天津風征夫(あまつかぜ まさお)とは、かつて時津風部屋に所属していた元大相撲力士である。
1937年12月1日生まれ、現在の石川県輪島市出身。本名は宮永征夫。高校時代は相撲部に所属して石川県大会で個人優勝。国体出場などの活躍をして角界からのスカウトを受けたため、高校を中退して不世出の大横綱・双葉山が師匠を務める時津風部屋に入門した。
1955年5月場所で初土俵を踏むと、7年後の1961年5月場所で23歳で新十両。翌年1月場所で24歳で新入幕を果たす。新入幕の場所は大きく負け越して1場所で十両へと陥落するも、11勝4敗の好成績で十両優勝を果たして幕内復帰を果たすと、以降は幕内に定着した。この年の9月場所では西前頭3枚目まで躍進して上位力士との対戦も組まれたが、上位には全敗で2勝13敗の大敗に終わった。1963年1月場所と3月場所で大関(のち第50代横綱)の佐田の山に連勝したのが唯一の大関戦勝利だった。
以降は幕内中位から下位の土俵が続いたが、1964年5月場所で右足首を捻挫して途中休場して以降は相撲に精細さを欠き、十両でも大敗を喫することもあった。しかし四股名の下の名前を1965年7月場所で「武蔵」から「征夫」に改名すると、その場所は12勝3敗で2度目の十両優勝。翌場所も10勝5敗の大勝で1年半ぶりに幕内に復帰。復帰場所も勝ち越すなど、復調したかのように見えた。しかしその翌場所で大敗すると以後は幕内に復帰できず、1967年3月場所で負け越すと、従来なら幕下に落ちる成績ではなかったのに、この時に行われた「番付削減」で関取の定員が大幅に削減された煽りを受けて幕下に陥落。陥落場所も成績が奮わず29歳で廃業した。
廃業後は日本相撲協会には残らずに地元石川県で相撲料理店を開いた後でヤクルトに就職してサラリーマンとなった。2013年4月30日に心筋梗塞のため石川県内で75歳で亡くなった。
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最終更新:2024/04/25(木) 01:00
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