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1 ななしのよっしん
2012/05/09(水) 13:12:49 ID: 6z3WsVSbkr
生きてた頃の情勢では、陶謙は袁術派なんだよな
袁術―陶謙―公孫瓚の同盟ライン
VS
袁紹―曹操(後で自立・敵対)―劉勲―劉繇の同盟ライン
曹嵩は袁術派VS袁紹派の争いに巻き込まれて殺された、と見ることもできるか
曹操が徐州で過剰な虐殺(虐殺が珍しくない中国史でも後世の史家や英雄たちから過剰と批判されたほどの)を行ったのは、袁術派の有力な一員である陶謙の地盤を破壊するだけでも十分な戦果と考えていたのではないかと
劉備や徐州難民を大量に抱えた孫策・孫権が曹操と戦う際、この時の虐殺を曹操討伐の主な理由に挙げなかったのは、
当時を生きた群雄から見れば曹操の判断は間違ってなかったのかなと
曹操に攻められた時袁術は援軍を出さず、劉備が来たわけだけど、
公孫瓚の学友だった劉備は、公孫瓚の宿敵だった袁紹・袁譚父子から篤く尊敬されていた
陶謙が劉備に徐州を任せると言った真意は、息子の才覚がどうこうではなく、袁術派から袁紹派への鞍替え宣言だったのかも
2 ななしのよっしん
2012/10/24(水) 14:08:47 ID: +toP9lSVgg
陶謙から劉備への徐州委託は、陶謙の意志ではなく徐州を曹操に渡したくない糜竺(富豪代表)、や袁術に渡したくない陳登(名士代表)らの神輿担ぎな気がするけどなぁ。
あと、陶謙はどっちかっつうと袁術派閥と言うより公孫瓚派閥な印象を受ける(公孫瓚が袁術派閥ではなく独自の路線を行く者と前提した意見だけど)。
3 ななしのよっしん
2014/07/05(土) 09:51:37 ID: 2KHMU4WUR0
>>2と同様、州を喜んで譲り渡すって有り得るか?と疑ってる。
いかにも劉備を聖人として描くための演出って感じだ
不必要に曹嵩殺して徐州大虐殺を招いた事が原因で、有力者の支持失って
追い落とされた(若しくは殺された)ってのが現実だったって気がする
劉璋と同じイメージですね。有力者の支持を失い領土を失ったという点は。
4 ななしのよっしん
2014/08/19(火) 16:03:14 ID: vZY19o4zHf
劉備が聖人君主か否かはともかく、陶謙自体がかなり曲者だしね。
泰山方面を荒らしてその後臧覇たちが独立割拠する下地を作ったり、南方に自分の息のかかった人間を配置したり、やってることは袁術や公孫瓉らと変わらん。
徐州の名士・豪族たちから見切りを付けられたとしてもおかしくない。それにしても王族の端くれとは言え、流れ者の劉備に賭けるってのはかなりリスキーだが。それだけ劉備の求心力が強かったってことだろうね。
5 ななしのよっしん
2014/08/24(日) 06:47:55 ID: VlK14LyhQr
当時の徐州で普通に息子に世襲してたら秒殺滅亡待ったなしだし
いっそ君主として担いででも強い奴を留めようとするのは別段おかしいことじゃないんじゃない
6 ななしのよっしん
2014/09/02(火) 00:04:32 ID: z6s3Qz/WLb
そもそも朝廷から任命されて太守になっただけだから
君主とか戦国大名みたいな意識はないやろ
後継指名したにしろお上への推挙という形なんじゃね
7 ななしのよっしん
2014/11/20(木) 02:15:00 ID: i8bKbRxh3+
自分の所で働いてくれや~ってのを断られて
何故無理やり捕まえて牢屋に入れるまでに至っちゃうのか
そこまでせんでもいいじゃない
8 ななしのよっしん
2014/11/21(金) 10:28:35 ID: z6s3Qz/WLb
個人的に招いたんじゃなくて朝廷に推挙したのを断られて恥をかいたんじゃないの
ちなみに同じようなケースで王朗は応じて会稽太守に出世した
9 ななしのよっしん
2015/01/17(土) 21:44:01 ID: KlqpU6dJst
>>7 >>8
フリーの人材推挙する際に「〇〇は優秀です、殿に仕えてくれるなら大いに役立つでしょう。しかし仕官を断られた場合他所で活躍されたら困るので断られたらそいつを殺しといてください。」
