天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会とは、JFAとJリーグが主催する日本の男子サッカーにおける全国規模のオープントーナメントである。
2017年大会までは天皇杯全日本サッカー選手権大会という名称だった。
J1リーグ、JリーグYBCルヴァンカップと合わせて日本の国内三大タイトルの1つとされている
「天皇杯」という名前の優勝カップはサッカー以外の競技にも存在するのだが、単に「天皇杯」と言えば大体この大会の事を指すほどである。他の競技と明確に区別する場合は「サッカー天皇杯」または「天皇杯サッカー」などと呼ばれる。
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1921年に開始された100年以上の長い歴史を持つサッカーの日本選手権大会で、日本サッカー協会チーム登録種別で第1種登録のチームが予選に参加可能なオープントーナメントである。
日本のすべての第1種(プロ・社会人・大学)チームに参加権がある大会であり、これらのチームが混ざって戦うのが特徴である。1996年から2014年までは第2種(高校・クラブユース)チームも参加可能であった。予選から決勝まで全試合が一発勝負で行われる。
本大会出場チームは、第89回(2009年)大会以降は88チームとなっている。J1・J2のチームはすべて予選免除、これにその他予選免除チーム(JFL上位チームなど)と各都道府県代表(47チーム)を加えて競われる。[1]
現在は、8月までに都道府県大会が行われ、9月に本大会が開幕。決勝戦は年明けの元日に行われている。
優勝チームには、翌シーズンのAFCチャンピオンズリーグ(ACL)への出場権が与えられ、Jリーグ上位チームとともに参戦する。
オープントーナメントでかつ一発勝負であるので、上のリーグカテゴリに所属しているクラブが下のリーグカテゴリに所属しているクラブに負けるという、いわゆるジャイアントキリング(番狂わせ、下克上)が、日本のサッカー大会としては最も目立って起こる大会である。
大会創設(1921年)から1950年代までは、大学のサッカーチームが優勝することが多かったものの、1960年代に入って企業チームが取って代わった。Jリーグ発足(1993年)後は、Jリーグのチームのみが優勝経験がある。
回数 | 年度 | 優勝チーム | 備考 |
---|---|---|---|
ア式蹴球全国優勝競技会 | |||
1 | 1921 | 東京蹴球団 | 関東、中部、関西、西部の4地域から20チームが参加。 決勝大会は、棄権した1チームを除いた3チームが参加。 東京蹴球団が初代優勝チームとなった。 |
2 | 1922 | 名古屋蹴球団 | |
3 | 1923 | アストラ・クラブ | 関東大震災の影響で決勝は1924年2月に開催。 |
4 | 1924 | 広島一中鯉城クラブ | この大会から内務省が主催。 |
5 | 1925 | 鯉城蹴球団 | |
6 | 1926 | 大正天皇崩御のため中止 | |
7 | 1927 | 神戸一中クラブ | 神戸一中クラブが学生チームとして初優勝。 |
8 | 1928 | 早大WMW | 早大WMWと京都帝国大学による初の学生同士の決勝。 後の早稲田大学ア式蹴球部の前身となる早大WMWが6-1で初優勝。 |
9 | 1929 | 関学クラブ | |
10 | 1930 | 関学クラブ | 決勝は1931年5月に開催。初めて東京以外で開催された。 関学クラブが史上初の大会連覇。 |
11 | 1931 | 東京帝大LB | 全く無名だった興文中学が準優勝という快挙を成し遂げる。 |
12 | 1932 | 慶應クラブ | |
13 | 1933 | 東京OBクラブ | |
14 | 1934 | 極東選手権への準備のため中止 | |
全日本蹴球選手権大会 | |||
15 | 1935 | 全京城蹴球団 | この回から優勝チームが全日本選手権のチャンピオンと位置づけられる。 全京城蹴球団はこの年の明治神宮大会も制覇。 |
16 | 1936 | 慶應BRB | ベルリン五輪開催のため日本代表選手が不在の大会となった。 |
