ジョン・ボーナム 単語

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ジョンボーナム

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ジョン・ボーナム(JOHN BONHAM)とは、イギリスロックドラマーである。
1980年9月25日享年32歳の若さで死去している。
1970年代を代表するロックバンドレッド・ツェッペリンドラマーとして有名。
本名はジェイムズヘンリー・ボーナム。ロックファンの間では「ボンゾ」の称で広くしまれている。

概要

ロックドラムの成立に大いに貢献し、後世に数多の模倣者を生んだ偉大なドラマーの一人である。
彼の持ち味である、まるでツーバスなど不要だといわんばかりの精妙かつ桁外れに速いペダルコントロールと、
決して扱いの容易くはない大口径のドラムキットを鳴の如く打ち鳴らしても、まだ余りある絶大なパワースタミナ
余人の模倣を許さない二と呼ばれた、独特のタイム感から生みだされる個性的なビートは、
レッド・ツェッペリンサウンド徴であった。
また、生前ボーナムの生み出した素晴らしいフレーズの数々は、スピードを変え加工され、
数えきれないほど多くのヒップホップラップミュージックを足元から支えている。現在ロック王道的に使用されるフレーズのほとんどは、ボーナムが生前編み出したものとまでいわれているほどである。

使用機材

ボーナムのキットには特注品は全くなく、一般で普通販されていたラディック社製の製品であった。
通常セットされるバスドラムは1台で、フットペダルビートルズリンゴ・スターも使用していた、
ラディック社製のシングルダルの製品を用していた。物はパイステ製を用。
彼の最も有名な使用機材は、映画『永遠の(狂熱のライヴ)』で見ることが出来る、
琥珀色をした透明クリ脂製のドラムキット『ヴィスタライト』であるが、スタジオ録音には使用されなかった。

■ステック:ラディック2A
ベースドラム:26×14
■フット・ペダル:ラディック・スピードキング
■スネアドラム:16×14スープラ・フォニック402(ないしブラック・ビューティー
■ラック・タム:14×10
■フロアタム:16×16、18×16
クラシックティンパニ:29インチマシーンティンパニ、30インチダルティンパニ
ハイハット:パイステ15インチサウンドエッジ(チン・リング装備)
■ライド・シンバルパイステ24インチ
クラッシュシンバルパイステ16インチ、18インチ、20インチ、22インチ
ゴングパイステ・シンフォニック38インチ
パイステ・カウベル
コンガドラム2台

ドラムヘッドはレモ・アンバサダーかそれに相当するラディックの製品を使用していたが、
後年はラディック・シルヴァー・ドッツないし、レモ・バック・ドッツに変更された。)
なお、1969年のボルチモア演で28インチバスドラム2台でプレーしたとの言があるが、
あまりにも大音が過ぎて他の楽器の音が聴こえなくなり、メンバーたちから酷く不評をかった。
同キットと思われる物をスタジオでの録音にも持ち込んだが、ボーナムのトイレ休憩の際に、
ジョン・ポール・ジョーンズバスドラムを1台取り外して隠してしまい、それ以来ツーバスの使用を諦めている。

 

 逸話(無名時代)

【ボーナムの名時代のエピソードには不明な点が多いが、ここではよく知られている逸話のみを紹介する。】

1948年5月31日イギリスはウェスターレディッチの建設業を営む両の元に生まれる。 

5歳頃から既に物をくことが好み、コーヒー豆空き缶いてドラム真似事をしていた。
8歳の頃には父親の嗜好のを受けてジャズを好むようになり、ジーンクルーパーバディ・リッチなどが、ボーナムのアイドルとなる。やがてビッグバンドジャズやかし頃に活躍していた、
ギャリー・オルコックというドラマーに師事し、ジャズドラムの手ほどきを受けるようになった。
また、学校では決して勉強熱心ではなかったボーナムは学校通知表に、
【彼はおそらく清掃員になるか、億万長者になるかのどちらかでしょう】と書かれるほどの成績でやがて退学した。
15歳になると父親から中古品で錆びだらけであったが、本格的なドラムキットをプレゼントされる。

ボーナムは学校退学になったあと、父親と一緒に建設現場で働くようになるが、ドラムで生計を立てることをみて練習に励み、業と音楽修行を両立させた。ボーナムの誇った屈強な身体は、この少年期に経験したレンガセメント袋を運んでは積み上げるという、過酷な肉体労働で養われることとなった。やがて、テリーウェブザ・スパイダース、ア・ウェイオブライフといった、地元のバンドを転々としながら技をみがいていく。

1965年頃、ボーナムは地元バーミンガムに程近いブラックカウティで、リズムブルースバンド
ザ・クローリングキング・スネイクで歌う、ロバート・プラントの実に見惚れた。

ボーナムはプラントに【お前、なかなかやるじゃないか。だけどお前にはが必要だぜ。みたいなベストドラマーはそうそう見つかるもんじゃないからな。】と話しかけ、自分とプレイした共演者のことを自慢するが、
ボーナムと同じくらい自信であったプラントに【お前プレイしているようなポップスは好きじゃない。R&Bにぞっこんなんだ。】と痛に返されてしまう。だがやがてプラントは、ボーナムの素晴らしいプレイの当たりにし、ボーナムが口先だけの男ではなく、本物の実者であることを知る。その後ボーナムが、ア・ウェイオブライフドラムスと兼任で、クローリングキング・スネイクの正ドラマーの地位につくと、バンドはミッドランズ最強バンドとして、地元で勇名を鳴りかせることとなった。この頃のボーナムは、しばしばバスドラの皮を打ち破る凄まじいプレイを行い、ボーナムとは同郷で友であった、コージー・パウエルらを大いに震撼させていた(パウエルのキットをボーナムがいてみると、パウエルく場合とは桁違いに大きな音で鳴るので、パウエルと彼のドラムテックは驚愕したという別の逸話もある)。

だがボーナムは店や客さえも耐えられなくなるような凄まじい大音を上げ、バンドはやがて演奏場所に困窮することとなる。酷いことに当時ギグを行った店の中には、騒音測定器が設置されていて、ある一定の音量以上の大きな音をたてると、自動的に楽器の電が落とされるようにされていた会場すらあったのだが、ボーナムはステックの一撃で、そんな店のデシベルメーターの針を振り切ってみせ、バンド不能に陥れる元となっていた。このように、その後もプラントと組んだバンドは商業的に悉く失敗することとなる。

1968年5月、ボーナムはザ・バンドオブジョイが前座をしたアメリカロックシンガーティムローズに見惚れられバックバンドの一員となる。ボーナムが抜けたバンドオブジョイは解散。このままプラントと活動を続けていても、身重の妻パットを抱えていたボーナムは飢え死にすると思ったのだ。その後、ボーナムはブルースシンガークリスファー・ローにも腕を買われ、ツアーへの同行を誘われる。そんなボーナムにプラントから再び、何か胡散臭いと感じる誘いを受けることになったのは、ボーナムにとっては、ようやく音楽で生計が立てられる環境が整いつつあった同年8月頃であった。

レッド・ツェッペリン結成

 1968年イギリス中堅ロックバンドヤードバーズは、活動の一時停止をめ、アメリカでの行を強く拒否したキース・レルフ、ジム・マッカーティ側と、バンド活動の継続めたジミー・ペイジクリス・ドレヤ側との間で、バンド内での深刻な意見対立が続いていた。やがてレルフ側はバンドマネージャーピーター・グラントを介して、今後のヤードバースの活動は、ペイジ側に一任するとの書面を取り交わすと、同年7月、レルフとマッカーティーはペイジ、ドレヤの2人を後に残してバンドを脱退し、自分たちの新バンドルネッサンスの結成に動く。だがこの急事態により、ヤードバーズプロモーターと契約済みある約2ヶ後に予定されていた、北欧ツアーの実現が危ぶまれ、違約バンドに重く圧し掛かりかねないという危機に直面する。

バンドは一刻もく不足したメンバーを探すことになるが、その難航の最中、ドレヤは音楽活動を諦め写真に転向するとして脱退した(レッド・ツェッペリン1stアルバムジャケットにあるZEPメンバー集合写真はドレヤが撮した物である)。こうしてバンドの全権限と全責務を一身に負ったペイジは、音楽誌上でメンバーの募集を伝え、その記事を読んだジョン・ポール・ジョーンズの妻モーが、夫ジョーンズに参加を勧めヤードバーズは優秀なベーシストアレンジャーを獲得。その後、以前ヴォーカリストの誘いを断られたテリーリードから、当時ほぼ名であったシンガーロバート・プラント紹介され、ヴォーカリストの獲得にも成功する。続いてプラントは友人のジョン・ボーナムをドラマー推薦し、バンドは辛くも危機を脱しそうであったが、ボーナムのバンドへの参加は非常に難航することになる。

