豊臣秀次

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  • 1 ななしのよっしん

    2012/03/14(水) 10:27:26 ID: ruBp6iIuri

    もうちょっと空気を読めていれば

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  • 2 ななしのよっしん

    2012/03/16(金) 16:46:53 ID: 2pU2WCgLnh

    ぶっちゃけ秀頼が生まれていなければ、秀次が後継いで豊臣安泰だったよな。

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  • 3 ななしのよっしん

    2012/04/27(金) 00:47:10 ID: vqqZPCG4bF

    もしくは、秀頼を秀次の養子にして次代の関白にさせることを誓わせるとか

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  • 4 ななしのよっしん

    2012/05/03(木) 16:56:49 ID: Tr953ys9Q3

    それぞれの臣の未来もかかってるし、簡単には譲れないだろう
    後継者付きの臣たちが別の閥作ってしまうのはどこのでもあったことだし
    例:家康による信康粛清。従来は信長の命とされていたが、最近の研究では徳川内部の臣団の閥争いが原因だと明らかにされつつある。信康自害の際、信康付きの臣たちが大量粛清された。

    でも秀次は、秀吉が提案した婚姻(秀次のを秀頼にがせること)を承諾しての方と手紙で相談してる
    秀吉が病で寝込んだ時は心配して手紙を出したり駆けつけたりもしてるし

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  • 5 ななしのよっしん

    2012/05/16(水) 20:23:14 ID: iNUmn2Uh7A

    秀長さえ生きていれば…せめて兄貴が死ぬまで長生きしてればこんなことには

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  • 6 ななしのよっしん

    2012/12/02(日) 06:29:39 ID: FUUsXQAqNT

    結局のところ秀吉によるが子可さと
    自分の残りの寿命に対する危惧から出た暴走なんだろうな。

    よく、奉行達が積極的に導したと言われるけど
    秀次には増田長盛息子石田三成も仕えていたわけで
    そういう面から考えても彼らが導したとは考えにくいな。

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  • 7 ななしのよっしん

    2012/12/12(水) 13:57:30 ID: KxaEjvAHoh

    関ヶ原の敗因になる豊臣内部の対立は何も家康が仕込んだわけじゃなく豊臣政権の構造的欠陥から来てるものだし
    秀次が継いでても家康がいなかったとしても厳しかった気がするな

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  • 8 ななしのよっしん

    2013/01/18(金) 00:22:37 ID: +Uhb01RQgY

    そもそもが死んでなければ、全て丸く収まったんじゃね?

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  • 9 ななしのよっしん

    2013/03/30(土) 12:18:59 ID: 2pE6HTS8eU

    >>8
    どうかなあ。
    寿命の短い秀吉、幼い、既に成人した秀次…。
    この中でが成長するまでか秀吉が死ぬまで、秀次への疑心暗鬼が生じずにいられたかどうか…。

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  • 10 ななしのよっしん

    2013/04/30(火) 03:03:04 ID: hpGycshkWi

    >>9
    が死ななければ、秀吉関白の職を秀次に譲らない可性が高いと思う。
    それだったら、秀次は徳前田といった有力大名の一人という立場のままじゃね?

    ただ、秀吉関白のまま死んじゃうとと秀次の対立が起きそうだけど。

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  • 12 ななしのよっしん

    2022/09/19(月) 23:43:14 ID: 8cRqtBxwJ6

    こんなとこに書くの場違いかもしれんけど、
    豊臣秀次及び妻子全員の処刑と千利休の処刑は秀吉のやらかしだと思ってますわ

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  • 13 ななしのよっしん

    2022/09/20(火) 08:01:52 ID: RF8p1Rr+HU

    秀吉=絶対権力者 関白秀吉=絶対権力者 秀吉でない関白=何の権力もない
    この図式が確定したのが一番まずい

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  • 14 ななしのよっしん

    2022/09/20(火) 20:34:14 ID: XITCN+cxsj

    左大臣の秀次が自害であれ切腹であれ(近年は自害説が有力)死んで右大臣の菊亭季(秀吉関白旋した公家)が流刑になって朝廷の大臣職が太政大臣の秀吉と内大臣の家康だけになってしまったのも割と朝廷としてはまずいことになったり…

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  • 15 ななしのよっしん

    2022/10/28(金) 22:55:11 ID: YsPZGHaGmN

    むしろ自害説はかなり怪しいな・・・なぜなら自害する理由がない。
    秀次が生きていてこそ潔が示されるし、なにより秀次死後の豊臣政権は一貫して秀次謀叛という
    形で動いている。秀吉への抗議という点なら神不可侵の高野山にいった時点で的は達成できている。

