小豆長光(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞-online-」のキャラクターである。
上杉謙信の愛刀であったと伝わる太刀。
名の由来は諸説あるが、刃先に当たった小豆の粒が二つに割れていたため、と彼は語る。
保育士よろしく面倒見良く、且つすいーつ職人なのだが、お気に入りのえぷろんが似合わない。
(公式Twitter)
2017年10月3日から10月10日まで鍛刀による入手が可能だった。願掛けがてら、あずきバーやお菓子を大人買いした審神者もいたとかいなかったとか。
その後長らく入手機会ががなかったが、2018年7月3日、刀剣男士の入手方法が大きく変更。鍛刀による入手が可能となった。資源重めの太刀レシピのほうが出やすい模様。鍛刀時間は3時間20分。
また、2018年の1月2日から1月13日まで行われていた刀剣乱舞おみくじを引くと引換シールが入手でき、それを12枚集めると好きな刀剣男士と交換できるという年始キャンペーンが行われていた。
当時最後の期間限定鍛刀男士だったため難民がここぞとばかりに奮い立ち、キャンペーンの発表時には誰が呼んだかパン祭りがトレンド入りする事態になった。あんぱん、すきかい?
やや癖のある赤毛が特徴の美青年。
戦装束は刀派共通の黒スーツで、右肩の防具に小豆色のマントを装着している。よく見ると腰には三色団子のチャームがついており、防具と合わせて謙信景光(刀剣乱舞)とお揃いになっている。
内番衣装は刀派共通のジャージ。紹介文にもあるとおりピンクのかわいい「えぷろん」を身に着けており、アットホームな雰囲気を出している。
今剣(刀剣乱舞)、謙信景光(刀剣乱舞)に続き、台詞は名前を除いてひらがな表記となっている。
これはかつての主・上杉謙信が甥の卯松(後の上杉景勝)に残した仮名手本「いろは折手本」が元ネタなのではないかと思われる。
一人称は「わたし」。審神者に対しては低く穏やかな声と柔らかい態度で接し、就任一周年/二周年/三周年の台詞から察するに、保護者のような目線である事が伺える。
また「すいーつ」を作るのが得意で、「きょうもあまいものをつくるとするか」と口にする。「あずきぼうは、はをきたえるのだぞ」と、某歯に優しくないアイスを想起させるような台詞も。本丸の台所事情が豊かになりそうな予感。
子供の面倒見も良く、隊長に指名すると「みんなをいんそつすればいいのだな?」、遠征に出せば「さて、えんそくだね。いんそつはわたしだ」と快く引き受けてくれる。遠征が終わると「たのしいえんそくだったぞ」と嬉しそうに言い、心底楽しんでいる模様。
刀装を作る時も「さぁて、こうさくのじかんだぞ」と、教育番組のお兄さんめいた台詞を口にする。このような予想外の保護者力に陥落した審神者も少なくない。
その一方、戦に出せばその伝承・来歴に相応しい気概を見せる。平生の穏やかさはなりを潜め、声の温度がずんと下がる。
会心攻撃の「びしゃもんてんのかごぞあらん!」は、かつての主・上杉謙信が信奉、自らも毘沙門天の生まれ変わりとしていた事に由来する。
また真剣必殺では「どうせなら、なずきじゃなくあずきをきっていたかったんだがな!」と叫ぶが、これは「小豆長光」の本来の名は「なずき長光」で、なずき(脳天)を真っ二つにするほどの切れ味があったという物騒な言い伝えが元ネタと思われる。こわい。
謙信景光(刀剣乱舞)とは昔馴染みで、良く世話をしていたらしい。謙信も小豆の事を「あつき」と呼んでおり、二人で出陣すると回想「謙信の話」が発生、微笑ましい関係が明らかとなる。
「小豆」を「あつき」と読む刀は上杉家に数振りあり、そのいずれかが小豆長光ではないかとされる説を採っているのではないかと推測される。
ゲーム実装に伴い、ホームラン・拳氏による描き下ろしイラストが公開。氏がデザインを担当する亀甲貞宗(刀剣乱舞)と共に描かれ、話題を呼んだ。
先に実装された謙信景光(刀剣乱舞)の描き下ろしイラストとは対となっており、二つ並べてみると……?
また2018年7月3日の入手方法変更を祝い、謙信景光(刀剣乱舞)と共にホームラン・拳氏による描き下ろしイラストが公開された。親子よろしく仲良く本を読む姿に審神者もニッコリ。よくよく見ると「すいーつ」と書かれた本には同派の刀剣男士を思わせる色のふせんが貼られている……?
鎌倉時代末期の刀工、長光(ながみつ)の作。
古備前の流れを組む長船の実質的な祖・光忠の子にして二代目。長船派を代表する刀工の一人である。
国宝「大般若長光」をはじめ「遠江長光」「鉋切長光」などの著名作が現存しており、古刀の中でも在銘の作が多い。
言い伝えによると、上杉謙信の愛刀であったとされている。
号の由来は、さる男が小豆の入った袋を背負って歩いていた時、袋からこぼれた小豆が、男が携えていた刀に当たって真っ二つに割れていたというもの。これを見た謙信の家臣・竹俣三河守が切れ味鋭い刀と見て買い上げ、謙信の手に渡った。
「甲陽軍鑑」によると、第四次川中島の戦いにおいて、謙信は愛馬・放生月毛に跨り、小豆長光を手に宿敵・武田信玄の陣に突撃。一騎打ちとなり、馬上から太刀を振るったのを信玄が軍扇で払いのけた「三太刀七太刀」の逸話が知られている。
その一方、上杉景勝が記した「上杉景勝自筆腰物目録」には小豆長光の名がない。謙信が当主をつとめていた時代に同家を離れた可能性もあるが、その後の行方は不明。
また上記の由来についても別の刀剣であったという異説が複数存在している。
2017年3月14日、栃木県足利市・長林寺に「小豆長光」の写真が残っていたと報じられ、話題となった。
この長林寺は足利長尾家(山姥切国広の主・長尾顕長の家系)の菩提寺で、代々同家の関係者とは縁があった。明治18年(1885年)、関係者が当時の住職に伝来の「御宝刀」や甲冑を預けたが、その後寺を訪れると「刀は返して欲しい」と告げて持ち出してしまった。
時代は下り、昭和42年(1967年)に「申し訳ないがあの刀は売ってしまった」と言われ、代わりにと刀の写真を置いて行った。これこそが小豆長光で、先祖代々同家の家宝として扱われていたという。
上杉家にあった小豆長光が、いつ、どういった経緯で足利長尾家に渡ったのかは不明。謙信の関東出兵において、何らかの褒賞として下賜した可能性はある。
更に別伝として、昭和12年(1937年)に重要美術品に指定された長光が「小豆長光」であるという説も出ている。どちらにしても現状において本刀の所在は掴めておらず、真相は闇の中である。
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最終更新:2024/04/25(木) 07:00
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