サッカーメキシコ代表 単語


ニコニコ動画でサッカーメキシコ代表の動画を見に行く

サッカーメキシコダイヒョウ

3.2千文字の記事
これはリビジョン 3092216 の記事です。
内容が古い・もしくは誤っている可能性があります。
最新版をみる

サッカーメキシコ代表とは、メキシコサッカー連盟(FEMEXFUT)により編成されるサッカーのメキシコ代表チームである。愛称はエル・トゥリ(El Tri)。ユニフォームは、ホームではシャツが緑、パンツが白。

概要

メキシコ代表
国旗
協会 FEDEFUTBOL
大陸 CONCACAF(北中米カリブ海)
FIFAコード MEX
FIFA加盟 1929年
監督 ヘラルド・マルティーノ
FIFAワールドカップ
出場 16回
最高成績 ベスト8(2回)
CONCACAFゴールドカップ
出場 20回
最高成績 優勝(11回)

北中米を代表する強豪であり、FIFAワールドカップには第1回から参加しており、欧州勢と南米勢以外では最多となる16回出場している常連国である。1970年と1986年の二度自国でワールドカップを開催しており、二度ともベスト8に進出している。CONCACAFゴールドカップでは最多優勝の11回を誇る。また、招待国として出場したコパ・アメリカで2度準優勝を果たしている。

1994年大会以降のワールドカップ以降は7大会連続でグループリーグを突破している安定した強さを持っており、この記録を持っているのはブラジルとメキシコだけである。一方で7大会全てベスト16で敗れており、ベスト8が大きな壁となっている。また、オリンピックでは2012年のロンドン大会で金メダルを獲得した実績を持っており、2021年の東京五輪でも銅メダルを獲得。

世界的なスター選手は少ないものの、各年代で技術の高い選手を揃えており、テクニックの高さを活かしたパスワーク主体の攻撃的なサッカーを志向している。小柄な選手も多いことから、たびたび日本サッカーが模範とすべき国に挙げられている。また、個性的な選手が登場することでも知られている。

ホームスタジアムとしては首都メキシコシティにあるエスタディオ・アステカ(アステカ・スタジアム)を使用。かつては13万人が収容可能な巨大スタジアムであり、2度ワールドカップ決勝を開催した場所でもある。同じ北中米の強国であるアメリカ代表とはライバル関係にあり、両者の対戦は北アメリカ・ダービーと呼ばれている。

歴史

初の国際試合は1923年のグアテマラ戦で3-2で勝利している。FIFAワールドカップには第1回の1930 FIFAワールドカップ・ウルグアイ大会から出場。結果は3戦全敗、13失点という内容でグループリーグ敗退に終わっている。1934 FIFAワールドカップは予選敗退で、1938 FIFAワールドカップは棄権しいずれも出場していない。

1950 FIFAワールドカップから1966 FIFAワールドカップまで5大会連続で本大会に出場するが、全てグループリーグで敗退しており、その間勝利した試合は1962年大会の1勝のみと世界との差を見せつけられる時代が続いていた。一方、CONCACAFゴールドカップ1965では、第2代目の優勝チームに輝き、初のタイトルを獲得している。

7回目の出場となった1970 FIFAワールドカップは開催国としての出場となり、グループリーグで初戦のソ連戦を引き分けると、エルサルバドルとベルギーを相手に連勝し、初のグループリーグ突破を果たす。開催国としての面目は保ったが、準々決勝では強豪イタリアの前に1-4と完敗。それでも過去最高の成績を残した大会となった。

自国開催のワールドカップから1年後のCONCACAFゴールドカップ1971では2度目の優勝を飾る。しかし、1974 FIFAワールドカップでは予選敗退で本大会出場を逃す。2大会ぶりの出場となった1978 FIFAワールドカップは3戦全敗で1次リーグ敗退。1982 FIFAワールドカップではまたも北中米予選敗退で本大会出場を逃している。 

1986 FIFAワールドカップは当初コロンビアでの開催予定だったが、代替として二度目の開催国に選ばれる。ユーゴスラビア出身のボラ・ミルティノビッチが監督に就任し強化を進め、レアル・マドリードでエースとして活躍するウーゴ・サンチェスを擁したチームは、グループリーグを2勝1分の首位で突破。ラウンド16ではブルガリアを破り、1970年大会以来のベスト8進出を果たす。準々決勝でも強豪西ドイツを相手に互角の戦いを見せるが、最後はPK戦で敗れる。

