168
121 ななしのよっしん
2017/05/04(木) 22:22:14 ID: 8x0tU63dfo
>>119
この人才能開花系の自閉スペクトラムかアスペルガーかなと最近思い始めたと書き込もうとしたら1年近く前に書いてる人がいた
しかし発達となるとますます>>117で言われてる中央に売り込んだ人物の慧眼が凄いな
122 削除しました
削除しました ID: LjeIwumLFI
削除しました
123 ななしのよっしん
2017/07/16(日) 09:15:03 ID: Q5nHMMMMo/
英雄ってのは才能だけでなく運にも恵まれてるよなと感じることは度々あるが、この人もそうだなと思う
諸葛瞻が涪でチンタラせず積極的に攻勢に出ていれば山を越えたところで疲弊した将兵じゃ成都までたどり着けて無かっただろうし、もう少し遅れてたら本軍の鍾会が撤退して曹爽の蜀攻めの二の舞になってた可能性すらあるわけだし
まぁ最期を見るとその強運も尽き果ててしまったわけだが
124 ななしのよっしん
2017/08/12(土) 11:10:17 ID: BV0e3l+xi3
あと荀彧あたりが持ち前の名門士大夫ネットワークを使ってガンガン家柄のいいインテリ人材を獲得していた時代に吃音持ちで地味な実務家が日の目を見たかどうかも怪しい
125 ななしのよっしん
2017/10/17(火) 10:57:32 ID: Q5nHMMMMo/
「人物」の「他の将には慕われていた」の記述は消した方が良いのでは
鍾会が鄧艾の独断専行を弾劾したとき同僚の胡烈や配下の司馬である師纂もこれに同調してるし
まぁ師纂の場合は鄧艾に殺されかけた恨みもありそうだが
段灼による名誉回復の弁護の中ですら「(鄧艾は)名士や世俗の人々の心を軽率にも踏みにじったから誰も鄧艾を弁護しようとは思わなかった」と評されている
蜀制圧後にした自画自賛を敗者且つ田舎者の蜀人に笑われたんだから筋金入りだ
126 ななしのよっしん
2017/10/21(土) 08:17:22 ID: sAK5NQrVcX
「身分と態度のせいで嫌われていたが、実力そのものは認められていた」てとこかね
127 ななしのよっしん
2017/10/21(土) 08:30:52 ID: tYXylHEJIE
128 ななしのよっしん
2017/11/19(日) 11:53:43 ID: Q5nHMMMMo/
例え蜀滅亡後に生き永らえても、下手に出世しちまった時点で張華や文鴦宜しく賈氏、衛氏、楊氏、荀氏、王氏ら門閥の権力闘争に巻き込まれて横死するのが関の山だろう
>>127の言うように平穏無事に生きたいなら立身出世も望まず開墾の名手くらいで収まっておくべきだったんだろうな
悲惨な最期を迎えたとは言えその難のある性格や成り上がり特有の調子の乗りっぷりも含めて鄧艾の魅力だとは思うが
129 ななしのよっしん
2017/12/24(日) 17:53:15 ID: YrSyGtB1fO
元々は(地方レベルでは)いい所の出だったのが曹操の荊州侵攻で流民・屯田民化して滅茶苦茶になったというのが人生のスタートラインだから、
そこから這い上がろうとして自然苛烈な人間になってしまったんだろう。おまけに吃音持ちだから尚更。
平穏に生きるという選択肢は最初から彼にはなかったのだろう。その辺の野心がなければそもそも屯田民という奴隷並みの最低な境遇から抜け出す事すら出来なかっただろう。
130 ななしのよっしん
2018/05/04(金) 06:15:15 ID: ENnE2mWBrS
>>126
姜維を大敗させて、蜀を降伏まで追い込んだと考えたら
少なくとも曹操、司馬懿を除けば魏では文句なしのナンバーワン武将だからな
逆に言えば権力を固めたい司馬昭からすれば厄介な存在であり、
鍾会の訴状はお互いに利用する腹積もりであった可能性の方が高い。
後年、鄧艾は罪を清算されるが、この辺も司馬昭、司馬炎の謀略の匂いがする
131 ななしのよっしん
2018/05/08(火) 16:40:21 ID: Q5nHMMMMo/
鄧艾の自滅…と言うか鍾会による謀殺には司馬昭は積極的には関わっていないと思うぞ
そもそも鄧艾は諸葛緒同様に3万の軍しか与えられておらず十数万(接収した諸葛緒の軍勢も併せれば20万近く)の軍勢を与えられた鍾会とは最初から同列には考えられていない。あくまで鍾会率いる蜀討伐軍の一武将だ。最初から鍾会と鄧艾を共に葬ろうとしてたとするにはバランスがおかしい
