この記事は、『映画刀剣乱舞』についてネタバレしています。 続きを読む方は注意して下さい。 |
倶利伽羅江(刀剣乱舞)とは、『映画刀剣乱舞』に登場する刀剣男士である。
演:土屋神葉
映画オリジナルキャラクター / 俱利伽羅江
映画刀剣乱舞の隠しキャラクターである9振り目の刀剣男士。
暫くはネタバレ自粛ムードにより名前を言ってはいけないあの人と化していたが、円盤情報で公式解禁された。
最初は時間遡行軍のボス格の大太刀に操られて記憶も名も失った『無銘』として登場。
容姿は倶利伽羅龍をモチーフにした左右非対称なフルフェイスマスクの特撮の怪人。
クレジットにスーツアクターの名前がないこと、メイキング映像からすると、土屋神葉氏が中に入って演じていた模様。本作品は俳優・声優・アクションをこなせる土屋氏の実力が十二分に発揮されていると言える。
本能寺の変にて、織田信長を生かして歴史を変えるために明智光秀の命を狙ったところを、刀剣男士と戦うこととなる。強く素早いうえに時間遡行軍の気配が薄い謎の敵として印象付けた。
信長を本能寺から救出して臣従していたが、山崎の戦いで敗走中に信長に遭遇して追い詰められた光秀が懐から取り出した倶利伽羅龍の彫られた短刀を見ると『無銘』は錯乱、洗脳が解けかかり光秀を庇って信長と刃を交える。その後、大太刀に洗脳し直され、再び刀剣男士の前に立ち塞がる。
刀剣男士と時間遡行軍の大激闘の後、倒された『無銘』の周囲に桜が舞う。
本丸に大勢の時間遡行軍が乗り込み、未曽有の危機に苛まれる中、大太刀に不意の一撃を喰らわせたのは――
「俺は、無銘ではない――! 俱利伽羅江だ!!」
ついに洗脳が完全に解け、『無銘』のマスクが割れて、真の姿を取り戻した刀剣男士『倶利伽羅江』だった。
「よくも俺をお前達の手先に使ってくれたな! よくも!!」
俱利伽羅江も加わった刀剣男士9振りの連携攻撃により、大太刀を撃破。俱利伽羅江は仇討ちを果たした。
俱利伽羅江としての容姿は、短い茶髪もしくは黒髪に、江派に共通する緑のブレザージャケットに黒シャツと白ネクタイ、チェックのズボンという篭手切江(刀剣乱舞)の衣装に近い印象であるが細部は異なる。
ジャケットは前身頃が短く黒シャツの裾が見えるのに対して後身頃は長い。さらに、背中には刀身の彫り物を表して俱利伽羅龍の模様がある。ズボンは八分丈で、黒のハイソックス?にローファー。
左腕には腕章、右肩には大袖、両腕には籠手を着けている。
刀剣男士に設定されてる固有の紋も彼にもあり、明智家の桔梗紋を元にしている。
無銘の頃は刀身に彫り物は無いが、倶利伽羅江の名前を取り戻してからは倶利伽羅龍の彫り物が蘇った。
オフィシャルガイドブックによると、光秀に対しては愛着と尊敬を抱いており、すごい人である彼に仕えていた自分も誇らしく思っている。時間遡行軍に操られ、名刀としても歴史を守る刀剣男士としてもプライドをズタボロにされた屈辱や怒りは肝として演じたという。
本来は元気でヤンチャな性格らしく、ラストの和やかなシーンでは不動行光(刀剣乱舞)とも談笑していたり、他の刀剣男士と一緒に幼い審神者と仲良く遊んでいる活発な姿が見られる。
倶利伽羅江が仲間になる流れはゲーム中にある“ドロップ”を表している。物語の整合性から道端に落ちているわけにもいかないため、刀について調べた時に信長や光秀と関係ある説を持つ倶利伽羅江が挙がってこの設定を練り、特撮に多く携わる小林靖子氏が得意とする追加戦士ポジションとなった。
「せっかくなら、まだ刀剣乱舞のどこにも出ていない、全く映画オリジナルの刀剣男士を」と作られたことや、パンフレットや関連書籍等でも「映画オリジナルのキャラクター」と書かれていることから、ゲーム登場の見通しは立っていない。
オリジナルキャラクターは各派生作品にそれぞれ先例があったが敵や歴史人物だったため、オリジナル刀剣男士はゲームの実写CMの打刀「猫目石吾郎」(演:栗原吾郎)と太刀「鬼切り聖陽」(演:内野聖陽)以来、歴史に存在した刀剣を元にしたのは初となる。
土屋氏はアニメ「ボールルームへようこそ」等で声優を務めていることや、先んじてゲームで江の刀剣に刀派が追加されて増員したこともあり、新刀剣男士実装の知らせのたびに「もしかして倶利伽羅江では!?」と話題されていた。ワンチャン期待してます!
