キテレツ大百科とは、藤子・F・不二雄の有名作品の一つナリ。
主人公である発明好きの少年キテレツと、発明第一号であるワガハイコロ助の織りなすハートフルコメディナリ。
この作品を見るときは、青いタヌキ型ロボットの出てくる作品のことは忘れた方が幸せナリよ。
キテレツよりワガハイの方が、内容よりOPやEDの方が有名だったりと色々と困ったものナリよ…。
1974年から1977年にかけて『こども家の光』(現在の『ちゃぐりん』)という雑誌で連載された作品である。この雑誌は農協から出版される雑誌の漫画であり、一般書店では買えない雑誌であった。更にこの時期は色んな作品を描いていたこともあって、「藤子・F・不二雄(まだコンビ解消していないので藤子不二雄)の作品の一つ」に過ぎず、連載終了後に小学館から発売されたもののマイナーな作品であった。
そんなマイナー作品を一躍有名にするきっかけを与えたのがアニメ化である。
1987年にフジテレビで単発で放映し、1988年にレギュラー放送の開始。当初はドラえもんに似た(というよりは藤子・F・不二雄作品にありがちな)構図であったが、声優変更やスタッフ変更などを経て、藤子・F・不二雄作品にとらわれない作風を確立した。一例として、「いじめっ子」のブタゴリラが「トラブルメーカー」になった。
同時に1988年に藤子・F・不二雄監修で弟子の田中道明が小学館のコロコロコミックで『新キテレツ大百科』を執筆する。コロ助のコロッケ好きなどアニメ版の性格を反映しながら連載した。
1994年に放映終了を考えるも後継の番組が決まらないことから延期を決定する。そこから2年近くの延期で1996年の夏に放映の終了が決定。後番組はこれもまた長寿番組となる『こち亀』であった。1994年に放映予定だった最終回を1996年の6月に放映し、キテレツ大百科のアニメは終了した。
アニメ版のキテレツ大百科に対して要約であるが、藤子・F・不二雄はべた褒めであり、「藤子アニメの中ではキテレツが一番好き」と述べ、キテレツ大百科の脚本を務めた雪室俊一は「クレームや注文が一切なく、よく長く作ってくれたと(藤子・F・不二雄が)満足していた」と述べ、マイナー作品から名作へと登りつめた作品であった。
そして、キテレツ大百科の放映終了後の3か月後に藤子・F・不二雄は死去することになる。
藤子・F・不二雄の名作は各々によって変化するだろうが、ローソンで藤子・F・不二雄に関連したフェアを行った時にクリアファイル化したのが、小学館系で初連載した『ドラえもん』、『パーマン』、『エスパー魔美』、『21エモン』に並んで、初連載はマイナーであったキテレツ大百科がそれらの作品に並んでクリアファイル化となった。
アニメ化が大きな要因であるが、キテレツ大百科は藤子・F・不二雄作品の名作となった。
静岡県内にあるテレビ局「テレビ静岡」では昔からキテレツを何度も再放送するおかげで
静岡在住のアニメファンからはすっかりウザがられてしまってるナリ。
「キテレツが終わった!」→「またキテレツかよ!」のコラ画像やネタ絵も作られるわで
『静岡=アニメはキテレツのみ』というトンデモなイメージまで一人歩きしてしまってるナリよ。
一応言っておくと、確かにキテレツは静岡でよく再放送されるナリが
キテレツが終わったらまた再放送を繰り返す訳じゃないナリよ。
一定期間放送されたら別のアニメ(こち亀やハイジといったコレまた再放送される確率の高い作品ナリが)を
再放送してまたキテレツになるというパターンナリ。
ついでにいうと、最近はキテレツの再放送はあまり、というか全くしなくなったナリ。
最近じゃONEPIECEに我輩のポジションをとられたナリ。
それとキテレツの舞台は静岡じゃないという事は肝に銘じて欲しいナリよ・・・。
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