17 | 1937 | 慶應義塾大学 | |
18 | 1938 | 早稲田大学 | 決勝で初の早慶戦が実現。 早稲田が慶応義塾大学の連覇を阻み、優勝。 |
19 | 1939 | 慶應BRB | 前回に引き続いて決勝は早慶戦。 延長戦の末に慶應BRBが勝利し、4度目の優勝 |
20 | 1940 | 慶應BRB | 3大会連続で決勝は早慶戦。 |
21 | 1941 | 太平洋戦争のため中止 |
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22 | 1942 | ||
23 | 1943 | ||
24 | 1944 | ||
25 | 1945 | ||
復興全日本蹴球選手権大会 | |||
26 | 1946 | 東大LB | 関東と関西の予選を勝ち進んだ2チームが5月5日の決勝大会に参加。 「復興第1回全日本選手権大会」として開催。 |
27 | 1947 | 世情不安のため中止 |
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28 | 1948 | ||
全日本サッカー選手権大会 | |||
29 | 1949 | 東大LB | |
30 | 1950 | 全関学 | |
◆天皇杯全日本サッカー選手権大会◆ | |||
31 | 1951 | 慶應BRB | この大会から「天皇杯」が授与されるようになる。 |
32 | 1952 | 全慶應 | |
33 | 1953 | 全関学 | |
34 | 1954 | 慶應BRB | |
35 | 1955 | 全関学 | |
36 | 1956 | 慶應BRB | |
37 | 1957 | 中大クラブ | |
38 | 1958 | 関学クラブ | |
39 | 1959 | 関学クラブ | |
40 | 1960 | 古河電工 | 古河電工が実業団チームとして初優勝。 この大会を境に実業団と大学のパワーバランスが入れ替わるようになる。 |
41 | 1961 | 古河電工 | |
42 | 1962 | 中央大学 | |
43 | 1963 | 早稲田大学 | |
44 | 1964 | 八幡製鉄 古河電工 |
AリーグとBリーグそれぞれ5チームの1位同士による決勝戦が実施。 決勝は延長を経ても決着せず、両チーム優勝となった。 |
45 | 1965 | 東洋工業 | この年、日本サッカーリーグ(JSL)が発足。 JSLおよび大学の上位各4チームに出場権が与えられる形式となる。 |
46 | 1966 | 早稲田大学 | |
47 | 1967 | 東洋工業 | |
48 | 1968 | ヤンマー | この年より決勝戦の元旦、国立競技場開催がスタート。 |
49 | 1969 | 東洋工業 | この年より「NHK杯」が贈呈されるようになる。 |
50 | 1970 | ヤンマー | |
51 | 1971 | 三菱重工 | |
52 | 1972 | 日立製作所 | イングランドのFAカップを模したオープン化。 SL1部8チームと地域大会を勝ち抜いた16チームが出場。 |
53 | 1973 | 三菱重工 | 参加チームは807チームとなる。 |
54 | 1974 | ヤンマー | |
55 | 1975 | 日立製作所 | 参加チームは1105チーム。 |
56 | 1976 | 古河電工 | |
57 | 1977 | フジタ工業 | |
58 | 1978 | 三菱重工 | |
59 | 1979 | フジタ工業 | この大会から第62回まで優勝チームはジャパンカップ出場権が付与。 |
60 | 1980 | 三菱重工 | |
61 | 1981 | 日本鋼管 | 日本鋼管がJSL2部のチームとして初優勝。 |
62 | 1982 | ヤマハ発動機 | 2年連続で2部のチームが優勝。 |
63 | 1983 | 日産自動車 | |
64 | 1984 | 読売クラブ | |
65 | 1985 | 日産自動車 | |
66 | 1986 | 読売クラブ | |
67 | 1987 | 読売クラブ | |