作者は南北朝時代の刀工・郷義弘(ごうのよしひろ/ごうよしひろ)。
正宗の高弟「正宗十哲」に数えられ、相州正宗、粟田口吉光と並び「名物三作」と称され、おおいに珍重された。漢字は郷/江が使われる。
郷義弘の作は在銘の刀剣が皆無であることから偽物も多く、刀剣鑑定家・本阿弥家が鑑定した作か後世において認定された作しかない。僅か27歳で没したこともあり、「郷(江)とお化けは見た事がない」と言われるほど希少な刀剣で、「全ての日本刀の中で最も入手困難なものの一つ」とも呼ばれている。
同じ刀工作の刀剣男士には、篭手切江(刀剣乱舞)、豊前江(刀剣乱舞)、名前が出て実装が示唆されている桑名江(刀剣乱舞)がいる。
刃長は9寸3分(約28.2cm)。
名の由来は、差し表の太い樋のなかに倶利伽羅龍が浮き彫りされていること。裏は不明。
元は越前朝倉家に伝来した。
天正元年(1573年)8月、織田信長による侵攻に受けて朝倉氏は滅亡。
その際、重代の宝器が多く散乱して所在が知れなくなったが、この郷の刀は朝倉の物奉行が旗にさし添えて逃げたところを光秀が生け捕って横取りした。名高い刀のため織田の諸将はこれを聞いて羨ましく思ったそうだが、密かに入手したらしく信長は知らずにいたという。
天正10年(1582年)6月、光秀は本能寺の変で信長を討つ。
羽柴秀吉が織田信孝と共に山崎表へ打って登ると聞き、光秀は重臣・明智秀満(明智左馬助)を安土城の守備に就かせる。6月13日の夜、秀満は山崎の戦いで光秀が敗北したと知ると安土城に火を放って撤収し、光秀の居城・坂本城へ戻った。
6月14日、堀秀政の軍に包囲され、しばらくは防戦したが、もう勝ち目がないと判断した秀満は天主に篭り、天下の名宝が失われることを惜しんで、堀家の重臣・堀直政に向けて、目録を添えて「不動国行」「義元左文字(宗三左文字)」「藤四郎の脇差(一説に薬研藤四郎とも)」「虚堂の墨跡」など数十点を荷造りして贈った。
直政は目録の通り請取ったことを返事したが、光秀が秘蔵していた「倶利伽羅江」だけが目録にないがこれはどうしたのかと聞いた。
すると秀満は、
「この郷の刀は光秀様が生前に命のように大切にされていたものですから、私が腰に差して死出の山にて光秀様にお渡しせねばなりません」
(郷の刀は日向守(光秀)存生中常々命もろともと秘蔵致したる道具なれば、吾等腰にさし死出の山にて日向守へ相渡し申すべし)
と答えたという。
14日の夜、秀満は光秀の妻子を刺し殺し、自分の妻である光秀の次女を刺殺し、坂本城に火を放って自害した。倶利伽羅江と共に死出の山へと旅立ったのである。
焼け落ちた後に城中を捜索したが、倶利伽羅江はとうとう見つからなかった。
「川角太閤記」では、古井戸から腐って役立たぬ刀が見つかったが、僅か三ヶ月で腐るとは如何様な訳かと詮議され、人々はこれが倶利伽羅江ではないかと推量するしかなかったという。
映画でも明智秀満(明智左馬助)は本能寺の変シーンから登場している。史実通り先鋒を務めており、「女、茶坊主には構うな!」と言っている武将が彼である。シナリオブックも参照するとわかりやすい。
倶利伽羅江(刀剣乱舞)に関するニコニコ動画の動画を紹介してください。
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最終更新:2024/04/25(木) 04:00
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