D Studio(ディースタジオ)とは動画の企画・製作を活動内容とする団体、またはそのメンバーがニコニコ動画内で主催するコミュニティである。
D Studioという名称が使われだした次期については曖昧な点が多くハッキリしていない。
しかしながら現在の組織形態に落ち着いたのは2010年12月末ごろであるため、2010年12月設立とするのが一般的な見解である。
ゆうわん
数々の迷企画を生み出してきたD Studioの頭脳。「最近太った?」と日々言われ続ける。
極度の近眼のため放送時はサングラスの上に近眼用メガネをかけているが誰にもツッコまれたことはない。
リスナーには数少ない良識派の様に見られているが、ハメを外し出すとこの人が一番酷い。
Dai-chi
D Studioの主であり、放送、録音、動画作成時において技術部門を一手に引き受けるD studioの心臓。
画面に出ることは少ないものの、まれに入れてくるカーチスの声真似のキレは抜群。
第一期 最終回にてズーズー弁のジジィという新たなキャラを見つけた模様。設定でゆうわんは孫らすぃ。
ゆたやん
メンバー最年長であるにもかかわらず声真似やら歌やら朗読やら・・・
なにかと末端として働かされるD Studioの感覚器官。放送初期は毎回お面を作っていたがすぐに飽きた
らしく、以降は本人曰く「現場で拾った」サングラスをかけている。
だーよし
いつの間にかD Studioに住み着いていたD Studioの恥部。
ライバル両津と数々の名勝負を繰り広げる、ガチホモに定評あり。
両津
D Studio被害者の会・終身名誉会長。
数々の企画に本人が望む、望まざるとに関わらず巻き込まれる。1/1両津勘吉。
ササカマ
D Studioの良き協力者。
オーダー次第でコーラスからネカマまでこなす、影の立役者。メンヘラに定評あり。
~2010年 スタジオ主(コヤンツ)であるDai-chiの自費によって各種機材が導入される。この時点で
はDai-chiの趣味の領域であった。
2010年12月28日 忘年会を撮影した動画を編集。これはDai-chiの撮影した動画にゆうわんとゆたが
コメントしていくという簡素なものだった。
同日 コミュニティ「D Studio」開設
31日 第1回生放送。しかしながらこの時は機材の調整が間に合わずUSTREAMでの配
信であった。
2011年 1月 1日 「『ドラマチックしりとり』メディア化の企画書」が提出される。
2011年 1月 6日 『ドラマチックしりとり』クランクイン。
2011年 1月 8日 『ドラマチックしりとり』クランクアップ。
同時にD Studio製作動画第1弾としてニコニコ動画にアップロード。デビュー作となる。
2011年 1月19日 生放送『職場先の両津勘吉をSkypeで釣ってみた』配信。
2011年 1月22日 動画『職場先の両津勘吉をSkypeで釣ってみた』をアップロード。生放送では配信されて
いない拉致シーンを含むダイジェスト版となっている。
2011年 3月 4日 生放送『【頂上決戦】ブリーフ姿でプロレスしてみた【ほぼ裸】』放送
実況:ゆうわん、解説:ゆたやん、放送設置:Dai-chiの陣容でだーよしと両津の決戦を
生中継。これにより、だーよしは彼女とのすれ違いの生活が続く、リア充ザマァww
2011年 3月11日 東日本大震災発生
現地の生の情報を伝えるため被災地を奔走。
2011年 3月15日 動画『【東日本大震災】被災地の様子』以下同シリーズ5本をアップ。
2011年 5月 9日 震災の影響で延期されていたD Studio発の音源を生放送にて発表。
同時にD studioの仙台での活動の終了を宣言、これをもって第一期終了となる。
2011年1月現在、製作された動画に明確な共通性は見受けられないため確固たる指針は特に無いようで、どうやら地方の大きなお友達が潤沢な機材を用いて全力でふざけているだけのようだ。
しかしながら時には社会派な動画を投稿したりもする。
全体的にクオリティに関しては何をか言わんや、といったところではあるが・・・
1期を終えて本人達は大満足。第三者は置き去り。(2011年5月現在)
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最終更新:2024/04/24(水) 20:00
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