自由及び権利には責任及び義務が伴うとは、自民党憲法改正草案第12条に現れる文言である。
自民党憲法改正草案の第12条はつぎのように書かれている。
自民党憲法改正草案第12条 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。
「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という思想は、精神医学者ジークムント・フロイトの「ほとんどの人間は実のところ自由など求めていない。なぜなら自由には責任が伴うからである。みんな責任を負うことを恐れているのだ」という言葉や、劇作家バーナード・ショーの「自由とは責任を意味する。だから、たいていの人間は自由を恐れる」という言葉が由来とされている。
「『自由及び権利には責任及び義務が伴う』という思想は、自由や権利や義務や責任について専門知識を持つ法律学者が考えたものではなく、自由や権利や義務や責任について専門知識を持たない精神医学者や劇作家が考えたものである」と言うことができる。
自民党憲法改正草案第12条に「自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し」とあるように、「自由及び権利には責任及び義務が伴う」というものは心構えであり、精神論である。
自由・権利から発生する具体的な責任・義務というものは考えづらい。「『信教の自由の中の、内心における信仰の自由』や『思想・良心の自由』を行使するときに発生する具体的な責任・義務はどのようなものか」という質問に回答することは困難を極める。
「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という思想には大きな問題点がある。
「自由及び権利には責任及び義務が伴う」と言うことは、「自由や権利を行使する者には責任を取らせたり義務を負わせたりする」と威圧的に予告することと全く同じであり、人々の権利意識を過度に萎縮させる効果がある。
「自由及び権利には責任及び義務が伴う」と言いふらすものが増えると、責任や義務を負わされても耐えられる経済的強者のみが自由や権利を享受するようになり、責任や義務を負わされるとそれに耐えられないと考える経済的弱者は自由や権利を行使することを控えるようになる。そして、格差が広がり、格差社会・階級社会が出現していく。
「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という思想を好む人々が存在する。
世界日報という保守的な新聞では、「自由及び権利には責任及び義務が伴う」「人々に権利意識を持たせてはならない」という思想のこもった社説がしばしば書かれる(記事1、記事2)。
世界日報は統一教会の傘下の新聞社である。その統一教会は、宗教2世に対して「自由に恋愛してはならない。合同結婚式に参加せよ」という圧力をかける宗教団体であり、宗教2世が持つ自由や権利を取り上げようという傾向が極めて強い宗教団体である。世界日報が「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という主張を繰り返して人々の権利意識を抑圧して人々から自由や権利を取り上げようとするのはこのためである。
株主至上主義や新自由主義を信奉する人は、「自由及び権利には責任及び義務が伴う」という思想を好む傾向がある。そういうことばかり言っていれば、労働者という経済的弱者の権利意識が萎縮し、労働者が労働三権を行使することを控えるようになって労働組合を結成しなくなるからである。そうなれば企業の人件費が減りやすくなり、税引後当期純利益と利益剰余金が増えやすくなり、株主への配当金が増えやすくなり、株価が上がりやすくなり、株主が有価証券評価益を計上しやすくなる。
本記事の趣旨から多少外れるが、自民党憲法改正草案の中の矛盾も指摘しておく。
自民党憲法改正草案第19条には「思想及び良心の自由は、保障する」とある。この条文は日本国憲法第19条とほぼ同じである。
しかし自民党憲法改正草案第12条には「国民は、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、」と書かれている。先述のように「自由及び権利には責任及び義務が伴う」はただの思想であるし、なおかつ「自覚し」と書かれているので、この条文は国民に一定の思想を強要するものである。つまり自民党憲法改正草案第12条は思想・良心の自由を侵害するものである。
自民党憲法改正草案第15条第4項後段には「選挙人は、その選択に関し、公的にも私的にも責任を問われない。」とある。この条文は日本国憲法第15条第4項後段の条文とほぼ同じである。この条文があると、選挙人は「○×候補に投票したあとに○×候補が当選し、国会議員になって悪政をしたとしても、自分は責任を問われずに済む」と安心するようになり、萎縮しなくなり、伸び伸びと選挙権を行使できるようになる。ゆえにこの条文は選挙権の自由な行使を保護するために重要である。
ところが自民党憲法改正草案第12条には「国民は、自由及び権利には責任及び義務が伴うことを自覚し、」と書かれている。この条文からは「選挙人が選挙に行って投票するとき、その選択について責任が伴うことを自覚すべきである」という解釈が自然と導かれる。そうした解釈を人々が持つと、「○×候補に投票したあとに○×候補が当選し、国会議員になって悪政をしたら、自分は責任を問われてしまい、みんなに非難される」と恐れるようになり、萎縮するようになり、伸び伸びと選挙権を行使することができなくなる。
自民党憲法改正草案は、第15条第4項と第12条で矛盾がある。
掲示板
9 ななしのよっしん
2024/03/10(日) 04:03:50 ID: 9r/S+yUCU/
多くの場合セットになりトレードオフになりやすいだけで責任と義務は権利と自由の対価じゃないんだよな
権利は権利として保証され義務は権利と独立に課される
税金が公共インフラの対価ではないのと同じ
公道を歩く自由は一円も納税した事のない者にも与えられるしどれだけ高額納税しても受けられる公共サービスは同じ
10 ななしのよっしん
2024/03/24(日) 10:07:27 ID: SEx9JX/nt7
自分の権利が行使できるのは、誰かが義務を果たしているから。
その意味では権利と義務はセットではある。
当然対価ではなく、むしろ権利が主で義務が従ではないか?
天から与えられた権利を行使するために、他者へ義務を課すのが主権者の力、権力である。
11 ななしのよっしん
2024/03/24(日) 10:15:04 ID: aOWHwFDQGU
勤労納税他者への教育の義務を果たさずに権利を主張するならと既に憲法に書いてあるでしょう
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最終更新:2024/04/18(木) 06:00
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