    むしろこの事件は秀吉側の対応が序盤は相当手ぬるい。
    不可侵の高野山に秀次を送るのは、処断を考えると下策も下策。
    最初に秀次が出頭した段階で殺した方が格段に楽なのに、秀吉はそうはしなかった。

    つまり秀吉は、この段階では秀次を出させて許そうと考えていた可性が高い。
    でなければ、出頭した段階で殺してるし、高野山なんて難儀な場所には送らないからだ。

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  • 16 ななしのよっしん

    2022/10/28(金) 23:01:33 ID: YsPZGHaGmN

    じゃあ秀吉は、いつ秀次を殺そうと考えたのか?という話になる。
    それはもう、7月15日(の前日)以外にはありえない。つまり秀次のもとに
    秀吉が使者を送った時で、秀次の処断は急転直下で決まった。
    なぜ急転直下で決まったか、と考えると、これはもう7月13日
    重臣が多数処断されていることを考えても「秀次の謀叛は事実だったから」くらいしか理由がない。

    その最も大きな理由として、秀吉による秀次切腹の命を伝えたのが福島正則だからである。

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  • 17 ななしのよっしん

    2022/10/28(金) 23:09:05 ID: YsPZGHaGmN

    秀次事件に詳しい人ならわかるだろうが、福島正則は秀次事件にも、その対応にも
    ここまで全く関わっていない。なぜか秀次事件の直後に大領を貰っているが、
    この秀吉切腹通達以外、全く関わりがなかった人物である。
    秀次事件はあくまで秀吉と、石田三成ら奉行衆が対応を練っていて、福島はいきなり湧いてきた。

    言わずもがな福島正則は智謀に長けた吏僚でもない。じゃあなぜ彼が選ばれたか?
    それは福島正則が、豊臣秀吉従兄弟で、奸智に長けず最も信頼できる人物だからだ。

    一度高野山に送った人物を処断するのは並大抵のことじゃない。かが裏切って
    秀次が還俗したら全に失敗する。足利義昭の還俗の例がそうだ。
    秀吉の手となり足となって動き、秀次を絶対にかつ秘密裏に切腹させる必要があった。
    それができたのが福島正則であり、命したのが秀吉であり、命した理由が謀叛の露見である。

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  • 18 ななしのよっしん

    2022/12/05(月) 20:47:19 ID: Jm0yv9NPsd

    秀次の子って男も女も全員処刑されたのかと思ってたが生きのびたのもいたんだな
    てかどういう経緯で真田信繁の側室に?そんなことして秀吉に睨まれなかったの?

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  • 19 ななしのよっしん

    2023/01/27(金) 16:23:06 ID: dM0HBGXKk/

    秀吉は武の生まれでないことを、殊更に気にしないに振る舞ったが
    この人は生まれが武でなくても武らしく生きられると振る舞うことで、その手の蔑視を跳ね除けようとしたのかなぁ…という妄想
    それが実際にエスカレートしたのか、針小棒大に吹聴されたのかは別として

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  • 20 ななしのよっしん

    2023/07/05(水) 17:16:47 ID: Xq7CGwI+WV

    秀次の善悪はにはわからないけど、秀吉家康よりもこの人を警していたように思えてならない

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  • 21 ななしのよっしん

    2023/10/11(水) 06:43:38 ID: Y61B4hzzhJ

    謀反だったら突然降って湧いたような処理になるしそもそも切腹なんか許されないんで、段階踏んで追い詰めてるのを見ると秀吉(とや大蔵卿周り)が「秀次消したい!殺すかはともかくとして!」からエスカレートしたようにしかみえん

    そこに秀次本人にある程度の落ち度があった(贅沢三昧とか、秀頼に執心する秀吉への愚痴)から「謀反」としてレッテル貼られたというのが自然に見える

    どっちかというと議論の余地があるのはボケ老人を唆したのが五奉行(追い詰めの実行役として導しているのは確か)なのか、それとも淀殿周りなのか(秀頼による大阪の権力基盤固定)のほうでしょ
    未だに謀反かどうかって言ってる事自体が一次史料見てるとなんかなぁと思う

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  • 22 ななしのよっしん

    2023/10/23(月) 10:52:46 ID: SAKhghZFzw

    切腹武士の最後の名誉ってな
    千利休切腹させてたし秀吉切腹マニアだったって前提の謀反考察ならまだ分かるが

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  • 23 ななしのよっしん

    2023/10/28(土) 23:17:31 ID: dM0HBGXKk/

    >>20
    そりゃ大義名分で三歩くらいリードしてるからな…
    家康下取ろうと思ったら、もう一度の乱世か最低下分け決戦を制さなきゃならないが、
    秀次なら幼い秀頼を弼すると言うだけでそのまま実権を握れる(というかそうしないのは責任放棄)
    成人までに体制を固めて返上せず冷遇し、適当に言いがかりをつけて嫡すればそれで済むもの。
    秀吉自身が実際に似たような事を秀信(三法師)にやってたのが疑心暗鬼で秀次の運の尽きだったろうね…

