サッカーモロッコ代表 単語

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サッカーモロッコダイヒョウ

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サッカーモロッコ代表とは、王立モロッコサッカー連盟(FRMF)により構成されるサッカーモロッコ代表チームである。ユニフォームは、ホームのシャツがパンツ。アウェイはシャツがパンツとなっている。称はアトラスライオンズ(Atlas Lions)。

概要

サッカーナショナルチーム
モロッコ代表
基本情報
国旗
協会 FRMF
大陸 CAF(アフリカ
FIFAコード MAR
FIFA加盟 1960年
監督 ワリド・レグラギ
FIFAワールドカップ
出場 6回
最高成績 ベスト4(1回)
アフリカネイションズカップ
出場 19回
最高成績 優勝(1回)

これまでFIFAワールドカップに4度、アフリカネイションズカップに15度出場しており、1976年に一度優勝している。アフリカ勢の中でもくから頭を現した古であり、1986 FIFAワールドカップではアフリカ勢としては史上初となる決勝トーナメント進出を果たしており、後のアフリカ躍進の先駆け的な存在となっている。

2000年代以降は低迷期に入り、ワールドカップ本大会出場から遠ざかっていたが、2020年代に入り欧州ビッグクラブプレーするタレントい、2022 FIFAワールドカップではコンパクト完成度の高い守備組織を武器過去最高成績であるベスト4進出と大躍進を遂げている。

他のアフリカと同様に、モロッコルーツを持つ選手が世界各地におり、欧州育ちのタレントリクルートすることで強化してきた。伝統的に欧州の流れをむ組織的な守備から縦のスピードを活かしたカウンターを重視した北アフリカチームらしいスタイルチームである。

フィリップ・トルシエヴァヒド・ハリルホジッチといった元日本代表監督監督を務めたことのあるチームでもある。

歴史

初試合は1957年内ではくからプロリーグが発足しており、FIFAワールドカップには1962年チリ大会から参加。1970 FIFAワールドカップメキシコ大会でアフリカ最終予選を勝ち抜き、本大会初出場を果たす。本大会では1分2敗の成績でグループリーグ敗退に終わっている。

アフリカネイションズカップは、1972年大会で初出場。エチオピアで開催されたアフリカネイションズカップ1976では、1次リーグ、2次リーグ敗で終え、初優勝を飾る。

モロッコ世界で注を浴びたのは1986 FIFAワールドカップメキシコ大会だった。4大会ぶり2度の本大会出場となったが、グループリーグポーランドイングランドポルトガルと強いの組に放り込まれ、敗退は確実というのが戦前の予想だった。だが、GKバドゥ・ザキを中心とした堅守でポーランドイングランドを相手にスコアレスドローで乗り切ると、最終戦ポルトガル戦は3-1と勝利し、アフリカ勢初の決勝トーナメント進出という快挙を成し遂げる。ラウンド16でも強西ドイツを相手にザキが再三のビッグセーブで互に渡り合うが、ローター・マテウスのFK一発を飲む。だが、この大会で見せたモロッコの快進撃は、アフリカ歴史を変えたものであり、アフリカ躍進の一歩となった。

1990 FIFAワールドカップは予選敗退となるが、1994 FIFAワールドカップアメリカ大会は2大会ぶり3度の出場。しかし、このときは3戦全敗という成績に終わる。同組だった同じアラブサウジアラビアの躍進の引き立て役となってしまった。アメリカワールドカップ惨敗の後、元フランス代表監督である名将アンリ・ミッシェル監督に就任。欧州で活躍するヌールディン・ナイベト、ムスタファ・ハッジを中心に前回よりもチームは強化され1998 FIFAワールドカップフランス大会に2大会連続で出場するが、スコットランド相手に1986年大会以来の1勝を挙げたが、グループリーグを突破できなかった。

