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1 ななしのよっしん
2012/05/24(木) 20:41:59 ID: 6AcYiCxYct
あらゆる言葉についての記事を閲覧・編集したり、コメントをしたりするサイトなのに「言葉」のきじは無かったのか
2 ななしのよっしん
2012/06/04(月) 23:34:07 ID: xljgosycDV
3 ななしのよっしん
2016/12/29(木) 22:09:51 ID: xrl45auRHH
人間が未だに発明していない物、それが言葉。
言葉を尽くしたとて、意思が伝わる可能性は限りなく低い。
我々は鳴き声を文字に表し、それでもなおそれに意味は伴わない。
この言葉に、意味はあるのか。
4 ななしのよっしん
2018/07/11(水) 22:15:47 ID: n+p5NFrzmI
言葉は嘘を信じさせるのを容易にしたらしい。
5 ななしのよっしん
2018/07/11(水) 22:43:07 ID: s+M8L4+u74
言葉の上のもっともらしさと、その言葉の数々が事実を示しているという事実性を混同する奴が悪い。
勝手に混同しておいて、言葉のもっともらしさを軽視する人間きらい。
6 ななしのよっしん
2018/07/30(月) 04:14:59 ID: xrl45auRHH
事実を示す言葉を書いたとして、相手がその事実に気付くだろうか?
もし脳内の辞書が異なれば、その瞬間に破綻する。
概念を言語に変換した時点で、元通りに再構築出来るかは運なのだ。
7 ななしのよっしん
2018/10/09(火) 18:28:33 ID: y4UUj1Npr3
8 ななしのよっしん
2019/01/21(月) 23:58:49 ID: xrl45auRHH
言葉から概念へと変換する。その相関定義が異なる者が同じ文章を読んだ時、「やっていいよ」と言う言葉をある者は肯定と、別の者は中立的な言動と受け取り、後者は肯定と受け取った者を非難した。
別の場では、ある言葉の示す概念は限定されるとしたものが範囲外の用法に対し誤用であると主張した。
単語あるいは文章と概念間の繋がり、その命題の相容れない者による争いは珍しい事ではない。
そしてこのような争いが度々見られる時点で、争いに至っていないが故に水面下に潜んでいる命題の相違がある可能性は否定出来ない。
命題のまるで異なる可能性がある相手に、意図を正しく伝え伝達する事は不可能と言わざるを得ず、その様なリスクを排除できない時点で言葉はツールとして完成からは程遠いと思える。
9 ななしのよっしん
2019/01/30(水) 19:12:01 ID: y4UUj1Npr3
そうやってからかい屋でいる事に、
対話不能性と直接的応答忌避に拠る優越者たる事に
言葉で呪術する事に正当性を与えそれで
居続けそれによる願望成就に拘泥した時人として終わりですよ。
可能性の扉は閉ざされ残るのは「身内回し」だけ
10 ななしのよっしん
2019/03/20(水) 11:53:12 ID: s+M8L4+u74
この大百科に「概念」「言語」は未だ立項されていないが、流石に「言葉」の項目はあるわけか。
よろしい。
ウィトゲンシュタインにおいては語の意味とは言語ゲーム上の語の使用、
つまり語を用いることで実際に果たされる機能のことであるとされた。
そうした広い文脈での語の使用ルールのことが彼の言う「文法」であった。
それは具体的な場面で限定的な目的のために用いられるルールに過ぎず、
数学用語のような注意深く厳密かつ形式的に定義された語であっても
本当に厳密に定義されている訳ではないことを暴いた。これは数学の不毛さを表すもの
では何らなく、形式的定義は非形式的合意の上に成り立つことを確認しただけである。
つまり、語には「指すもの」があってそれが外延または内包の記述により綺麗に表される
とするのはまあナイーブな考えではあるが、場合によっては現実的には暗黙の合意により
定義が立派に機能する(し、場合によっては機能しない)という感じになっている。
したがって、語の定義を「任意指定な、意味情報の1つ」とみなすのが適切だと私は思う。
語の意味情報の定義の欄は何も記入しなくてもよいし記入してもよいということだ。
こうした意味情報として次のものを想定している。
・定義 ことばがそれぞれの使用において何を指しうるか
・イメージ ことばの一般的なイメージ(主に視覚による、形をもった表象)の生成エンジン
・体感 ことばから一種の体性感覚として受け取り、
結果として情動・感情を喚起してイメージの生成をもたらすその感覚
・用法 どんな文脈(文章内または文章外の文脈)で用いられるかを
具体的な典型例として、または一般的に記述したもの
・重要事項 ことばに関する重要な知識。これは意味情報に分類してもしなくてもよい。
11 ななしのよっしん
2020/01/04(土) 14:16:06 ID: bsozEmOTDS
話が通じないだけなら思考回路や知識の差で説明が付くけど、
国語が通じないようならもうどうしようも無いから諦めた方が良い
12 ななしのよっしん
2020/07/20(月) 21:31:51 ID: 9wfaTypl5j
「目に見えぬ”こころ”は、共有できる”かたち”になったときから死が始まる。」
13 ななしのよっしん
2020/09/21(月) 17:07:57 ID: xrl45auRHH
言葉とは思想だ。
国は「XX株式会社」は名称であるとの思想を提唱するが、人によっては「XX株式会社」を名称とは呼ばないとの思想を持つ。
言葉の思想が違えば、会話は成立しない。
例えば後者の絶対主義者であるなら「XX株式会社」を名称とする思想を拒否し、自分達の思想で塗りつぶす事を望むからだ。
片方が相対主義、ないし包摂的ではまだ足りない。双方が相対主義的な見地を持たねばならない。
14 削除しました
削除しました ID: ZlzAMI5DfH
削除しました
15 苦言
2023/01/05(木) 11:48:03 ID: 9OWLm8APvN
【言葉の違いを主張する人への苦言】
「言葉の違い」(「目的と目標の違い」など)を説明しているネット情報を見かける。(単語を検索するだけで、検索欄に出てきてしまう)
人それぞれバラバラなことが言っているのもしばしば。
それを見るたび、嫌な気持ちになる。
それぞれの人は、勝手なことを主張しているのか、と。
いや、それが、「自分はこう思います」という言い方なら良い。それだったら良いんだ。
けれどもそうでなく、断定的・断言的に「こういう意味です。間違わないようにしましょう」と、あたかも自分が正しいと疑わない姿勢が、気持ち悪い。
また、そういう記事は、コメントを受け付けてもおらず、はなから間違いの指摘を聞き入れない姿勢すら、感じ取れる。それもまた、不愉快。
(問い合わせ欄では、必須の入力項目を多く用意していたりで、単に指摘一つするだけの用途には、面倒くさい)
※この手の不満や意見を書く場所が他に思いつかなかったので、ここに投稿する。
16 ななしのよっしん
2023/06/16(金) 04:25:57 ID: Ui2JwRX4uK
「ぷりぷり」というワード。
『ぷりぷり、海老。』
だと食感を表す形容詞的なニュアンスとなるが、
『う◯ち、ぷりぷり。』
とすると現象を表す動詞的なニュアンスとなる。
これがことばのちから。ことばはすごい。
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