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  • 24 ななしのよっしん

    2023/11/29(水) 12:55:29 ID: DtMfjZXeyv

    ただの個人的妄想だけど、

    秀次の臣団が秀頼が生まれた事で
    自分達の将来を危ぶみ、秀吉への
    不義理を考えるようになった。
    その噂が大きくなり過ぎ、秀次自身は
    だったものの騒動の責任を取る形で
    切腹させられた・・・

    ・・・連々と書いてみたけど、これだと
    一族尽く処断の理由がわからない・・・

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  • 25 ななしのよっしん

    2024/03/07(木) 21:05:51 ID: AJICwA2ntD

    それが理由だとすれば「秀次臣団の生き残りが秀次子孫を担ぎ上げる恐れがあるから」で十分じゃないか
    ていうか秀次というある程度実績のある一族の年長者がいたからこそ利用価値があったわけで
    幼児だらけになった「関白豊臣秀次」なんて、そこまで生かしておく価値なかったんだろう

    秀次一族の中でもの吉房と智は生き延びられたのは
    な血統でもなく関白になったわけでもない側には継承権がないからかな

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  • 26 ななしのよっしん

    2024/03/28(木) 21:38:35 ID: XITCN+cxsj

    の統治失敗(秀吉へ下向し「尾州中御置」で尾統治を叱責「百姓逃亡しとるやんけ何してんねん!」 秀吉もてこ入れしたけどイマイチ…)
    畿内の秀次蔵入地だった河内若江の失政(ここでも百姓の離散が立ったらしい)で秀次下の奉行から秀吉下の奉行に変更(大阪市史)
    生騒動におけるの処遇問題で対立
    が子可さもあったろうけどこの辺も積もりに積もった部分もあるんかな
    秀吉が死ぬまで任官していたのは「太政大臣」で、武を統率する的な権威としては太政大臣のほうが重要だったかも知れない。
    秀次の死後関白を立ててないし秀吉自身関白なったのは結構ラッキー重なってのことで関白仕事である議開催やったことなかったみたいだし(家康内大臣になってからは家康が辛うじてできる立場だった)

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  • 27 ななしのよっしん

    2024/08/16(金) 04:46:42 ID: 8cqs1HiVLp

    豊臣が権力維持して存続するには秀頼をコイツが支える体制を取るくらいしかなかった気がする。史実の利家康頼りはまあ理がある

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  • 28 ななしのよっしん

    2024/08/26(月) 21:10:57 ID: LvHCBJmUMV

    秀頼を高野山に放り込んで秀次体制を作ることはできるが、それが「イヤ」なのが前提だから。
    秀次秀頼共存は史実の流れがうまくいくよりもっと理な話で、秀次だって自分の子供可愛いわけなので基本的に自分と関係ない系統の秀頼に権力を移譲なんかしない。そうなるという根拠は秀吉より前の日本史世界史にも幾らでもあって、まず間違いなく秀次血統の支配が固まる。
    まして史実の秀頼の性格を考慮すれば、相手が家康でも秀次でもやること及び結果は同じにしかならない。

    秀吉が「秀頼に権力を継承する」というほぼ不可能な話を可にするには、秀次を殺っちまってその後よっぽどうまくやるしかなかった。理だった訳だが。

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  • 29 ななしのよっしん

    2024/08/26(月) 21:29:19 ID: md4x4nMjzA

    この時代の人が才なのに族の威だけで関白職を務めるとは考えにくいので一角の人物ではあったと思う
    その後の徳の時代が長かったので豊臣豊臣に関わる人物は評価を貶められている側面もある

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  • 30 ななしのよっしん

    2025/03/27(木) 14:41:42 ID: 8nS/QBb01d

    結局秀次事件は、
    秀頼がを継ぐ>豊臣を残す&豊臣関白システム継続
    という秀吉の思考がなっちゃってるからどうしようもない。

    秀次が勝手に自害したのか、させられたのか知らんけど
    秀次追放+聚楽第破壊+近江八幡破壊+小早川秀秋改易+五大老システム構築(徳前田が特に頼り)+etcと、暴走暴走だ。
    正直、秀吉ボケていて疑心暗鬼になっていた説だと思ってる。

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