1990年代末期から2000年代初頭にかけて「ハッサン国王杯」という際大会を催し、フランス代表など強を呼ぶなど強化を図っていたが、アフリカネーションズカップ2000ではグループリーグ敗退、2002 FIFAワールドカップアフリカ予選敗退に終わる。2004年アフリカネイションズカップでは、二度の決勝進出を果たすが、その後はワールドカップで3大会連続アフリカ予選敗退に終わるなど低迷期が続くようになる。

2009年国王名前を冠したサッカーアカデミーである「ムハンマド6世国王アカデミー」を首都ラバトの郊外に開校。施設には五つホテル4棟、FIFAの基準を満たしたピッチ8面が含まれ、医療関係の施設も充実。同時に欧州中にスカウトを派遣し、各モロッコ移民の中から若い才を発掘する取り組みにもを入れるようになる。こうしたサッカーの体制を全面的に見直した革が実を結ぶようになる。

2016年フランス人のエルヴェ・ルナール監督に就任。アクラフ・ハキミ、ユセフ・エン=ネシリ、ハキム・ツィエクらがチームの中心となり、2018 FIFAワールドカップロシア大会では強コートジボワールを押しのけて5大会ぶりの本大会出場を果たす。本大会では、スペイン相手に引き分けるなど善戦はしたが、イランポルトガル相手に敗れ、グループリーグ敗退となる。

2019年アフリカネイションズカップでラウンド16敗退に終わるとルナール責任を取って辞任。後任には前日本代表監督ヴァヒド・ハリルホジッチが就任する。の多くが欧州クラブになるほど成長し、2022ワールドカップアフリカ最終予選ではコンゴ民主共和国を相手に快勝し、本大会を勝ち取る。しかし、この頃からハリルホジッチと選手の間に轢が生じ、だった4選手が代表から追放される。このハリルホジッチの高圧的なやり方にメディアファンから批判が集まるようになる。そして本大会を前とした2022年8月、ついにFRMFハリルホジッチの解任を決断する。

2022 FIFAワールドカップカタール大会では、急遽監督を引き受けることになったワリド・レグラキの元でチームは再び団結。追放されていたツィエクやヌサイル・マズラウィらも復帰する。グループリーグでは初戦で前回準優勝クロアチア引き分けると、第2戦では前回3位のベルギーを相手に勝。最終戦でもカナダを下し、1986年以来となる決勝トーナメント進出を果たし、一躍大会の台風となる。ラウンド16ではタイトな守備でスペイン完封すると、PK戦では守護シン・ブヌが好セーブを連発し、過去最高成績を更新するベスト8進出を果たす。準々決勝では、エン=ネシリのゴールを守り切る形でクリスティアーノ・ロナウド擁するポルトガルも破り、アフリカ勢初のベスト4進出という快挙を成し遂げる。ここまでの5試合での失点数はオウンゴールによる1失点のみであり、大会中にモロッコが披露した組織的な守備は参加チーム中でも最高クラスの強度と完成度だった。準決勝のフランス戦では最終ラインに怪人が続出する厳しい状況でも奮闘するが、敗戦。3位決定戦でも再び対戦したクロアチアに敗れる。それでも今大会での躍進は、歴史を動かす快挙であり、アフリカそしてアラブ希望となるものだった。

主な戦績

FIFAワールドカップ
ベスト4(2022)、ベスト16(1986)、グループリーグ敗退(1970, 1994, 1998, 2018
アフリカネイションズカップ
優勝(1976)
優勝(2004)
3位(1980)
ベスト4(1986, 1988
ベスト8(1998, 2017, 2021)
ベスト16(2019, 2023)
グループリーグ敗退(1972, 1978, 1992, 2000, 2002, 2006, 2008, 2012, 2013
FIFAアラブカップ
優勝2012)、ベスト4(2002)

世代別の主な戦績

FIFA U-20ワールドカップ
ベスト4(2005

主な選手

2022 FIFAワールドカップ・カタール大会メンバー

歴代監督

太字はワールドカップ揮を執った監督国旗が付いているのは外国人監督

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