月光(戦闘機) 単語

7件

ゲッコウ

6.8千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

月光(戦闘機)とは、大東亜戦争中に日本海軍が運用した戦闘機である。
連合軍のコードネームIrving(アーヴィング)。

前身

十三試双発陸上戦闘機

月光は、最初から戦闘機として開発された訳ではい。

昭和12年(1937年)8月に勃発した支那事変は、予想に反して長期化の兆しを見せていた。中国国民党軍は次々に遷都し、内陸奥深くに逃げ込んで徹底抗戦の構えを崩さない。これを追いかけるように日本軍爆撃機を飛ばしたが、敵の臨時首都となった重慶はあまりにも遠かった。爆撃機は何とか往復できるが、当時戦闘機だった九六式艦戦は航続距離が短く同伴できなかった。仕方なく護衛なしで爆撃を行ったが、そこへ国民党軍の戦闘機が襲い掛かり、大損が生じてしまう。この事実衝撃した海軍は味方爆撃機を護衛しつつ、迎撃に来た敵機を撃墜する航空機を欲した。翌年の昭和13年海軍中島飛行機陸上攻撃機を護衛する十三試双発陸上戦闘機開発を要した。しかし、その要は途方もいものだった。航続距離3700km(参考までに零戦3500km)、最大速度510キロ以上、零戦と同じ運動を持ち、陸上攻撃機と同程度の航法・通信機を有するという欲セットのような要だった。陸上攻撃機零戦並みの高機動を付与する事など、当時の日本の技術では実現不可能に近かった。発注を受けた中島飛行機は、知恵を絞りながら開発に着手した。設計者は中村勝治氏と大野和男氏。社内では「G」と呼称されていた。

双発戦闘機という事でエンジンが2つ積める分、出の向上は見込めた。反面、機体は大きくならざるを得ず、運動性の低下を引き起こした。悪い事に、2つ積んだとはいえ個々のエンジンはそれほど高くはなく、パワーで強引に運動性を引き上げる手段も取れなかった。巨体の双発機を零戦にするにはあまりにも難しかったのである。

1941年3月十三試双発陸上戦闘機の試作一号機が完成5月2日に初飛行をした。航続距離速度は要クリアしていたのだが、肝心な運動全に劣ってしまっていた。陸攻を敵戦闘機から護衛する機体なのに戦うべき敵戦闘機との戦に向かないと判断されてしまう。加えて支那戦線では既に零戦が配備され、爆撃機の護衛として十二分に働いていた事から不採用の烙印を押される。初手から苦い思いを味わう結果となってしまった。この失敗を受け、中島飛行機撃機案や急降下爆撃案を生み出して機体の有効活用を図ったが、いずれもお蔵入りとなった。案が出した事から、「Gの七化け」と言われていたとか。

二式陸上偵察機

しかし海軍は、本格的な偵察機を旧式の九八式陸上偵察機以外に持ち合わせていなかった。そして十三試双発陸上戦闘機九八式陸上偵察機よりも航続距離が長く、20mm機1丁と7.7mm機2丁、後部に旋回機を持つなど損耗率の高い偵察任務に見合う武装を保有していた。装甲も戦に耐えうるだけの強度も持っており、とりあえずこの十三試双発陸上戦闘機二式陸上偵察機名。偵察機として採用する運びとなった。まさかの偵察機化である。

戦後1942年6月頃から産10機程度の量産を開始。本格配備に先立って、試作していた5号機から7号機を台湾へ送り、台南内に偵察飛行隊を設立。そして7月、二式陸上偵察機3機は試験的にラバウルへ進出。偵察カメラを搭載し、ガダルカナル島へ襲来した米軍に対して強行偵察を実施。10月14日中でF4Fの迎撃に遭い、1機が撃墜されるも別の1機が片発になりながらブインに帰還。重な情報を持ち帰った。九八式陸上偵察機では出来なかった長距離偵察で戦果を挙げ、評価された。それから各部隊への本格的な配備が始まり生産総数は54機に上ったが、米軍の戦が強化されていくにつれ被害が増大してきた。二式陸上偵察機は航続距離こそ及第点だったが、何より偵察機に必要な高速性が欠けていた。戦できるとはいえ、足が遅く運動性も悪い二式陸上偵察機米軍機の格好の的だったのだ。台南に配備された3機も2機が撃墜されてしまった。そのため二式陸上偵察機は、より高速な陸軍一〇〇式司令部偵察機にその役を奪われ、次第に出撃の機会を失っていった。

また油圧系統に故障が多く、部品の補給も滞っていたため、現地での稼働率が低く不評だった。1943年4月に一五一が開隊され、二式艦偵や百式司偵とともに二式陸偵も配備されたが、ど運用されなかったという。百式司偵は高高度性と高速性に優れ、二式艦偵は艦爆譲りの運動性で敵機を振り切れたが、二式陸偵は高速ではない、でかい運動性劣悪と三拍子っていたため一番評価が悪かった。

戦闘機としても偵察機としても失敗した二式陸上偵察機。駄作の烙印を押されるかに思われたが…。

夜間戦闘機「月光」

1942年11月ラバウルに進出していた第251海軍航空隊の小園安名中佐は内地に帰還。横須賀で行われた大爆撃機対策会議で、自らが考案した斜(しゃじゅう)が有効だと訴えた。しかし出席者は冷淡にあしらい、「実験する価値もい」と断じられた。実験隊からも「現地での単なる思い付き」と否定的だった。そんな中、十三試双発陸上戦闘機3機がに放置されている事が判明。「ほうっておくのは勿体無い」として小園中佐改造を訴えた。大な機体だったため、斜を搭載するスペースがあったのだ。すると、航空本部の技術幹部が「放置されている機を使うならば」とこの提案を支持。試しに3機を改造してみる事に。こうして斜を搭載した十三試双発陸戦が誕生。ラバウルへ送る前に零戦と模擬戦を実施した。斜を使えば零戦にも対応できると判断され、9機の二式陸偵と2機の改造十三試双発陸戦が輸送された。装備された20mm機大口径のもので、当たれば破壊を期待できる代物だった。

1943年初頭、ラバウルに対しB-17による爆撃が盛んになってきた。の迎撃は通常の戦闘機では難しく、しかも相手がフライングフォートレス(の要塞)と称されるB-17だった事もありラバウル航空隊はど手が出せなかった。5月、試作機2機がラバウルに到着。同21日より防戦に参加した。この改造十三試双発陸上戦闘機は、小園中佐の狙い通り性を発揮。爆撃に来たB-17を死の下方から射撃し、見事2機撃墜するという々しい初戦果を挙げた。その後も次々に戦果を重ね、工藤重敏上飛曹と小野中尉が駆る改造十三試双発陸戦は、10機のB-17B-24を撃墜した。

この戦果に驚いた海軍は手のを返し、二五一が保有する二式陸上偵察機に斜を装備するよう命8月23日にその機体を制式採用して中島飛行機に量産を命じた。戦闘機には「光」文字を入れる慣習から、戦闘機月光と命名した。名付け海軍航空本部の伊東裕満大佐。ちなみに今までは形式番号が正式名称だっだが、本機は月光が正式名称となっている。こうして1943年8月23日月光は誕生したのであった。月光の存在には民にも知らされ、その名は一般大衆にもしまれた。

月光はその後も間に襲来するB-17B-25を次々に撃墜。死かつ敵の射程外から攻撃できる月光は、まさに傑作機だった。同じ速度で飛行すれば、同一の箇所に集中攻撃が出来る点が強さの秘だった。一時は米軍ラバウルへの爆撃を中止させる程の打撃を与えたのだが、戦況は悪化の一途を辿った。そして連合軍は効率の悪い爆撃を中断し、爆撃に切り替えたため月光は敵基地への夜襲的として運用されるようになった。

1944年3月1日木更津基地にて本土防を担う第302海軍航空隊が開隊。24機の月光が配備され、木更津飛行場で訓練が行われた。のちに行われる対B-29戦で迎撃の一を請け負う事になる。月光の活躍ぶりを見た陸軍は、同じ双発機である屠龍に斜を装備させた。

月光の生産は1944年10月で打ち切られた。B-29と対峙するには高高度性が足りないと判断され、後継機開発が始まった。しかし極光天雷などの後継機が悉く頓挫したため、月光は最前線で戦い続けた。

本土防空戦

戦争末期の本土防戦にも参加。襲来するB-29を迎撃するためへ上がった。最初の会敵は1944年8月20日八幡地区を爆撃しにきたB-29との交戦だったとされる。

しかしB-29は強大な敵であった。高度1万メートルを飛行するB-29に攻撃を仕掛けるには理があり、また月光最高速度が510キロに対しB-29は570キロを出せた。同じ方向に飛んでいれば決して追いつけず、手出しが出来ないまま見逃す事も多々あった。敵機は高性レーダーを搭載しており、間でも月光の接近を正確に読んだ。機体の大きさもネックとなり、敵の機に被弾しやすかった。

一方で戦果を挙げるため、間に低で侵入したB-29に対しては戦闘機として性を遺憾なく発揮。探に照らされた敵機の後方からび寄り、斜で突き刺す戦法で米軍に出血を強いた。B-29較的下方からの攻撃に弱く、上手く弱点を突く事が出来た。だが斜を撃つと反動で操縦桿と機体が揺さぶられ、慣れていないと照準を合わせるのが難しい欠点があった。

まず最初にエースとなったのは、計6機のB-29を撃墜した遠藤幸男大尉だった。彼の乗る月光が1機撃墜するたびにキルマークが増えていき、その活躍はラジオで広く喧伝されて民的人気となった。しかし1945年1月14日名古屋襲で念の戦死を遂げた。彼は豊橋市で8機編成のB-29を発見し、遠州で1機を撃墜した。ところが反撃を受けて被弾炎上遠藤大尉は燃える月光を操縦し、渥美半島まで移動すると先ず西尾上飛曹を脱出させたが、落下の紐が尾翼に切断されて開かず墜落死した。残った遠藤大尉必死に機体を操り、民家が密集する地帯を避けて山間部で脱出。が、炎が落下に燃え移り、墜落。地元の対監視員が駆けつけ、トラック遠藤大尉を搬送したが、その途上で死亡した。