68 | 1988 | 日産自動車 | |
69 | 1989 | 日産自動車 | この大会から優勝チームにはアジアCWC出場権が与えられる。 |
70 | 1990 | 松下電器 | 決勝は初のPK戦決着。 初優勝の松下電器が日産の3連覇を阻む。 |
71 | 1991 | 日産自動車 | |
72 | 1992 | 日産横浜マリノス | Jリーグチームが初出場。 横浜マリノスは前身の日産時代から5大会連続決勝進出で連覇。 |
73 | 1993 | 横浜フリューゲルス | Jリーグ発足後初の大会。 横浜フリューゲルスが前身の時代から数えても初優勝。 |
74 | 1994 | ベルマーレ平塚 | |
75 | 1995 | 名古屋グランパスエイト | Jリーグで大躍進を遂げた名古屋が初優勝。 |
76 | 1996 | ヴェルディ川崎 | この大会から地域代表が各県1チームとなる。 そのため本大会出場チームが80チームに増加。 |
77 | 1997 | 鹿島アントラーズ | 鹿島が初優勝。 |
78 | 1998 | 横浜フリューゲルス | この年を最後にチーム解散が決まった横浜Fが2度目の優勝。 負けたら即消滅の中で勝ち抜き、有終の美を遂げる。 この大会はサッカー史に残る伝説の大会となった。 「私たちは忘れないでしょう 横浜Fという非常に強いチームがあった事を」 |
79 | 1999 | 名古屋グランパスエイト | 決勝でのストイコビッチの2点目は語り草。 |
80 | 2000 | 鹿島アントラーズ | J1、ナビスコカップを制覇していた鹿島が史上初の国内三冠を達成。 |
81 | 2001 | 清水エスパルス | 4度目の決勝進出で清水が初優勝。 この大会から優勝チームにACL出場権が与えられる。 |
82 | 2002 | 京都パープルサンガ | この年、日韓共催によるワールドカップが開催。 京都パープルサンガは初優勝。 |
83 | 2003 | ジュビロ磐田 | |
84 | 2004 | 東京ヴェルディ1969 | |
85 | 2005 | 浦和レッズ | |
86 | 2006 | 浦和レッズ | 浦和はJ1優勝との二冠、かつ連覇。 |
87 | 2007 | 鹿島アントラーズ | 鹿島はJ1優勝との二冠。 |
88 | 2008 | ガンバ大阪 | ガンバ大阪はACL優勝との二冠。 |
89 | 2009 | ガンバ大阪 | |
90 | 2010 | 鹿島アントラーズ | |
91 | 2011 | FC東京 | J2創設以来初めての、その年にJ2に所属していたチーム同士の決勝。 また、J2勢が優勝したのもJ2創設以来初めて。 |
92 | 2012 | 柏レイソル | |
93 | 2013 | 横浜F・マリノス | 国立競技場建て替えの為、現行の国立競技場で行われる最後の決勝戦。 その年度におけるJ1の1位と2位の対戦はJリーグ発足後初めて。 |
94 | 2014 | ガンバ大阪 | AFCアジアカップ2015が1月に開催されるため、 代表強化の観点から決勝を恒例の元日ではなく12月に前倒し。 決勝戦を日産スタジアムで開催。 ガンバ大阪はJ1・ヤマザキナビスコカップとの三冠。 |
95 | 2015 | ガンバ大阪 | 2年ぶりに決勝は元日。 決勝戦を味の素スタジアムで開催。 ガンバ大阪は前回から2連覇。 |
96 | 2016 | 鹿島アントラーズ | 決勝戦を市立吹田サッカースタジアムで開催。 鹿島アントラーズはJ1優勝との二冠。 |
97 | 2017 | セレッソ大阪 | 決勝戦を埼玉スタジアム2002で開催。 1回戦は例年よりも早い4月に開催。 セレッソ大阪はYBCルヴァンカップとの二冠。 |
◆天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会 | |||
98 | 2018 | 浦和レッズ | AFCアジアカップ2019が1月に開催されるため、 代表強化の観点から決勝を恒例の元日ではなく12月に前倒し。 前回と同じく、決勝戦を埼玉スタジアム2002で開催。 1回戦は5月に開催。 |
99 | 2019 | ヴィッセル神戸 | 2年ぶりに決勝は元日。 決勝戦を新国立競技場で開催。 1回戦は5月に開催。 ヴィッセル神戸は初優勝。 |
100 | 2020 | 川崎フロンターレ | 新型コロナウイルスの影響により期間短縮。 J1から2チームとJ2・J3・JFLから各1チームと47都道府県の代表が出場。 これにより多くのJリーグチームの出場記録が途切れることになる。 1回戦は9月開催に変更。 川崎フロンターレは初優勝。 |
101 | 2021 | 浦和レッズ | 2年ぶりにJ1およびJ2の全チームが参加。 1回戦が5月開催に戻る。 準々決勝からはVAR(ビデオアシスタントレフリー)を導入。 クラブワールドカップ開催返上により決勝戦を12月に前倒し。 |
102 | 2022 | ヴァンフォーレ甲府 | ワールドカップが11月から12月に開催されるため決勝戦を10月に前倒し。 決勝戦を8年ぶりに日産スタジアムで開催。 ヴァンフォーレ甲府は初優勝。 決勝戦でJ2チームがJ1チームに勝利しての優勝は史上初。 番狂わせ甲府も参照。 |
103 | 2023 | 川崎フロンターレ | 1月にAFCアジアカップ2023が控えているため決勝は12月9日に開催。 2年ぶりに国立競技場で決勝を開催。 サポーターによる悪質な問題行動が特に目立った大会。 中でも警察沙汰までになった浦和レッズは2024年大会の参加資格剥奪となる。 |
順位 | チーム | 回数 | 優勝年度 |
---|---|---|---|
1位 | 浦和レッズ / 三菱重工 | 8 | 1971, 1973, 1978, 1980, 2005, 2006, 2018, 2021 |
慶應BRB / 慶應クラブ / 全慶應 | 1932, 1936, 1939, 1940, 1951, 1952, 1954, 1956 | ||
3位 | 横浜F・マリノス / 日産自動車 | 7 | 1983, 1985, 1988, 1989, 1991, 1992, 2013 |
関学クラブ / 全関学 | 1929, 1930, 1950, 1953, 1955, 1958, 1959 | ||
5位 | 東京ヴェルディ / 読売クラブ | 5 | 1984, 1986, 1987, 1996, 2004 |
ガンバ大阪 / 松下電器 | 1990, 2008, 2009,2014, 2015 | ||
鹿島アントラーズ | 1997, 2000, 2007, 2010, 2016 | ||
8位 | セレッソ大阪 / ヤンマー | 4 | 1984, 1986, 1987, 1996, 2004 |
古河電工 | 1960, 1961, 1964, 1976 |
順位 | チーム | 回数 | 優勝年度 |
---|---|---|---|
1位 | 鹿島アントラーズ | 5 | 1997, 2000, 2007, 2010, 2016 |
2位 | ガンバ大阪 | 4 | 2008, 2009, 2014, 2015 |
浦和レッズ | 2005, 2006, 2018, 2021 | ||
4位 | 横浜F・マリノス | 2 | 1992, 2013 |
横浜フリューゲルス | 1993, 1998 | ||
名古屋グランパス | 1995, 1999 | ||
東京ヴェルディ | 1996, 2004 | ||
川崎フロンターレ | 2020, 2023 | ||
8位 | 清水エスパルス | 1 | 2001 |
セレッソ大阪 | 2017 | ||
京都パープルサンガ | 2002 | ||
ジュビロ磐田 | 2003 | ||
柏レイソル | 2012 | ||
ベルマーレ平塚 | 1994 | ||
FC東京 | 2011 | ||
ヴィッセル神戸 | 2019 | ||
ヴァンフォーレ甲府 | 2022 |
ここでは、「Jリーグ以外のチームが、J2以上のチームを破った例」を示す。J2下位のチームやJ3のチームがJ1上位のチームを破った場合もジャイアントキリングと扱われる場合があるが、ここでは省略した。
2007年は、アマチュアチームのHonda FCが、Jリーグのチームを3チーム撃破し(準々決勝で鹿島アントラーズに敗れる)8強入りを果たしている。下記「関連動画」も参照。
天皇杯でよく使われるこの言葉は、2ちゃんねる内における大会関連のスレッドが発祥とされる。
天皇杯の中継はNHKが共催で名を連ねている関係で独占しており、併せて全国中継されるほとんどのカードがNHK衛星第一テレビジョン(BS1)で放映されている。
この言葉が浸透しだしたきっかけとなったのは、2004年の第84回大会の5回戦である横浜F・マリノス対ザスパ草津の一戦と言われている。
当時のマリノスはJ1を2連覇、片やJFLを3位で終えていた(しかし特例でJ2昇格が決まっていた)ザスパは、4回戦でセレッソ大阪を逆転で下してきた。
実はこの試合、チャンネルはBS1だったが、水曜日のゴールデンタイムでの放送ということもあり、国内サッカーファンを始め、全国から注目されていた。
最初は前半29分にザスパの宮川大輔がゴールを決めて先制する。
後半に入ると目が醒めたマリノスが積極的にゴールを奪いに来るようになるが、後半27分にマリノスの奥大介を止めようとザスパの山口貴之が引っ掛けてしまいイエローカード2枚目を貰って退場。
後半38分に奥が決めて同点とし、逆に後半40分にザスパの籾谷真弘がイエローカード2枚目を受けて退場。
この時点でザスパは9人となってしまうも奮闘し何とか延長戦に持ち込んだが、J1王者であるマリノスは誰一人退場しておらず、ここまで足掻き続けたザスパがマリノスに屈してしまうのも、もはや時間の問題であると誰もが思っていた。
そして延長前半11分、当時ザスパのキャプテンだった鳥居塚伸人がFKで揉みくちゃになっているマリノスゴール前にボールを蹴り飛ばし、マリノスの誰もがクリアせずにザスパの選手たちとボールを争奪し合う。
ボールはファーポスト方向に転がり、それにザスパの依田光正選手が反応してそのままシュート、それがそのままゴールに吸い込まれてザスパの延長Vゴール(サドンデス)勝ち・・・伝説がまた1つ、誕生した瞬間であった。
試合後、NHKのニュース9で「ザスパ草津、大金星!」の見出しで試合内容が紹介され、翌日のスポーツ新聞では1面を飾り、さらにはザスパの公式サイトがサーバーダウンによるアクセス不可状態となっていた。
なお、ザスパは3日後の準々決勝である東京ヴェルディ戦では0-3とやられてしまう。
無理も無い、マリノス戦前のリーグ戦で膝を悪化させていたGKの小島伸幸は強行出場してさらに悪化させてしまっているし、マリノス戦で主力2人が出場停止となってしまったのだから。
ちなみにマリノスについてだが、前大会である2003年の第83回でも、なんと船橋市立船橋高等学校に2-0から追いつかれてPK戦にまでもつれ込んでしまった試合を観せてしまっている。(決して失態ではない。)
当時のマリノスはシーズンの最後辺りどうしてああなった・・・。
最後に「BS劇場」というこの言葉、今ではJ1のリーグ戦でも使われているらしいが、正直「BS劇場=天皇杯での番狂わせ」である認識の方々からしたら馴染めない使用の仕方であろう。
掲示板
25 ななしのよっしん
2022/10/17(月) 10:40:53 ID: WuT/JfEoKs
>>24
本当にやってしまった…
26 ななしのよっしん
2022/12/03(土) 19:33:42 ID: Sf1P+NDWlW
27 ななしのよっしん
2023/09/27(水) 23:56:25 ID: UzA3J9D57W
最後に天皇杯優勝してから次の優勝までのブランク長かったJリーグクラブ(JSL時代含む)
セレッソ大阪 42年 1975〜2016
柏レイソル 36年 1976〜2011
浦和レッズ 24年 1981〜2004
天皇杯優勝経験はあるが最後の優勝からかなり遠ざかっているJリーグクラブ(2023年時点、JSL時代含む)
サンフレッチェ広島 54年連続 1970〜
ジェフユナイテッド千葉 47年連続 1977〜
湘南ベルマーレ 29年連続 1996〜
急上昇ワード改
最終更新:2024/04/25(木) 22:00
最終更新:2024/04/25(木) 22:00
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