サッカーコロンビア代表 単語

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サッカーコロンビアダイヒョウ

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サッカーコロンビア代表とは、コロンビアサッカー連盟(FCF)によって組織されるサッカーコロンビア代表チームである。称はロスカフェテロス。
ユニフォームは、ホームはシャツが黄色パンツ紺色。アウェイは上下ともに

概要

サッカーナショナルチーム
コロンビア代表
基本情報
国旗
協会 FCF
大陸 CONMEBOL南米
FIFAコード COL
FIFA加盟 1936年
監督 ネストル・ロレン
FIFAワールドカップ
出場 6回
最高成績 ベスト8(1回)
コパ・アメリカ
出場 23回
最高成績 優勝(1回)

1980年代後半から実をつけ、南米の強豪国に成長した新であり、FIFAワールドカップには6度出場し、2014年ベスト8進出を果たしている。コパ・アメリカは自開催の2001年大会で優勝している。低迷期も多いが、各年代で個性的なタレントを輩出しており、2016年にはFIFAランキングが3位になったこともある。

他の南米同様にサッカー人気の高いではあるが、麻薬組織絡みでの賭博や買収が社会問題となっており、1994 FIFAワールドカップ後にはオウンゴールをしてしまったアンドレス・エスコバルが射殺されてしまうという最悪の事件が起きている。

かつては個人技を重視した攻撃的なスタイルであったが、バランスが悪く、大事なところで脆さが出てしまうという面があった。近年は欧州導方法を導入しており、攻守に組織を整備しながら個人のを活かすスタイルとなっている。2000年代に入ってからは若手の育成にもを入れており、ハメス・ロドリゲスのようなスター選手も輩出している。

ホームスタジアムとしては、バランキージャにあるエスタディオメトロリターノ・ロベルト・メレンデスを使用。

歴史

初試合は1938年1950年代までは強化がままならず、南米で最下位を争う程の弱小国であった。特に1950年にはリーグで大きな問題が起き、それが代表にもされる形でFIFAから際試合の資格停止、1954年にはCONMEBOL南米サッカー協会)からコロンビア代表・クラブの排除勧告を出されてしまう。その後すったもんだあり、10年後の1960年に解禁処置を受けた。

FIFAワールドカップ初出場は、1962 FIFAワールドカップチリ大会である。強ソビエト連邦引き分けるなど善戦したが、ユーゴスラビア戦では0-5で大敗するなど実不足を露呈。結局1分2敗の最下位に終わり、グループリーグで敗退した。

その後も低迷期は続き、ワールドカップでは6大会連続で南米予選敗退。1986年ワールドカップ開催地に選ばれたが、内の政情不安を理由にメキシコに開催地を譲ることになった。

1980年代後半に入り、フランシスコ・マツラナが監督に就任。コパ・アメリカ1987では、金髪アフロという貌のカルロスバルデラマが異才といえる才を発揮し、弱小国だったコロンビアベスト4まで導く。準決勝でチリに敗れたが、3位決定戦ではディエゴ・マラドーナを擁するアルゼンチン勝利し、過去最高である3位と大躍進を遂げる。この活躍が認められ、バルデラマは南米最優秀選手に選出された。

1990 FIFAワールドカップイタリア大会では、28年ぶりに本大会出場を果たす。バルデラマ、レネイギータを擁した個性軍団は、ユーゴスラビア西ドイツという強と同居したグループリーグを1勝1分1敗の3位で通過する。ラウンド16では、同じく台風となっていたカメルーンと対戦するが、延長戦の末にイギータのミスからロジェ・ミラゴールを決められるなど敗退。