プラントからボーナムのことを「イギリス一ラウドでヘヴィなドラマーだ」と推薦されたペイジは、ティムローズバックくボーナムをロンドンクラブ、マーキーチェックに行った。そのプレイに驚いたペイジは、翌日ジェフ・ベックアメリカに居たピーター・グラントに、ボーナムをメンバーにするべきだと報告した。グラントは倹約で名高いペイジが、わざわざ電話をかけてきたことで、これはよっぽどのことが起こったのだろうと直感する。

だが、プラントからニューヤードバーズへの参加を要請されたボーナムはそれを断り続けていた。理由のひとつはボーナムの妻パットプラントと夫が組むと、いつも決まって夫は一文しで帰って来て、なのに夫は嬉しそうに笑っていると、プラントとボーナムが一緒に仕事をすることに反対であったことと、ボーナム自身もこの先行き不透明な新バンドについて非常に疑心を持っており、ティムローズとの仕事より割が良いものだとは思っていなかったからであった。【ニューヤードバーズ?まるでニューヴォーヴィルバンド(1920年代の装いをした色物コミックバンドピーター・グラントマネージメントしていた)みたいなきじゃないか。きっとキャバレーバンドなのだろう。】と思い込んでいたほどであった。そんなボーナムにグラントとプラントは、合計30通以上にものぼる電報をボーナム宅に送り、なんとかバンドに参加させようとする。最終的にはプラントが【お前はこのバンドに入るんだよ!】と言い聞かせ、列車でボーナムを連れてロンドンまで引っって来くることで、ボーナムの参加がようやく実現する。ボーナムは週給50ポンドの契約であったが、コンサートのあと機材は自分が運転するからと、もう30ポンドを要してきたという。

同年9月バンドロンドンの裏路地の一にあった狭苦しいスタジオで初のリハーサルを行う。最初に演奏した曲は、ヤードバーズナンバートレイン・ケプト・ア・ローリンであった。音を出した途端、4人のメンバーたちはこのバンドに特別な魔法ケミストリーが働いていることを知る。そしてツアーに出たバンドはたちまち週給50ポンドどころではない稼ぎを得ることになる。70年代を席捲する飛行船とジョン・ボーナムの伝説の始まりである。

 その死

 1980年7月ヨーロッパツアーの後、バンドは77年の悲劇以来、二度とアメリカには行かないと宣言していたプラントの説得に成功し、同年10月17日モントリオール演を皮切りに、『Led Zeppelin 80s Part1』と題された第12回になる全ツアーを開始する予定であった。同年9月21日には米国での驚異的なチケットセールスが報告され、バンド80年代に入ってもなお世界最大のロックバンドであり続けるかにみえた。

だが同年9月24日プラントと同じくアメリカに戻ることに戸惑いを感じるボーナムは、ツアーリハーサルが行われるその日の食時から、地元のパブでウォッカをあおり始め、ウィンザーのペイジの屋敷に到着してからも飲み続けていた。リハーサル後のパーティーでも飲み続け、12時間で合計ウォッカ40杯分以上を飲み干したといわれている。しまいにボーナムは泥酔して眠りこけローディーの一人がボーナムを寝室に運んでベッドに寝かせた。

9月25日午後1時45分頃、何時までも起きて来ないボーナムの様子を見に、ジョン・ポール・ジョーンズツアーマネージャーサウンドテクであったベンジー・ルフェーヴルの二人がボーナムの寝室に出向いた。ジョーンズうつ伏せで寝ているボーナムを揺り起こそうとして異変に気付く。ボーナムはミュージシャンとして、お互いが敬愛していた関係にあったジミ・ヘンドリックスと同じく、眠っている間に嘔吐物を詰まらせ窒息死していたのだ。

その後ジョーンズはそんなことは何も知らず居間で談笑していたペイジとプラントにボーナムの死を伝えねばならなかった。

午後7時にはマスコミはボーナムの死をかぎつけあらゆるメディアトップニュースとして扱われるが、低俗なタブロイド誌などはボーナムは麻薬の過剰摂取により死んだと書き立てる。ほどなくして世界中から哀悼の意が届けられるが、その多くがボーナムを格化していたドラマーたちからであった。

同年10月8日検死の結果、事故死であるという裁定が下される。同10日ウェスターシャー州のボーナムの農場に程近いラシュコック教区の教会でボーナムの葬儀が執り行われる。

同年12月4日、以下の解散表明文が発表され人々はボンゾの死と共にバンド終焉を迎えたことを知る。

【ここで々の意志を表明したいと思う。々の最友人を失ったこと、彼の家族に対しての深い敬意、そして々自身とマネージャーが感じていた深い一体感を鑑みて、このまま活動を続けていくことは出来ないという結論に達した。】

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