というのは秦より前からあった。
張昭ともなればそのくらい知ってると思うから、牢屋に入れられただけで殺さなかった陶謙を悪く言わなかったということだと思う。
10 ななしのよっしん
2015/04/18(土) 07:33:48 ID: cAfLbo2jVu
まあ曹嵩殺害が陶謙の命令であっても意図しないものであったとしても自業自得ではあったんだな
命令はいわずもがなで意図しないものでも朝廷から討伐命令のあった者と結託して山賊行為 とやってるぐらいだしな
まあ討伐命令があったやつがどんな奴か次第だけど山賊行為て
11 ななしのよっしん
2015/04/18(土) 14:13:45 ID: z6s3Qz/WLb
他国に攻め込んで略奪ってのと似たようなもんだべ
きっと自国の領民を救うためにやったことだべ
12 ななしのよっしん
2015/05/10(日) 21:41:49 ID: VlK14LyhQr
思いっきりヒャッハー系武将だから攻められて文句言える立場ではないけど、それにしても曹操のアレはやりすぎと言うか
13 ななしのよっしん
2015/05/10(日) 21:46:44 ID: dv2Sv8EGSi
幽閉された人間が、
幽閉した人間を死んだあとの世辞とは言え褒めるあたり、やっぱりそれなりの人物ではあったんだろうな
14 ななしのよっしん
2015/05/10(日) 21:47:27 ID: DcLJPHhZJc
演義補正が一番デカい人
15 ななしのよっしん
2015/06/12(金) 14:39:37 ID: Jr853T/fL8
むしろ演義だと曹操にボコされる情けないおっさんだけど、史書では上司の張温をバカにしたり袁術を見限ったりと中々嗅覚のするどい男
曹操と劉備の引き立て役なのは歴史上も物語上も同じだけど
16 ななしのよっしん
2015/08/11(火) 23:54:26 ID: ggruA0ZdnT
史書は魏寄りの記述が多いから過剰に悪評を立てられてて、演義だと劉備が領土をもらってるから過剰に持ち上げられてるみたいだから、よくわかんない人だよね
17 ななしのよっしん
2015/08/22(土) 09:56:01 ID: CqWAzK4ACn
>>16
その辺さっぴいて見ると袁紹の成り損ないって感じかなぁ。袁氏の争いからは一歩ひいて、それでいて自力で帝たてようとしたり独立独歩をしようとしたり。
ぶっちゃけ陳親子辺りとの対立は必至だったからほっとけば足元崩れてどの道曹操or劉備の介入はされていたと思う。
18 ななしのよっしん
2015/12/08(火) 22:00:03 ID: zY8LqdEZTw
そもそも自称皇帝の賊と同盟するようなクズだし
…すぐに見限るけど
19 ななしのよっしん
2016/04/30(土) 10:58:40 ID: 6z3WsVSbkr
応劭の存在とその管轄地を考えると、早い時期から曹操が陶謙の勢力圏を切り崩していて、陶謙が報復で曹嵩を殺した可能性も考えられるな
曹操との対決が避けられなかったとしたら、人脈の広い曹嵩は殺しておいた方が良い
山賊行為についてはもし事実なら何やってるんだって感じだが
ただし当時の群雄は強力な軍事力を持つ賊党と組んだり、彼らに要請して敵地で暴れさせることもやっていた
曹操、袁紹、袁術、公孫サン、それに劉備も
賊党を利用した敵地での破壊活動は常套手段だったということは憶えておいた方がいい
まあ賊といってもガチのイナゴ集団から地域の自警団まで色んな連中がいたわけだが
20 ななしのよっしん
2016/05/10(火) 03:15:44 ID: yFSV74g4JY
>>13
酷い目に合わされたとはいえ、張昭にとっては故主にあたる恩人
無碍な扱いは出来ない
仇を恩で返して儒教的名声アップイベントをこなしただけだよ
意地悪な継母によく仕えた的な
張昭の弔辞をもって実は陶謙は名君・・・とはならない訳だ
故吏故主の関係は一生涯続くものなので、そういう関係を嫌って固辞したんだけど無理矢理士官させられちゃね・・・
21 ななしのよっしん
2017/09/23(土) 18:59:00 ID: Ch62xUricM
曹操に意趣返しするなら普通親父を人質にするだろうし、殺すならもっと早くやっていたんじゃないか?
親の仇討ちなんて大義名分をわざわざ与えるほど愚かな人物とも考えにくいし、やはり部下の暴走と見るべきだろう。
22 ななしのよっしん
2017/10/04(水) 20:20:37 ID: Jr853T/fL8
曹嵩を討ったとされる「張闓」と、後に袁術に派遣されて酒宴の席で駱俊を暗殺した「私兵隊長の張闓」(もしくは張闓陽)が同一人物だとすると、袁術の影響下から離反しようとしていた陶謙を取り込むために袁術が送ったエージェントだったのかななんていう妄想もできる
曹嵩を討ち曹操と陶謙を泥沼状態にさせることで北上する袁術が漁夫の利を得る…みたいな
23 ななしのよっしん
2017/10/31(火) 14:42:26 ID: ZtxW3ZQXpS
正史では別々の立場になった親の存在を、意に介さなかった息子が戦争をおっ始めて
後から親がそのツケを払わされる形で敵対勢力の手によって殺害されたのを、
演義では順番が逆になり、別々の立場になった親が先に殺害され、その仇討ちとして、
息子が戦争をおっ始めるというストーリーになる。うん、この曹操の
徐州大虐殺と物凄く似たような展開、三国志で他にもあったな。有名なのが。
そう、馬超の潼関の戦い。正史では馬超韓遂が戦争を起こして、後から馬騰が処断される。
演義ではその逆、馬騰が先に死んで、それを知った馬超韓遂が戦争を起こす。
ちなみに当時の馬超韓遂、そして曹操は、構図的には反乱軍側。正史では
袁紹、曹操、孫堅らは後漢に楯突く反乱軍側。陶謙、董卓、公孫瓚は体制側。
となると、曹嵩が本当に曹操を頼りたがっていたとする説にも疑問が残る。
後漢書や三国志を見ても、曹操曹嵩は明らかに連携していない。絶縁
24 ななしのよっしん
2017/10/31(火) 15:15:23 ID: ZtxW3ZQXpS
「曹嵩は曹操にとって大切な父親であり、曹操はその死を悲しんだ」
この潜在的常識を一旦捨て去ることが重要ではないか?そもそも正史の事績を追うのであれば、
曹操は半董卓連合に参加する際も故郷の譙には戻らず、陳留において衛茲と語らい挙兵していることが
魏書武帝紀注にある。一方、曹操の父親である曹嵩は、後漢書巻78によれば
「及子操起兵,不肯相随,乃与少子疾避乱琅邪」とあり、むしろ曹操の挙兵に反対して徐州琅邪に
子供(少子「曹疾」)と一緒に避難したとある。そしてそこで後に陶謙に殺害される。
この2つの事象や文を考慮するに、曹操は曹嵩のもとへいかず兵を挙げ、曹嵩は曹操を避けるように
平穏な徐州へ逃れたことになり、父子の間は平穏どころか反目すら起こり得たのではないか?
と考えることすらできる。なお後漢書巻73陶謙伝には「是時徐方百姓殷盛,
谷實甚豐,流民多歸之。」とあるので、曹操が潤沢な領土を持つ陶謙を攻めて略奪し、
その結果曹嵩が犠牲になったとは考えられないだろうか?
25 ななしのよっしん
2017/10/31(火) 15:23:20 ID: ZtxW3ZQXpS
ちなみに曹操を主人公とした漫画「蒼天航路」における徐州大虐殺は
7巻その86で描かれているが、この作品では程昱が報仇雪恨、父の仇を
子が討つという理念を曹操は意にも介さず「天下への戦争の一つ」としている。
次の8巻その87では青州兵を先陣に立たせて略奪の限りを尽くしている。
蒼天航路は正史からも演義からもハズレた作品ではあるが、案外ここは史実に近いのではと思う。
長文失礼
26 ななしのよっしん
2017/10/31(火) 21:22:29 ID: QXilFH62pz
27 ななしのよっしん
2017/10/31(火) 21:25:22 ID: QXilFH62pz
>>25
いやぁそこは蒼天にありがちな曹操のマイナス要素は電波発言で誤魔化して真っ正面から描くことを避けたようにしか見えないわ…
28 ななしのよっしん
2017/11/01(水) 10:26:54 ID: ZtxW3ZQXpS
陳宮「もはやこの人にはついてはいけぬ」
あとこのあたりは劉備主人公と見て読んだ方が面白い
29 ななしのよっしん
2017/11/02(木) 11:59:52 ID: Jr853T/fL8
実際に親に対して畏敬の念を持ってようが持ってまいが、親族殺されても報復しないような腰抜けじゃ群雄はやってられんだろうな
まぁその報復の仕方のせい(もしくはネガティブキャンペーン)で後世の曹操の評価にケチがついたわけだが
そもそも陶謙は曹操の親父を殺そうが殺すまいが曹操に攻め込まれるのは時間の問題だったわけで、遅かれ早かれ滅んでただろう
孫堅と言い公孫瓚と言い陶謙と言い袁術寄りの諸将はみんな返り討ちで自滅しとるな(袁術自身にも言えることだが)
30 ななしのよっしん
2018/05/20(日) 13:52:18 ID: VlK14LyhQr
別に陶謙が異として曹操の親を殺したわけじゃない
「道に背き情に任せ、小人を親任し、刑政の和を失した」から結果的に曹操の親父が害を被っただけのお話
結局まともに治世ができてないチンピラで、厳白虎の同類だから長くはない
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