諸葛亮・姜維・審配・荀彧びいきになってる。
だから、現実的であんまり無理しない(=イデオロギーに凝り固まってない)、
バランスの取れた陸遜や賈詡タイプは、
なまじ頭いいだけにその頭のよさが個人の栄達や
保身に向かってる、小賢しい気がして、余計癇にさわるんだろう。
>>17、>>18の指摘も尤もだが、感情だけにどうもならず、
時に暴走してるw
。
陸遜も、あれだけ柔軟で聡明ながら、
実態は悲劇の忠臣として終わってるのにね、…
20 ななしのよっしん
2015/03/08(日) 16:41:37 ID: RytkZjWKLr
>>19
現代の見方だから「バランスの取れた」とか「現実的だ」とか言えるのだよ
賈詡のように主君を何度も変えていたり、陸遜のように作戦中民間人を虐殺したり
そんな行為は儒教と関係なく古今東西とこでもアレな行為だろw
そして凝り固まったイデオロギーとか、また儒教叩きか…
注には今でも普通にうなずける内容が多いし、自分の意見と引用を区別しているので
当時としてはかなり客観的なのにね。
現代人の見方を史料に持ち込まないよう注意すべきだと思うな
21 ななしのよっしん
2015/04/23(木) 09:55:34 ID: SZKcmrYSYA
現代人が中立の立場で書いた批評を未来人が見たら「何だこの固定観念ガチガチの個人的感想は」って思うのかも知れないね
反儒教的な人物として書かれている人も我々からすると十分「忠」や「孝」の範疇で生きているように見えたり、逆に孔融親子の様に「この人むしろ反儒的じゃね?」と思えるような人物もいたりするから、三国志に限らず過去の文献を読むときは考察に考察を重ねないと人物の本質や著者が何を言いたいのかを汲み取るのは難しい
只でさえ後漢から三国時代の100年は思想や学問の変遷が著しい時代だし、陳寿と裴松之の間にも100年以上の隔世があるしね
22 ななしのよっしん
2015/07/31(金) 07:09:07 ID: nHmFnMy+3w
>>20
「主君替えは古今東西アレな行為」って言うそれがまさに儒教的発想だぞ。
戦国の世ならば、自分を正しく使ってくれる主に仕える事こそ当然。
23 ななしのよっしん
2015/12/29(火) 09:57:23 ID: KIn0h2vNly
儒教的思想が古今東西の常識だと考える事が凝り固まったイデオロギーっていうんだな
24 ななしのよっしん
2016/02/03(水) 22:12:33 ID: gfqWDGFcNN
>>20
なるほど、これが凝り固まったイデオロギーと言うものか・・・。
勉強になるなぁ、ありがたやありがたや。
25 ななしのよっしん
2016/02/04(木) 22:38:37 ID: BxjH9iJ2zp
↑横槍いれて悪いが君たち3人の考え方の方が、よっぽど凝り固まってると思うよ。
そもそも後漢末~三国時代は戦国と呼ぶ程、秩序や価値観が入り乱れた時代ではなく、
むしろどちらかと言えば、必要以上に価値観の凝り固まった堅苦しい時代だ。
日本の戦国時代にしたところで、君達の言う儒教的価値観の影響を
受けてて、一定の価値観は存在してる。
藤堂高虎のように、少身の頃にきちんと禄を返上してから主君を変えてる場合はともかく
一定以上の大身や、所領を持ったままの主君替えは当時から残る史料の中でも批難されてるしね。
第一、君達はやたら儒教的思想だの発想だの連呼してるが、一体何を指して、儒教的と言ってるんだ?
仁も義も礼も考も忠も、別に儒教が生み出した訳じゃないよ。
26 ななしのよっしん
2016/02/12(金) 11:07:10 ID: O4tVQppezp
そもそも賈詡の場合批判されてるのは主君替えじゃなくて長安の件じゃないのか?
やっと董卓死んで天下が定まったのに賈詡が李カク郭汜に政権取らせたせいでまた滅茶苦茶なってんじゃねーかって言ってるのになんで主君替えの問題に摩り替わってるんだよ
27 ななしのよっしん
2016/03/17(木) 15:08:11 ID: qYajHCHm2E
カクサンは自分が正義マンでないことぐらいは十分判ってて
それなりの処世をやってるので彼を外から道義的に擁護するのも奇妙な話
28 ななしのよっしん
2016/05/15(日) 08:07:00 ID: qYajHCHm2E
曹操の麾下で主君変えて仕えてる人間なんて珍しくもないからな
ポスト董卓の混乱にしても非があるのは主に王允一党じゃないの
29 ななしのよっしん
2016/07/19(火) 16:47:08 ID: SZKcmrYSYA
呂布、王允が政権握り続けててもまともな政治を行ったっつう保証もないしな
分かってるのは李・郭が長安に入ったことで後漢の寿命が更に縮んだという結果だけ
だから裴松之の言うことも分かるし、そうは言っても賈詡だって生き残るためには王允を倒さないといけなかったっつうことも分かる
30 ななしのよっしん
2017/08/02(水) 14:18:27 ID: TC5KEN0km6
>>26
だよねw
賈詡が主君をころころ変えたつっても
董卓
→李確(董卓死後、成り行き)
→張済(李確から乗り換え)
→張繍(張済死亡で後継)
→曹操(張繍と一緒に降伏)
で、不義理したの李確だけだし(それも郭シにも誘われて危険視され、李確と郭シ両方に命を狙われたからという理由あり)
これで主君変えて云々言ってたら張コウや張遼なんて裏切りまくりなんだけどねえ
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。