サッカーウルグアイ代表とは、ウルグアイサッカー協会(AUF)により構成されるウルグアイの代表チームである。ユニフォームは国旗の空色と白を基調にしていてホームはシャツが空色でパンツが黒。愛称はロス・チャルーアス(Los Charrúas)。セレステと呼ばれることもある。
| ウルグアイ代表 | |||
|---|---|---|---|
| 国旗 | |||
| 協会 | AUF | ||
| 大陸 | CONMEBOL(南米) | ||
| FIFAコード | URG | ||
| FIFA加盟 | 1923年 | ||
| 監督 | ディエゴ・アロンソ | ||
| FIFAワールドカップ | |||
| 出場 | 12回 | ||
| 最高成績 | 優勝(2回) | ||
| コパ・アメリカ | |||
| 出場 | 45回 | ||
| 最高成績 | 優勝(15回) | ||
第1回のワールドカップである1930 ワールドカップを含め、2度ワールドカップで優勝している南米の強豪。コパ・アメリカではアルゼンチンと並んで最多の15回の優勝経験がある。ホームスタジアムとして首都モンテビデオにあるエスタディオ・センテナリオを使用している。
古くからアルゼンチン、ブラジルとはライバル関係にあり、試合が行われると大きな盛り上がりを見せる。また南米の国らしく攻撃的な選手に名手が多い。
20世紀前半は強豪であったが、近年は低迷期を経てタイトルから遠ざかっており、各時代で優れた選手を輩出しながらも21世紀に入ってからは2010 FIFAワールドカップでのベスト4と2011年のコパ・アメリカ優勝くらいしか目立った成績を残せていない。そのため、最近は「古豪」というイメージが付いている。
伝統的に激しい肉弾戦を厭わない堅守をベースにした戦術を採用しており、攻撃は前線のタレントの個人技で手数をかけずにゴールを奪おうとする。狡猾でファウルを厭わないプレーを仕掛けてくることが多いため、ダーティーなイメージも付いている。特にルイス・スアレスの2010年ワールドカップでの故意のハンドと2014年ワールドカップの噛みつき事件は有名である。
初試合は1901年のアルゼンチン戦。20世紀前半は世界でも屈指の強豪国として君臨しており、ワールドカップ以前のオリンピックで1924年、1928年と連覇。コパ・アメリカでも第1回の1916年大会に優勝して初代王者となり、1930年代までに6回優勝している。
第1回の1930 FIFAワールドカップ・ウルグアイ大会では開催国となり、決勝のアルゼンチン戦までを全勝で見事優勝。栄えある初代のワールドカップ王者となった。1934 FIFAワールドカップ、1938 FIFAワールドカップには参加しなかった。
3大会ぶりの出場となった1950 FIFAワールドカップ・ブラジル大会では、前年のコパ・アメリカで初めてベスト4入りを逃したこともあり前評判は高くなかったが、開催国のブラジルを破って2度目の優勝を飾っている。ブラジルは優勝を逃したこの大会の事をマラカナンの悲劇と名付け、ウルグアイを因縁深い相手としている。そしてまた1つ因縁が生まれた・・・。
1954 FIFAワールドカップ・スイス大会でもベスト4入りを果たすが、1958年スウェーデン大会は南米予選敗退となり、1962年チリ大会ではグループリーグ敗退とコパ・アメリカでは結果を出しながらもワールドカップでは苦戦する時期が続く。1966 FIFAワールドカップ・イングランド大会ではグループリーグは突破できたが、準々決勝では西ドイツを相手に0-4と完敗している。
1970 FIFAワールドカップ・メキシコ大会では準決勝でペレを擁するブラジルに敗れたものの、1954年大会以来となるベスト4進出を果たす。しかし、これ以降はさらなる低迷期が続き、2大会連続で南米予選で敗れるなど世界のトップからは遠ざかっていた。
1980年代に入りエンツォ・フランチェスコリが台頭すると、コパ・アメリカ1983で4大会ぶりの優勝を果たす。1986 FIFAワールドカップ・メキシコ大会では1974年大会以来の本大会出場を果たす。本大会では、辛うじてグループリーグを突破したが、ラウンド16でアルゼンチンに敗れ、1勝もできないまま大会を去る。コパ・アメリカ1987で連覇を果たし、1990 FIFAワールドカップ・イタリア大会に臨むが、4年前と同じくベスト16止まりに終わる。
1990年代に入るとルベン・ソサ、ダニエル・フォンセカ、グスタボ・ポジェ、アルバロ・レコバら優れたタレントが登場するが、2大会連続でワールドカップ出場を逃している。コパ・アメリカ1995では、ベテランとなったフランチェスコリの大会最優秀選手に輝く大車輪の活躍によって14回目の優勝を飾る。しかし、この大会を最後に長きにわたって低迷するようになり、久々に本大会出場権を得た2002 FIFAワールドカップ・日韓大会でも1勝もできずにグループリーグ敗退となる。
2006 FIFAワールドカップ南米予選敗退後、オスカル・タバレスが1990年以来となる監督に就任。タバレスはA代表だけでなく、ユース世代の代表強化にも力を入れ、将来有望な若手選手には必ずU-20世代別代表を通してからA代表へと招集するようになる。
伝統の堅守をベースにディエゴ・フォルラン、ルイス・スアレス、エディソン・カバーニというワールドクラスのメンバーを揃えた攻撃陣で大陸間プレーオフを勝ち抜き、2010 FIFAワールドカップ・南アフリカ大会に出場すると、彼らの活躍もあって1970年大会以来40年ぶりとなるベスト4進出を果たす。特にフォルランは大会得点王とMVPを獲得する大車輪の活躍ぶりだった。古豪の復活をたたえ、帰国後の凱旋パレードではおよそ50万人の国民が出迎えた。
コパ・アメリカ2011では、開幕当初は低調だったものの、準々決勝で開催国のアルゼンチンをPK戦の末に下したことで勢いづくと、決勝ではスアレス、フォルランの活躍でパラグアイ相手に快勝し、史上最多となる15回目の優勝を果たす。2014 FIFAワールドカップ・ブラジル大会ではイングランド、イタリアという強豪を出し抜いてグループリーグを突破。しかし、イタリア戦でエースのスアレスがジョルジョ・キエッリーニに噛みつく奇行によって出場停止となったことば響き、ラウンド16で敗退となる。
2018 FIFAワールドカップ・ロシア大会でもスアレス&カバーニの強力2トップの活躍によってグループリーグを3戦全勝で突破し、ラウンド16では強豪ポルトガルを撃破する。しかし、準々決勝ではカバーニの負傷による欠場の影響もあってフランスに敗れ、2010年大会以来となるベスト4入りを逃している。
2022 FIFAワールドカップ・カタール大会の南米予選では敗退の危機に立たされるが、15年の長期政権を築いたタバレス監督に見切りを付け、ディエゴ・アロンソ監督のもとで再スタートを切り、本大会出場権を獲得。
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最終更新:2025/12/08(月) 00:00
最終更新:2025/12/08(月) 00:00
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