3月10日東京大空襲間だったため、4機の月光が迎撃に向かっている。

4月7日中島飛行機武蔵工場を狙ってB-29107機襲来。護衛としてP-51戦闘機96機が随伴していた。これに対し月光15機、彗星15機、銀河5機、零戦25機と若干数の雷電が迎撃に向かった。しかし敵に優秀なP-51が付いていたため、9機を喪失。その多くは月光銀河彗星で占められた。B-29迎撃用の月光では、戦闘機の相手は荷が重すぎたのだ。以降、戦闘機が護衛するB-29には手も足も出なくなる。

次に現れたエース横須賀海軍航空隊の少尉倉本上飛曹だった。1945年5月24日、558機のB-29東京襲。四郎少尉倉本上飛曹が乗った月光22時頃に出撃し、迎撃に向かった。まず東京上空で1機を撃墜し、1機を撃破。続いて松戸で1機、鹿島で1機、九十九で2機を撃墜し、たった一晩で5機撃墜1機撃破という凄まじい戦果を叩き出した。この戦果は全軍に布告され、2人には軍「武」が授与された。両名の月光には印を貫く矢でられたキルマーク8個がペイントされた。彼らは終戦まで生き残った。

5月24日襲以降からはほぼ護衛にP-51が随伴してくるようになった。戦闘機に対して分が悪い月光は出撃を見送らざるを得なくなり、6月以降は爆撃そのものが減った事から出撃の機会すらくなっていった。迎撃の任務を他の機体へ譲り、月光間偵察や間襲撃へと任務を変えていった。この頃からレーダー水上用のものに換装されていたという。対B-29戦に向かないとして、十八試戦闘機が設計されたが計画通りの性が発揮できなかった。最終的には特攻機に使用され、爆装した月光台湾沖縄フィリピン方面の敵艦隊へ突入している。

終戦直前の1945年8月7日福岡県が大規模襲を受け、掩体壕に隠されていた月光炎上した。8月10日、爆装した第302海軍航空隊所属の月光8機が、他の機体と共に関東機動部隊特攻を仕掛けたが、発見できずに帰還。その際に行方不明になったり不時着した機が出た。

総生産機約500機(477機とも)のうち残余は40機程度しかなかった。

終戦後

戦争が終結すると、アメリカ軍が進駐。日本国内に残っていたぼしい航空機145機を接収し、3隻の空母によってアメリカに送られた。この中には厚木横須賀で接収された4機の月光が混ざっていたという。この際、パイロット月光を操縦し、空母バーンズに着艦させている。他の月光連合軍に棄され、残らなかった。1945年12月8日バージニアラングレーフィールド基地に到着。翌1946年1月23日ペンシルベニア州ドルトンに送られ、航空機材倉庫に収められた。

メカニックによって中身を全てアメリカ製に変えた後、1946年6月15日に35分間のテスト飛行を実施した。テスト飛行はこの1回だけで、これ以外の月光棄された。改造月光1949年にスミソニア博物館に寄贈され、イリノイ州の倉庫に収められた。しかし1950年朝鮮戦争が勃発し、鹵獲機で倉庫が一杯になってしまったので、1953年月光は外に引っり出されて野ざらしにされてしまった。1979年9月7日スペースいた事で修復の対に選ばれた。かれこれ20年以上放置されていたため内部の腐食がしく、修復チームは一番苦労したという。1983年12月14日了。現在の位置に展示された。これが地球上に現存する一の月光である。

2012年12月27日厚木基地の防壕跡から右前縁スラットと思われる部品が出土した。

バリエーション機

エピソード

戦争も終盤に差し掛かった1944年12月2日深夜。オルモック湾にて、第7多号作戦輸送隊120駆逐群が交戦し、竹(松型駆逐艦)クーパーを撃で撃沈。帝國海軍最後の水上艦撃沈を飾った。実はこの戦闘月光も関わっていた。

オルモック湾に到着し、物資や兵員の揚陸を始める輸送隊。その上を2機の月光が通過した。輸送隊支援するため、湾内の魚雷艇を排除しに来たのである。ところが間もなく120駆逐群と会敵し、交戦。1機の月光は旗艦アレン・M・サムナーのマストぎりぎりまで接近すると、魚雷艇攻撃用の60kg爆弾を投下し小破させた。もう1機の月光モールに機掃射を浴びせ、2名を戦死させた他、22名を負傷させている。この戦闘により揚陸の時間稼ぎが出来、警備中駆逐艦桑とに敵の接近を伝えられた。

帝國海軍最後の水上艦撃沈を陰から支えたと言えよう。ちなみにこの2機がどうなったのかは不明。

小話

関連静画

関連商品

関連コミュニティ

関連項目

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/19(金) 11:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/19(金) 11:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP