コマツカゼ号事件とは、1931年に起きた競馬の八百長未遂事件である。
1931年5月24日横浜の日本レースクラブ根岸競馬場、第7障碍競走2800m3頭立てにて事件は起きた。
1番人気のコマツカゼが出遅れをかまして2番人気のダテヤマトが逃げを打ち、最低人気のセイカンがこれを追走。コマツカゼは最後方に位置取り各馬の各馬の間は15馬身ずつ離れながらも先頭のダテヤマトの竹野騎手のみが懸命に馬を追い、セイカンの仲住達弥騎手とコマツカゼの金子禎介騎手は馬を追う気配を見せなかった。その異様な光景から観客は大声で八百長と訴え始めたがゴール直前セイカンがダテヤマトを追い抜き1馬身差つけて1着、ダテヤマトは1着から1馬身と3/4差で最下位に終わった。勝ち時計は3分20秒2。
取り調べにてコマツカゼの金子騎手は無気力騎乗を認めたため本年中の騎乗停止、コマツカゼは本年中の出場禁止、セイカンの騎手仲住達弥と調教師であるその父仲住与之助には以後の出場を遠慮せしめることで一応の解決を見た。
しかし、警察が約束の不履行を理由に仲住氏を恐喝したとして山口某を逮捕し、更に仲住父子を検挙したことで大騒動となり、事件の全容が判明した。
コマツカゼの馬主楠林徳次郎は金品を受け取った見返りに金子騎手にダテヤマトを勝たせるよう指示を出し、仲住与之助も山口より3百円[1]を受け取り、達弥騎手にダテヤマトを勝たせるよう指示を出していた。
日本レースクラブは楠林及びその所有馬が以後日本レースクラブの競馬に関与することを禁止し、金子と達弥に対しては3年間の日本レースクラブでの騎調禁止、仲住与之助には10年間全国公認競馬からの追放処分とした。
セイカンとコマツカゼがダテヤマトに先着した理由は不明である。
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最終更新:2025/12/07(日) 22:00
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