アントニオ・サリエリとは、古典派を代表する作曲家であり、ある意味モーツァルトの犠牲者でもある。
幼いころ両親から音楽教育を受け才能を発揮した。そのような両親が死去した後、北イタリアのパドヴァ、ヴェネツィアに住み、1766年にフローリアン・レオポルト・ガスマンとともにウィーンの宮廷に招かれ、以来死ぬまでほぼウィーンを中心に活躍した。
はじめはオペラ・ブッファで成功し、のちにグルックの様式で作曲したフランス語のオペラ『タラール』などがパリで大盛況をおさめ、これらの功績から1788年オーストリアの宮廷楽長となる。ほかにもオラトリオやカンタータ、ミサ曲を含む多くの宗教曲、そしていくつかの器楽曲が知られている。
また教育者としての評価も高く、有名な生徒としてベートーヴェン、シューベルト、リスト、チェルニー、フンメル、マイアベーア、ジュスマイヤー、モーツァルトの息子フランツ・クサーヴァー・モーツァルトが彼の指導の恩恵を受けた。
言ってて悲しくなるけど、ここ読む人そんな記述よりももっと興味があることがあるよね。
彼とモーツァルトは当時からライバル的な存在であった。そのモーツァルトが若干35歳にして亡くなったために、当時から彼がモーツァルトを毒殺したのではないかとうわさされることになった。
さらに映画『アマデウス』の一躍ヒットによってサリエリの名とそのスキャンダルは音楽ファン以外にも知られることとなり、モーツァルトを殺したかもしれない男としての名が広まってしまったのである。
もちろん映画はほとんどフィクションであり、彼がモーツァルトにレクイエムを依頼した上に死の床で彼の作曲を口頭記述したり、精神病院で錯乱した最期を迎えたりといったことはなく、普通に19世紀前半までぴんぴんしており音楽活動に従事している。
なお、彼のスキャンダル自体は彼の生前からすでに存在しているが、これが事実かどうかは今の今まで立証されていないのである。
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最終更新:2024/04/24(水) 13:00
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