株式会社エス・エヌ・ケイ (SNK) とは、かつて存在した日本のゲーム会社である。
ゲームシステム「ネオジオ(NEO・GEO/NEOGEO)」で一世を風靡した、アーケードゲーム史にその名を残すゲームメーカー。
愛称およびブランド名の「SNK」として知られているが、当時はアルファベットだけの社名が認められていなかったので正式な社名は「エス・エヌ・ケイ」である。関係の深いADKも同じ事情で正式には「エーディーケイ」だった。
元プロボクサーであり、後に「怒 IKARI」ではラスボスも務める実業家・川崎英吉が神戸の電機会社を買収したことをきっかけに1973年に「新日本企画」として創業。他社のゲーム基盤の生産の下請けを皮切りに、アーケードゲーム業界に参入。
1986年に社名を「エス・エヌ・ケイ」に変更したが、80年代はどちらかというと他社の既存のゲームのアイデアを発展させたり奇抜な演出を取り入れるゲームなどが多く、独自路線を進んだりヒット作に恵まれていた訳でもなかった。
しかし、1990年にADKと共同開発したアーケード用マルチプラットフォームであるネオジオ(NEOGEO/MVS)の販売を開始(翌年に家庭用のAESを販売開始)、各地で取り回しの良い専用の小型筐体や、レンタルビデオ店による貸し出し等、独自の販売形態を見せ徐々に知名度を拡大していた。
更にストⅡに端を発した格闘ゲームブームが到来したことが追い風となり、カプコンを退社し当時SNKに在籍していた「ファイナルファイト」の元スタッフらによって制作された「餓狼伝説」を皮切りに格ゲー開発に本腰を入れ始めると、以降はネオジオの利点を生かし次々と格ゲーを発表。最盛期の1996年頃は2,3ヶ月単位で新作を連発した。更に黎明期の格ゲー界において後のゲームで定番となるシステムも次々と発表。加えて自社経営店舗の拡大や月刊情報誌ネオジオフリークの刊行などをはじめとしたキャラクター戦略も功を奏し、一大ヒットメーカーへと発展した。
CAPCOMと共に2D格闘ゲームブームを牽引し支えた人気メーカーだったが、一方でブームの最中も経営は芳しくなく開発一流・経営三流と揶揄されていた。後年当時のスタッフは「お金の管理をする人がいなかったので、出ていくお金と入ってくるお金がわからなくて、どこから給料が出ていたのか」と述懐している。同氏によれば後継会社のSNKはずっとまともになったらしく、エス・エヌ・ケイ時代を知る現社員の小田プロデューサーが「(今は)働く場所としては、とても快適だと思う」と述べているぐらいなので、つまりそういうことなのだろう。
2001年に倒産、消滅。倒産後に競売にかけられた知的財産権は系列会社のプレイモア(現SNK)が落札に成功し、一部のタイトルは現在もシリーズ展開が続いている。
| 1973年 | 新日本企画として創業。 |
| 1986年 | 株式会社エス・エヌ・ケイに社名を変更。 |
| 1990年 | ゲーム機「ネオジオ」を発売。 |
| 1998年 | 携帯型ゲーム機「ネオジオポケット」を発売。 |
| 2001年10月30日 | 倒産し、知的財産権をプレイモア(現SNK)に譲渡する。 |
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最終更新:2025/12/07(日) 16:00
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