水心子正秀(刀剣乱舞) 単語

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心子正秀(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム刀剣乱舞-ONLINE-』に登場する刀剣男士である。

イラストレーター:クロサワテツ / CV阿部敦

私は心子正秀。
の世に慣らされきったを、
本来あるべき姿に戻すべく生み出された
新々の祖とは、この私のことだ

帳)


江戸を拠点とした名刀工江戸三作」のひとり心子正秀作の打刀
新々の祖として相応しくあろうと、理想を掲げ努を惜しまない。
しかしまだ経験が浅く、隙をつかれると素が出てしまう。

公式Twitter

概要かあ……よ、よし!出陣!

種は打刀

2019年11月19日からのイベント特命調査 江戸」にて、源清麿(刀剣乱舞)と共に実装
初出は11月16日開されたムービーで、シルエットでの登場となった。その後、イベント開始に合わせて情報解禁されている。

を基調とした洋の戦装束。左肩に防具を装着し、体を隠すマントい、大きな襟で口元を隠している。
内番もハイネックのジャージで、やはり口元は見えない。素顔が伺えるのは真剣必殺くらい。
紋は「」の一文字を逆三角形に意したもので、清麿とおいになっている。

既存の特命調査同様、「政府によって顕現された刀剣男士」。
イベント序盤で清麿と共に登場、調員としてどちらを同行させるのかを選択。選択した方が部隊に加わり、もう一振は先導という形でサポートに入る。
イベントは中盤以降、鑑札を頼りに江戸城下に隠匿された炮烙を探して化した上で、老中首座・水野忠邦の屋敷に潜む首に殴り込みをかけるというもの。この時選択した方がボスマスクリアで確定入手、残った方も2周ボスマスクリアで確定入手となる。
探索の進行はゆるめで賽の出にも左右されるが、イベント期間自体は長い為、課金でもクリアだけなら十分に可。ちなみにその特性から「マインスイーパ」がトレンド入りする事が起きた。

最初に選択される時に心子は清麿を、清麿心子を推挙する。果たして自分が選ばれると予想外といった反応を見せ、清麿が選ばれると「よしっ! あっ、……んんっ」と焦りを見せる。かわいい
変された世界においては「保の革が正しく頓挫する事」を望んでおり、「私は、江戸を元に戻したいんだ……」く。
その意は、政争に巻き込まれて江戸を去った刀工麿の帰還を強く望んでいた。ちなみにこの回想の追加部分は蜂須賀虎徹極のみで確認でき、また「歴史を捻じ曲げようとする輩がいれば、それに抵抗して元に戻そうとするが発生する」事も明かされた。

晴れ本丸仲間入りを果たした後、たる審神者に対しては毅然とした物言いで相対する。
よ。私は、あなたは人。違う存在なのだ」「ではなく、らはである事に意味があるのだ」など、キリッとした物言い……なのだが、がない所や気を抜く素が出る
何せ放置台詞からし、居ないのか?……はー、それなら一息つこうっと」である。かわいい。また隊長に選ぶと隊長!?と慌てた直後に咳払いをして誤魔化したうえで拝命、一口団子を差し出せば「ふん……菓子など」と素っ気ない台詞を口にした直後に「あっ待て!下げようとするんじゃない」と食い下がる。やっぱりかわいい

とは言え新々の祖のであり、「太の世のだからと侮ってもらっては困る」という気概は本物。
戦に出せば「確実に仕留める」と宣言、演練でも「他の本丸に負けるわけには行かぬ!」と奮起。
一方、当番においてはは農具ではないのだぞ」とぼやくなど、でない仕事には明らかに戸惑いつつ、にこなしている様子。やっぱりかわいい

南海太郎朝尊(刀剣乱舞)と共に出すると、回想が発生。
刀工心子の子のが、自分よりも成熟して見える事に対して「私としては、もっと威厳のある姿が理想だったのだが」と吐露。刀剣男士の成り立ちを研究する尊は「の理想を追いめる刀工の姿勢」が反映されているのではないかと言いかけたが、自分の口から言うには野暮であるとして止めた。

ふむ。これが来歴というわけだな

江戸時代末期刀工心子正秀の作。
初代は麿、大慶直胤と並び「江戸三作」と称された名工であり、新々の祖として知られている。

初代の本名は鈴木三治郎
寛延3年(1750年)出羽米沢現在山形県)に生まれ、農具を作る野鍛冶となる。その後刀工を志し、22歳の時に武州八王子刀工宮川吉英に師事した。
3年後の安永3年(1774年)、山形二代秋元に召し抱えられ、「心子」を号する。ちなみに秋元に伝来したには鳴狐がある。

江戸日本橋町の秋元中屋敷内に工房を持ち、生涯を官で通しながら、多くの門を抱える事となった。新々期の刀工で、心子と関わりを持たない者を探す方が難しいと言われている。
の世が続き、作られるが弱くなっていった事に対し、古を理想として再現す。既に当時失われつつあった古の鍛法を収集・研究を重ね、その成果を秘匿せずに本として刊行した。
文政8年(1825年)に76歳で死去。生涯に打った369振と伝えられる。

所有者は多く、勝海舟心子作のを所持していた。
幼少より剣術を学び、直心流の免許皆伝となった勝だが、殺し合いよりも話し合いを望んでいたこともあり、生涯一度も抜く事はなかったと伝えられている。

関連動画だ。私の出番はあるか?

関連項目の出番が来るというのか


特命調査一覧
特命調査組

特命調査聚楽第

山姥切長義
特命調査文久土佐藩 肥前忠広
南海太郎朝尊
特命調査天保江戸 心子正秀
源清麿
特命調査慶長熊本 地蔵行平
古今伝授の太刀

特命調査慶応甲府

一文字則宗
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