鄧艾が司馬昭の心証を悪くしたのはあくまで劉禅の厚遇と呉への侵攻の承認を却下されたにも関わらず独断でことを進めようと暴走した上、鍾会・胡烈・師纂らが鄧艾の罪を上奏してからだ(蜀討伐での活躍はきちんと賞されている)
あと司馬炎はやたらと敵国者や敵対した者を称賛したりその縁者を登用する癖があるから、鄧艾の一件も別に司馬氏の謀略に巻き込まれた後ろ暗さとかではないだろう
132 ななしのよっしん
2018/05/08(火) 16:53:22 ID: m59n8QwcYD
むしろ司馬氏の権勢を守りたいなら元々の地位が高かった鍾会を下げてその分元が低かった鄧艾を上げればいいだけだし
133 ななしのよっしん
2018/05/12(土) 10:23:51 ID: sAK5NQrVcX
文鴦が趙雲の再来なら、こいつは関羽の再来
なお、ほめてない模様
134 ななしのよっしん
2018/05/15(火) 15:14:08 ID: Q5nHMMMMo/
あと、鄧艾を鍾会と同等に扱うこと自体が後世の人間特有のミスだと思う
結果から見ると鄧艾と鍾会は
①同じ伝に収められている
②蜀の制圧後に同等の地位(三公)を与えられている←司馬昭の嫌がらせもしくはデリカシーの無さ
③貧民からの叩き上げと高級官僚の子という分かりやすいキャラクタの対立
という観点からまるで蜀を滅亡させた二大将軍みたいな扱いにされがちだが、上でも言ったようにあくまで蜀討伐のトップは鍾会(本当は司馬昭)で、鄧艾は諸葛緒や胡烈らと同じ諸将の一人。正確には征西将軍なのでその他将軍らより地位は上だけど同じ二品の鎮西将軍且つ仮節・都督関中諸軍事である鍾会の指揮下であることには違いない
そう考えると鍾会が反乱を起こす&鄧艾を陥れた原因は結構単純なのかも知れん
緒戦で姜維を取り逃がしたのは諸葛緒のミスばかりクローズアップされるけど本当は牽弘・楊欣らを指揮していた鄧艾も同罪のはず
逃げた姜維は鍾会率いる本体を足止めし、その隙に鄧艾は成都を制圧してる。鍾会としては剣閣で部下の尻拭いをした上に鄧艾の戦功をアシストしてるのに、褒賞は鄧艾と一緒
そりゃ鍾会にもプライドがありゃ怒るよという話
135 ななしのよっしん
2018/05/20(日) 21:14:32 ID: nM8jjsxvS/
>>129
鄧艾って曹操とその一族を憎んでいたのかな
もしそうだとしたら、あの性格からして曹一族の衰退を「ざまぁw」って思ってそう
136 ななしのよっしん
2018/05/31(木) 15:02:33 ID: kOBpEklZIE
ここのコメ見ればある程度わかるが、記事自体に鄧艾の独断専行の事例を書いてほしいな。独断専行して反逆罪に問われたってだけだと何してたかわからんちん
137 ななしのよっしん
2018/10/20(土) 01:11:29 ID: sAK5NQrVcX
>>136
こんな感じ?
(修正前)
蜀を平定した後、鄧艾は幾度となく独断専行を繰り返すようになる。
そこを突かれ謀反人として都へ運ばれる途中、彼は殺害されてしまう。
彼を謀反人として捕らえたのは共に蜀を平定した鍾会であった。
↓
(修正後)
蜀を平定して調子に乗った鄧艾は自分に専横する権利があると言い出し、勝手に劉禅を将軍位につけたり「白起や韓信より自分が上」などの大言壮語を吐いたりし始める。
最終的に、司馬昭の制止を無視して勝手に呉を攻めると宣言したことで反逆者扱いになって都に送還され、送還中に起きた鍾会の乱のドサクサで殺されてしまう。
「実際に反逆した」鍾会と「反逆とみなされても仕方ないほど専横した」鄧艾は陳寿に同類とみなされたようで、正史では同じ卷(反逆者が並んでいる卷)に彼らの伝が収録されている。
138 ななしのよっしん
2018/11/23(金) 20:36:33 ID: Ftd28xjFtW
>>137
整理乙。あんなんだったから政敵は生かしておけない病患者&曹髦殺しを帳消しする軍功が欲しかった司馬昭が一族抹殺する訳やな(実際その後蜀征伐をお手柄にして晉王になる)
139 ななしのよっしん
2018/11/30(金) 18:23:07 ID: Q5nHMMMMo/
まぁ実際蜀討伐って現場での軍功抜きで語れば
総司令官:司馬昭
総司令官代行:鍾会
その他:鄧艾・諸葛緒・胡烈etc
だし
140 ななしのよっしん
2019/03/12(火) 23:55:45 ID: ocnDMddFbm
>>137
天才的な用兵家だけど、素行を改めないせいで最期は…。って意味なら、確かに韓信に似てる部分もあるよなぁ。流石に戦功の凄さなら向こうが上だが。