その後、ファウスティーノ・アスプリージャやフレディリンコンが台頭し、さらにタレントを増大させる。コパ・アメリカ1991ではグループリーグブラジルを下して最終的にベスト4まで進出し、コパ・アメリカ1993では3位に入る。1994 FIFAワールドカップアメリカ大会の南米予選では、アルゼンチンを相手に敵地で5-0という衝撃的な大勝を収める圧倒的な強さで突破。本大会前の下評も高く、ペレ優勝補に挙げるほどの注チームとなっていた。だが、初戦でルーマニア相手に敗を喫すると、開催アメリカ戦で連敗。第3戦のスイス戦は勝利したものの、グループリーグ敗退と大きな期待外れに終わる。
だが、本当の悲劇はその後に待っていた。帰後、アメリカ戦で敗因となるオウンゴールを献上したアンドレス・エスコバルがバーで絡まれた末に射殺されるという痛ましい事件が起きる。FIFA及び世界中から強い批判が挙がり、サッカー史に残る悲しい出来事となった。

1998 FIFAワールドカップフランス大会に3大会連続で出場するが、ピークを過ぎたチームにはかつてのようなきはく、1勝2敗でグループリーグ敗退に終わる。大会後、バルデラマは代表を引退。自開催となったコパ・アメリカ2001では、ビクトル・アリスティサバルが準決勝までの全試合でゴールを決める活躍を見せ、初の決勝進出を果たす。決勝のメキシコ戦はイバン・コルドバの虎の子の1点で勝利し、初優勝を飾る。全勝しかも大会を通して失点で終えるという驚異的な強さで掴んだ初タイトルとなった。

だが、コパ・アメリカの栄も長くは続かなかった。2000年代バルデラマ世代がごぞって抜けたことによりタレント不足に陥り、2002年2006年2010年と3大会連続でワールドカップ出場を逃すことになる。2010年代になると、欧州舞台ラダメル・ファルカオハメス・ロドリゲスというワールドクラスタレントが続々と現れ、さらにアルゼンチンの名将ホセペケルマン監督に招聘。再び強チームとしての地位を取り戻すようになる。

2014 FIFAワールドカップブラジル大会では、南米予選を2位で突破し4大会ぶりの出場を果たす。本大会では、南米予選で9得点記録したファルカオが怪で欠場となったが、グループリーグではハメス・ロドリゲスエースを埋めて余りある活躍を見せ、ギリシャコートジボワールに連勝。2試合で1990年大会以来2度となる決勝トーナメント進出を決める。第3戦の日本戦も快勝し、首位での通過を果たす。ラウンド16ではウルグアイとの南米対決ハメス・ロドリゲスの2ゴールで制し、初のベスト8進出を決める。準々決勝では、開催ブラジル相手に1-2で敗れる。この試合ではブラジルネイマールファン・スニガが負傷させたことで両チームに遺恨が残った。それでも初のベスト8進出を果たし、6ゴール記録したハメス・ロドリゲスは大会得点王にいた。

2018 FIFAワールドカップロシア大会は、ハメス・ロドリゲスが怪で欠場となった初戦の日本戦で開始々にカルロスサンチェスが退場になったことがき、敗れてしまう。だが、ハメス・ロドリゲスが復帰した第2戦のポーランド戦に快勝すると、第3戦のセネガル戦も勝利し、2大会連続で決勝トーナメント進出を果たす。だが、怪を再発させたハメス・ロドリゲスはラウンド16のイングランド戦を欠場となり、試合終了間際に追いついたものの、PK戦で敗退。大会後、ペケルマンは退任する。

2022 FIFAワールドカップでは、南米予選では5勝5分8敗の6位に終わり、3大会連続での出場は果たせなかった。

主な戦績

FIFAワールドカップ
ベスト8(2014)、ベスト16(1990, 2018)、グループリーグ敗退(1962, 1994, 1998)
コパ・アメリカ南米選手権
優勝(2001
優勝(1975)
3位(1987, 1993, 1995, 2016, 2021)
ベスト4(1991, 2004)
ベスト8(1997, 1999, 2011, 2015, 2019
グループリーグ敗退(1979, 1983, 1989, 2007
FIFAコンフェデレーションズカップ
ベスト4(2003

世代別での戦績

FIFA U-20ワールドカップ
3位(2003
FIFA U-17ワールドカップ
ベスト4(2003, 2009

主な選手

コパ・アメリカ2021メンバー

歴代監督

太字はワールドカップを戦った監督国旗が付いているのは外国人監督

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