甄氏 単語

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シンシ

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「甄氏/甄皇后」とは、の初代皇帝曹丕の妻である。名を「甄洛」とする事もあるが、これは創作である可性が高い。曹植作、賦は甄氏を題材にしたとされている。その賦を題材に劇などが作られているが、その時に彼女の名を「甄洛」としたのである。諡は「昭皇后

その生涯に巨大なを残した女性である。

概要

上蔡県の県、甄逸のでとして生まれる。甄氏は代々二千石の高官の柄であった。三男五女の末っ子に当たる。名前は全て判っているが、何故か彼女だけ名が判らない。

初めは、袁紹の次男・袁熙の妻となった。しかし、曹操が冀州を攻め落とす。その際、曹操袁紹の屋敷に門番を置き「も入れないように。」としていた。しかし、お構いなしに乗り込んだ曹丕に、袁紹の妻の氏と共に発見される。甄氏に一目惚れした曹丕は妻にと願うようになる。この時、二人を丁重に扱ったらしく、門番を振り切った曹丕曹操は罰しようとしたが、氏がとりなした為罪を受けず甄氏を妻に迎えた。

そして、後の明曹叡(東郷)を産んだ。

聡明で良く夫を助け、贅沢をめるなど慎ましやかな性格で曹丕の寵を一身に受けた。また周りを良く助けたため信望も厚かったという。

その後、曹丕献帝譲を迫り、皇帝となったため皇后となった。

しかし、次第に寵が薄れ、妃らに移って行く。さらに、献帝の二人のが入内すると、「寵がもっと薄れる」と彼女は嘆き曹丕に恨み言を述べた。これが曹丕の怒りを買い、自殺を命じられるのである。

この自殺妃の差しとする説があるが、信憑性に欠ける。詳しくは「郭皇后」の項に。

彼女息子曹叡であるが、彼には大きながある。正確に言えば「」。正史三国志」に彼の生年がのである。

正史」とは、時の支配者が正しいと認めた史書に付けられる物である。そんな史書に「皇帝の生年がい」というのはその史書の存在意義をも揺るがす、重大な記述漏れと言える。「三国志」はによって認められたため、基本的に寄りである。

では、なぜこのような書き方をしたのだろうか。また、書かざるをえなかったのか。

その理由として上げられるのが「曹叡の出自」である。生年は判らないのだが年と享年情報が有る。239年に亡くなり、これは信頼できる年とされている。享年は34歳と36歳のふたつの説がある。現状、36歳説が有だが、これを信じれば204年生まれという事になる。この「204年」。これがキーワードとなる。

曹操が冀州を攻め落としたのが204である。

そう、曹丕が甄氏を娶った年と曹叡の生年が同年なのである。そう考えれば、「曹叡曹丕では袁熙の子」という可性が生まれてしまうのである。

DNA鑑定血液型鑑定などい時代である。その子がの子なのか知る事は出来ない。その為、確実な後継者を確保するために、後宮は全員女性だったり宦官を使ったのである。

しかし、曹叡は生まれてしまった。どちらの子か判らぬままである。どちらの子か判らぬ以上、簡単に殺すことも出来ない。血筋というものは極めて重要なファクターである。同じ君の子であっても、正室の子か、側室の子か、それだけで血で血を洗う後継者争いが起こるのである。出自の判らない子というのはそれだけで厄介だった。

当然、曹操曹丕も気づいたであろう。曹操がなかなか後継者を名しなかった理由もここではないかとする説もある。

結果、「皇帝の生年を記載しない」という、苦し紛れの書き方をしたとの見方が有である。

三国志大戦

SR甄皇后が1から皆勤で登場。3現在では、真島ヒロ氏のSR甄皇后と、風間太氏のR甄洛、戸橋ことみ氏のUC甄皇后が排出されている。もう知らない人も多いと思うが、1では那知上陽子氏のC甄皇后がUC蔡文姫と共に「飛天の舞」持ちで所持者が二人居た。

3では袁軍が削除された為登場していないが、masaki氏のSR甄洛もあった。1では「復活の舞」という名前からし微妙な舞を持っていた、事実微妙で使われることはかったが、スペックコスト1で武3知5魅と良好だった。2では武が-1され「浄化の計」に変更された。前作で全く使われなかったのが功を奏し、彼女デッキに居るのに妨計略を使う君が続出したという。

1の頃、SR甄皇后の「悲哀の舞」は圧倒的な強さを持っており、「舞った後はカードを攻ゾーンに並べるだけで試合が終わる」等と言われた時期もあった。その後、修正を重ね、強デッキと弱デッキを何度も往復している。現在では「勢の舞」に変更された他、低コスト高知騎兵としての採用が増えており、「舞わない」という選択肢も十分視野に入れた運用がされている。

R甄洛は、いわゆる「名前は違うけど同一人物の為、同時登録出来ない。」カードの代表とされる。計略は相手の攻を下げる「憂の舞」。ゲージ例して軽減率が変わり、1でも五分の一程度に軽減し、3ともなれば攻兵を含む全ての兵種の攻ダメージが1になる(0.3)。相手が大幅に攻を上げれば流石に1では済まないが、それでも攻4倍程度の攻門攻撃が3程度と騎兵クラスにまで軽減されている。

戸橋ことみ氏の甄皇后は本当に「薄幸の美」という二つ名に違わない扱いである。2で初登場時は「鼓舞の舞」であった。当時、いわゆる「刹那系」計略が注されていた為、「士気を増やしてこれらを連発する」というコンセプトが注を集めた。しかし、実際には士気の運用が難しく、「踊るための士気4を刹那計略に使う方が・・・」と言った理由から使われなくなってしまった。これは彼女が悪い訳ではなく、「鼓舞の舞」自体が持つ問題と言える。3では舞ではなく実用性の増した「誘惑」を所持して復活した。だが、のR貂蝉人気と違い、コスト1.5で武3のコスト低武が祟って採用を見合わせるというパターンが多い。しかし、Ver.3.5での高コスト超絶強化を封殺出来る可性があるという理由から見直されている。彼女は来るのだろうか。

シリーズを通して夫の曹丕との相性が良くないなのはあえて意識して調節している事だろうか。

三國無双

2から甄姫の名前で登場。武器で「お退きなさい!」と言いながら放つキック往復ビンタでたたきのめす様子はまさに女王様に相応しく人気あった。4ではプレイヤーキャラ化した夫の曹丕を「が君」と呼び、しおらしい面も見せるようになった。

5から貂蝉コンパチモーションのに変更されてしまったが、性格的に貂蝉よりもお似合いだとのもある。

3では曹丕袁熙のどちらかに付くかを選べる外伝があったり、シナリオによっては袁紹軍に所属している時もあるが、OROCHIでは遭遇して戻ってきてくれたかと喜ぶ前夫の袁熙に冷たく言い放つ一面もある。

月英ライバル視しており、顔をあわせるたびに女のバトルを繰り広げたりもする。

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