141 ななしのよっしん
2019/04/09(火) 01:34:34 ID: LvzSK2hGKO
のちに鄧艾の名誉挽回をはかった段灼ですら人格に関してはフォローしてないな
独断専行というと王基や陳泰もやったことがあるが、いずれも司馬昭へのフォローは欠かさなかった
鄧艾はそれをやらず、司馬昭やその側近とのツテもなかったために
鍾会の謀略にかけられたし、もっと言えば司馬昭からみても
目の上のたんこぶとして排除すべき存在だったんだろうな
142 ななしのよっしん
2020/05/19(火) 16:57:51 ID: 6Kkq4j5k4Y
「韓信(関羽)」「陳平(賈ク)」のようなタイプの逸材が欲しいという趣旨で始まった、曹操の「求賢令」において、鄧艾はその要求を最高水準で満たした逸材。
鄧艾の活躍時期に、鄧艾を上回る能力の人材が魏国全体はおろか、中国全土を見ても稀有だった点を考えると、ここは曹操の慧眼を褒めるべきか。
143 ななしのよっしん
2020/05/22(金) 20:06:44 ID: AiveOUevcw
曹操存命中はガキに過ぎなかったのに慧眼もクソもねえだろw
荊州から連れてきた流民の子の中に将来の傑物がいたってのは面白いけど
>>140
なんて恩知らずなんだ!⇒実はちゃんと感謝の気持ちを持っていました
みたいな逸話も韓信っぽいね、感情表現が不器用で朴訥なイメージがある
144 ななしのよっしん
2020/05/27(水) 18:33:02 ID: W6U2UHi4a4
三国状態に陥ってからは一番国力で勝る魏ですら攻撃は失敗の連続
ただただ攻める方が負けるだけの繰り返し
今回も漢中は越えたけど剣カクでジリ貧
「これは一回撤退かなあ…」と思っていた矢先の大活躍で蜀漢攻略
これは調子に乗るわ、「俺以外の奴ら雑ッ魚w」状態になってもおかしくないと思う
145 ななしのよっしん
2020/06/15(月) 17:31:23 ID: Q5nHMMMMo/
しかも過去に失敗してるのがよりによって曹真・曹爽親子だからね
宗室の重鎮がしくじり実質的な総大将の鍾会が苦戦という状況での大手柄
王濬にとっての范通みたいに諫めてくれる奴が近くにいなかったのが運の尽きだな
146 ななしのよっしん
2020/06/21(日) 10:13:30 ID: 6Kkq4j5k4Y
>>143
君は、「求賢令」という方針が無かったら、鄧艾のような「流民の子」には登用される機会すら無かったという、重要な事実を見落としている。
少なくとも、曹操が出した方針によって、鄧艾、王経、石苞、といった、およそ「発見すること自体が困難」な人材を漏らさなかった点。
それと、後世の「科挙」のような「明確な基準」が無いにも関わらず、国家全ての人材の中でトップクラスの人材を引き当てたという驚異的な事実。
これを「慧眼」というわけさ。
147 ななしのよっしん
2020/06/21(日) 11:05:03 ID: Ef4vptko4b
鄧艾の経歴は
1.役人の家庭に生まれるが、郷里から離れる
2.地方の超したっぱ下級官僚として経歴をスタートさせ、実力で徐々に出世して地方の中~上級官僚ぐらいになる
3.司馬懿の目にとまって中央官界の、それも出世街道に乗る
というもので、司馬懿に抜擢される以前の1と2は、後漢時代からよく見られた有能な地方官僚の出世コースと大差ない。
「在野の有為な人材を推挙せよ」というのは(多分に建前とは言え)後漢、というか漢民族の人事の基本理念であり、求賢令の前はそうじゃなかったなんてことはない。
3.つまり司馬懿の「慧眼」がなければ、鄧艾も普通に地方官吏で生涯を終えることになったはずであり、別に曹操は関係ない。
148 ななしのよっしん
2020/07/14(火) 16:26:03 ID: Q5nHMMMMo/
鄧艾、石苞、州泰は司馬氏の御眼鏡に適って出世した武官トリオだわな
149 ななしのよっしん
2020/08/09(日) 13:56:01 ID: swv4MU3tOj
曹操の代の九品官人法の問題点を指摘して別物に作り替えたのが他ならぬ司馬懿だからな
司馬懿の登用を曹操のおかげにするのは180度ずれてる
150 ななしのよっしん
2021/02/11(木) 18:12:26 ID: aJKftuktrn
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