1988年ソウルオリンピックに年齢制限に違反した選手を出場させ、その制裁により1990 FIFAワールドカップの出場を許されなかった。一方、エクアドルで開催されたコパ・アメリカ1993に招待国として初出場すると、グループリーグを3位で辛うじて突破。決勝トーナメントに入るとペルー、エクアドルを相手に決勝まで進出。決勝ではアルゼンチンに敗れたが、初出場で準優勝という快挙を果たす。さらにこの年、自国開催となったゴールドカップ1993でも優勝している。

1994 FIFAワールドカップ・アメリカ大会では派手なユニフォームと小柄ながらも圧倒的身体能力を持つGKホルヘ・カンポスが話題となる。4チームが同じ勝ち点で並ぶ大混戦となったグループEを総得点で首位通過し、自国開催以外では初めて決勝トーナメントに進出。ラウンド16でブルガリア相手にPK戦で敗れる。1998 FIFAワールドカップ・フランス大会でもラウンド16まで進むが、ドイツを追いつめながら終盤に逆転を許し、2大会連続ベスト16となる。また、この大会ではクアウテモク・ブランコが披露したカニばさみドリブルが話題となった。翌年のFIFAコンフェデレーションズカップでは、開催国として出場し初優勝を飾っている。

5大会連続で招待国として出場したコパ・アメリカ2001では、グループリーグでブラジル相手に勝利し、2度目となる決勝進出を果たしている。2002 FIFAワールドカップ・日韓大会では世代交代に失敗し、一時は予選敗退の危機に立たされるが、途中から監督に就任したハビエル・アギーレがベテラン勢を呼び戻したことで復調し、本大会出場権を獲得。本大会ではイタリア、クロアチアという強豪と同組になりながらも首位でグループリーグを突破。しかし、またもラウンド16で宿敵アメリカに敗れてしまう。

リカルド・ラ・ボルペが監督に就任すると、2003年のCONCACAFゴールドカップではブラジル代表を破り、2004年のコパ・アメリカではアルゼンチン代表から歴史的な勝利を挙げている。2005年のFIFAコンフェデレーションズカップでもグループリーグでブラジルを下しており、FIFAランキングで最高4位を記録するなど実力を付けていた。しかし、2006 FIFAワールドカップ・ドイツ大会ではラウンド16でアルゼンチンと名勝負を繰り広げながらも延長戦の末に逆転負けを喫し、4大会連続ベスト16となる。

主な戦績

FIFAワールドカップ
ベスト8(1970, 1986)、ベスト16(1994, 1998, 2002, 2006, 20102014
CONCACAFゴールドカップ
優勝(1965, 1971, 1977, 1993, 1996, 1998, 2003, 2009, 2011, 2015)、準優勝(1967, 2007)

現在招集されている主な選手

  • ラファエル・マルケス(1997-)
  • アンドレス・グアルダード(2005-)
  • ギジェルモ・オチョア(2005-)
  • カルロス・ベラ(2007-)
  • ジオバニ・ドス・サントス(2007-)
  • ハビエル・エルナンデス(2009-)

過去招集されていた主な選手

  • ウーゴ・サンチェス(1977-1998)
  • クラウディオ・スアレス(1992-2006)
  • パベル・パルド(1996-2009)
  • ヘラルド・トラード(1999-2013)

関連動画

関連商品

ニコニコ市場は2023年11月に終了しました。

関連項目

  • サッカー
  • メキシコ
関連記事

親記事

子記事

  • なし

兄弟記事

おすすめトレンド

ニコニ広告で宣伝された記事

記事と一緒に動画もおすすめ!
もっと見る

急上昇ワード改

最終更新:2025/12/08(月) 00:00

ほめられた記事

最終更新:2025/12/08(月) 00:00

ウォッチリストに追加しました!

すでにウォッチリストに
入っています。

OK

追加に失敗しました。

OK

追加にはログインが必要です。

           

ほめた!

すでにほめています。

すでにほめています。

ほめるを取消しました。

OK

ほめるに失敗しました。

OK

ほめるの取消しに失敗しました。

OK

ほめるにはログインが必要です。

タグ編集にはログインが必要です。

タグ編集には利用規約の同意が必要です。

TOP