セウォル号(世越号、세월호)は、2014年4月16日に横転沈没した韓国の大型旅客船。韓国南西部で沈没した際には、修学旅行生を含む476人が乗船しており、完全沈没まで50時間以上もあったにもかかわらず、避難誘導や救助活動の問題点により、293人もの犠牲者を出した。
1994年、林兼造船長崎造船所にて建造(フェリーなみのうえ)。2012年に引退後、韓国の清海鎮海運に売却。その後過積載を目的とする数々の魔改造によって船の復原性が大幅に低下。韓国船級協会の検査もなぜかすり抜け、運命の2014年4月16日を迎える[1]。
事故発生の16日即日、日本政府は海上保安庁より韓国の海洋警察庁に救助活動の支援を打診した。しかし夕方まで待っても返答を得られず[2]、結局韓国側から辞退の返答があった[3]。同日、米国も哀悼と支援を申し出た。
翌17日には安倍首相自らお悔やみとお見舞いの意を表し[4]、中国も哀悼と支援を申し出、メキシコ、中南米諸国、国連(潘基文事務総長)も哀悼の意を表明した。4月17日付聯合ニュースの報道では、日本を除いた各国の哀悼と支援が報じられ[5]、読者のコメント欄には、各国が支援を申し出ているのに日本だけ何も言ってこないとする不満が連ねられた[6]。
翌18日にはこの状況が不明者家族に漏れ、韓国海洋警察幹部が「日本の捜索支援の申し出を断ったと聞いたが本当か」と質問され、家族が待機する体育館内が騒然となった。幹部は初耳であると応対し、確認して回答すると答えていた[7]。同日夜、安倍首相は「子どもたちを早く助ける意味でも支援を受けてくれたらうれしいのに」とこぼした[8]。翌19日、日本政府の支援申し出には領海侵入と集団的自衛権に関する政治的下心が垣間見え、韓国政府は迷惑していると報じられた[9]。
罹災者の生存がほぼ絶望的となった22日になって、韓国政府が米中に支援を要請し、日本には当該船舶(なみのうえ)設計・建造関係者の現場への出張を求めたと報じられた[10]。なお同日、100名以上の韓国与野党議員からなる「正しい歴史教育のための議員会」が、日本はセウォル号沈没事件に無関心な恥知らずの極みであるとする声明を発表している[11]。
救助活動只中の4月18日、そもそも日帝残滓の修学旅行が悪いとして署名運動が展開され[12]、21日には修学旅行が全面的に禁止された[13]。
事故から3ヶ月を経た2014年7月16日になっても、いまだ船体は引き上げられていない。ハフィントン・ポストはその理由を考察する記事において、行方不明者がゼロにならない限り船体引揚を認めない不明者家族の談を紹介している[14]。真珠湾のアリゾナ記念館を参考に慰霊施設を造ろうという中央日報の記事によれば、引き上げには早くても1年かかる見込みだという[15]。
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最終更新:2025/12/10(水) 00:00
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