小豆長光(刀剣乱舞) 単語

298件

アズキナガミツ

2.9千文字の記事
  • twitter
  • facebook
  • はてな
  • LINE

小豆長光(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム刀剣乱舞-online-」のキャラクターである。

イラストホームラン・拳/CV川原慶久

わたしは小豆長光。きみは……すいーつ、すきかい?

上杉謙信であったと伝わる太刀
名の由来は諸説あるが、先に当たった小豆の粒が二つに割れていたため、と彼はる。
保育士よろしく面倒見良く、且つすいーつ職人なのだが、お気に入りのえぷろんが似合わない。
公式Twitter

種は太刀は長

2017年10月3日から10月10日まで鍛による入手が可だった。願掛けがてら、あずきバーお菓子大人買いした審神者もいたとかいなかったとか。
その後長らく入手機会ががなかったが、2018年7月3日刀剣男士の入手方法が大きく変更。による入手が可となった。資重めの太刀レシピのほうが出やすい模様。鍛時間は3時間20分。

また、2018年1月2日から1月13日まで行われていた刀剣乱舞おみくじを引くと引換シールが入手でき、それを12枚集めると好きな刀剣男士と交換できるという年始キャンペーンが行われていた。
当時最後の期間限定鍛男士だったため難民がここぞとばかりに奮い立ち、キャンペーンの発表時にはが呼んだかパン祭りがトレンド入りする事態になった。あんぱん、すきかい?

ややのある赤毛が特徴の美青年
戦装束は共通のスーツで、右肩の防具に小豆色マントを装着している。よく見るとには三色団子チャームがついており、防具と合わせて謙信景光(刀剣乱舞)とおいになっている。

内番衣装共通のジャージ紹介文にもあるとおりピンクかわいい「えぷろん」を身に着けており、アットホームな雰囲気を出している。

今剣(刀剣乱舞)謙信景光(刀剣乱舞)に続き、台詞名前を除いてひらがな表記となっている。
これはかつての上杉謙信が甥の卯(後の上杉景勝)に残した仮名手本「いろは折手本」が元ネタなのではないかと思われる。

一人称は「わたし」。審神者に対しては低く穏やかなと柔らかい態度で接し、就任一周年/二周年/三周年の台詞から察するに、保護者のような線である事が伺える。
また「すいーつ」を作るのが得意で、「きょうもあまいものをつくるとするか」と口にする。あずきぼうは、はをきたえるのだぞ」と、某歯に優しくないアイスを想起させるような台詞も。本丸の台所事情が豊かになりそうな予感
子供の面倒見も良く、隊長名すると「みんなをいんそつすればいいのだな?」、遠征に出せば「さて、えんそくだね。いんそつはわたしだ」と快く引き受けてくれる。遠征が終わると「たのしいえんそくだったぞ」と嬉しそうに言い、心底楽しんでいる模様。
装を作る時も「さぁて、こうさくのじかんだぞ」と、教育番組のお兄さんめいた台詞を口にする。このような予想外の保護者に陥落した審神者も少なくない。

その一方、戦に出せばその伝承・来歴に相応しい気概を見せる。生の穏やかさはなりを潜め、温度がずんと下がる。
会心攻撃の「びしゃもんてんのかごぞあらん!」は、かつての上杉謙信が信奉、自らも毘沙門天の生まれ変わりとしていた事に由来する。
また真剣必殺では「どうせなら、なずきじゃなくあずきをきっていたかったんだがな!」と叫ぶが、これは「小豆」の本来の名は「なずき長」で、なずき()をっ二つにするほどの切れ味があったという物騒な言い伝えが元ネタと思われる。こわい

謙信景光(刀剣乱舞)とは昔染みで、良く世話をしていたらしい。謙信小豆の事を「あつき」と呼んでおり、二人で出すると回想謙信の話」が発生、微笑ましい関係が明らかとなる。
小豆」を「あつき」と読む上杉に数振りあり、そのいずれかが小豆ではないかとされる説を採っているのではないかと推測される。

ゲーム実装に伴い、ホームラン・拳氏による描き下ろしイラストexit開。氏がデザインを担当する亀甲貞宗(刀剣乱舞)と共に描かれ、話題を呼んだ。
先に実装された謙信景光(刀剣乱舞)の描き下ろしイラストとは対となっており、二つ並べてみると……?

また2018年7月3日の入手方法変更を祝い、謙信景光(刀剣乱舞)と共にホームラン・拳氏による描き下ろしイラストexit開された。子よろしく仲良く本を読む姿に審神者もニッコリ。よくよく見ると「すいーつ」と書かれた本には同刀剣男士を思わせる色のふせんが貼られている……?

おもわぬ逸話があったものだ

鎌倉時代末期刀工(ながみつ)の作。
古備前の流れを組む長の実質的な祖・の子にして二代長船派を代表する刀工の一人である。
宝「大般若」をはじめ「遠江長」「鉋切長」などの著名作が現存しており、古の中でも在銘の作が多い。

言い伝えによると、上杉謙信であったとされている。
号の由来は、さる男が小豆の入った袋を背負って歩いていた時、袋からこぼれた小豆が、男が携えていたに当たってっ二つに割れていたというもの。これを見た謙信臣・俣三河守が切れ味鋭いと見て買い上げ、謙信の手に渡った。
甲陽軍鑑」によると、第四次川中島の戦いにおいて、謙信・放生月毛に跨り、小豆を手に宿敵・武田信玄に突撃。一騎打ちとなり、上から太刀を振るったのを信玄が軍扇で払いのけた「太刀太刀」の逸話が知られている。

その一方、上杉景勝が記した「上杉景勝自筆録」には小豆の名がない。謙信が当をつとめていた時代に同を離れた可性もあるが、その後の行方は不明。
また上記の由来についても別のであったという異説が複数存在している。

2017年3月14日栃木県足利市に「小豆」の写真が残っていたと報じられ、話題となった。
この長寺は足利長尾(山姥切広の長尾顕長の系)の菩提寺で、代々同の関係者とは縁があった。明治18年(1885年)、関係者が当時の住職に伝来の「御宝」や甲冑を預けたが、その後寺を訪れると「は返して欲しい」と告げて持ち出してしまった。
時代は下り、昭和42年(1967年)に「申し訳ないがあのは売ってしまった」と言われ、代わりにと写真を置いて行った。これこそが小豆で、先祖代々同宝として扱われていたという。
上杉にあった小豆が、いつ、どういった経緯で足利長尾に渡ったのかは不明。謙信関東出兵において、何らかの褒賞として下賜した可性はある。

更に別伝として、昭和12年(1937年)に重要美術品に定された長が「小豆」であるという説も出ている。どちらにしても現状において本所在は掴めておらず、相は闇の中である。

どうしたんだ?関連動画をとりにいったのか?



このさきが関連項目だ。みんな、じゅんびはよいか

この記事を編集する

掲示板

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
熱情の律動[単語]

提供: かふぇお~れ

もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2024/04/25(木) 07:00

ほめられた記事

最終更新:2024/04/25(木) 07:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP