イクノディクタス 単語


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イクノディクタス

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イクノディクタス(Ikuno Dictus)とは1987年生まれの日本の競走馬。栗毛の牝馬。

通算51戦9勝、デビューから怪我無く6歳まで走り続けた、人呼んで「鉄の女」。
主な勝ち鞍:京阪杯、金鯱賞、小倉記念、オールカイクノデマー(GIII)、安田記念、宝塚記念(GI)2着
栗東・福島信晴厩舎所属、主戦騎手は3歳春まで西浦勝一、それ以後は基本的に村本善之。

曖昧さ回避 この記事では実在の競走馬について記述しています。
この馬を元にした『ウマ娘 プリティーダービー』に登場するキャラクターについては
「イクノディクタス(ウマ娘)」を参照してください。

※年齢表記はレース名を除き、現表記に統一

銑鉄

父ディクタス、母ダイナランディング、母父ノーザンテースト。社台っぽいが生まれは社台ではない。
ディクタス×ノーザンテーストの配合は当時のニックス配合として知られ、同じ配合からはサッカーボーイやムービースターなどが輩出されている。
全妹にオープン馬で小倉3歳S2着のエミノディクタスがいる。

1988年の1歳馬セリで930万円で購買。なお同じセリにはダイイチルビーが1億円で取引されている。
デビューへの準備が進められる中で屈腱炎を発症、一時はデビュー以前に安楽死も考えられたが、「骨折と腱断裂以外の脚の故障は装蹄で治せる」との持論を持つ装蹄師の福永守(ハギノトップレディの晩年を支えた)に相談し、預けたところ競走に問題ないレベルまで完治

2歳7月に小倉でデビュー戦を勝利し、続くフェニックス賞(OP)も勝利し連勝。
ただそれ以降精細を欠き、2歳シーズンは6戦2勝、ラジオたんぱ賞3歳牝馬S(GIII)を3着。

クラシックに挑むも、桜花賞11着、オークス9着と全然ぱっとしない。
しかし秋になると復調(成長?)し、サファイヤS3着、ローズS2着と善戦し、エリザベス女王杯(当時は3歳限定の三冠目)を4着に入っている。一応期待を持たせたまま3歳を7戦未勝利で終える。

精錬開始、鉄は叩けば強くなる

1991年は京都牝馬特別からスタートして7着。結論から言おう、この年12戦した
そんくらいならそこそこ居るだろ、と思うかもしれないがこれは1月から9月までである。
3月のオープン特別で久しぶりに勝利を挙げると、1戦挟んだ京阪杯初重賞制覇を挙げる。
以後ぶっ通しでレースに挑み続け、夏の関西ローカル開催が始まると、金鯱賞7着からオープンや重賞を立て続けに勝てないながらも好走。
4歳シーズンは12戦2勝、2着2回3着3回。

1992年はフルシーズンで走る。結果2月の小倉開催から有馬記念まで16戦。全部牡馬との混合。
ノーザンテーストは3度変わるとは言ったもので、前年から一気に成長を果たし、夏場のローカル開催を中心に活躍。阪神のオープン特別を勝利した後金鯱賞を優勝、1戦挟んで小倉記念オールカマーを連勝し、毎日王冠でも真面目に走ったダイタクヘリオス相手に2着と好走した。
秋競馬のGI戦線(マイルCS→JCの連闘もした)は全て7着以下に敗れたはしたが、ジャパンカップ以外は1着と1秒以内に入っており、この年の重賞3勝が評価され最優秀5歳以上牝馬に選ばれた。
この年16戦4勝、2着3回。当時の関西ローカルの女王と言っても差し支えない成績である。

鋼鉄

1993年は日経賞からスタートするが6着、産経大阪杯、天皇賞(春)と続けて特に見せ場無く敗戦し、流石にここまでかと思わせたが、次戦に安田記念を選択すると、これまで逃げ先行~中団先頭で競馬をしていたイクノディクタスと村本騎手は中団の後ろ、後方につける。ヤマニンゼファーが押し切りを図り、シンコウラブリイらの馬群が彼に追いすがる中、その馬群の間をこじ開けるように突き進んだ所がゴール板。シンコウラブリイをハナ差下して2着に入る。この時14番人気で、ヤマニンゼファーとの馬連は68,970円もついた。なお直線で一度も名前が呼ばれなかった。

次戦は宝塚記念へ。良馬場発表ではあったが内はかなり荒れていた。レースでは本馬をはじめとするほぼ全頭が外寄りでレースを進める中、オースミロッチだけ最内にピッタリつけて走る。本馬は道中後方から進め、メジロマックイーンが外から追い込む所を後ろからピッタリ付いて行ったところ、ゴール板直前でオースミロッチを差しきって再び2着に入る。同期の6歳馬ワンツーフィニッシュとなった。
8番人気だったが1着がマックイーンなので馬連は2,370円だったが。

中1週でテレビ愛知オープンに出走して勝利を挙げたが、これが馬生最後の勝利となった。後は4戦したが全て着外に沈み、11月のオープン特別8着を最後に引退。この年は10戦1勝、2着2回。

アイアンレディー

通算成績51戦9勝、牝馬として初めて賞金5億円超えを達成し、引退レース時点では最高獲得賞金女王であった翌週のマイルCSでシンコウラブリイに抜かれたけど。獲得賞金は5億2660万円に到達し、これは多士済々のメンバーが揃っている1990年世代の中でも第4位、牝馬ではトップである。全9戦のうち8勝を5月以降の夏季開催に挙げており、夏女との異名を取った。

繁殖入り後10頭ほど送り出したものの中央で勝利した産駒がゼロと、少し悲しい結果となった。
なお、武豊曰く「メジロマックイーンはイクノディクタスに想いを寄せていたとか」という証言を残しており、初年度の配合相手はメジロマックイーンに選ばれている。残念ながら産駒は未勝利に終わっている。

2008年を最後に繁殖牝馬を引退し、そのまま繋養されていた五丸牧場にて功労馬生活を送っていた。
現役時代よろしく頑健、息災であったが、2019年2月6日に死去。32歳の大往生であった。

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関連項目

  • 競走馬の一覧
  • メジロマックイーン
  • ヤマニンゼファー

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