ディエゴ・フォルラン(Diego Forlan Corazo, 1979年5月19日 - )とは、ウルグアイのサッカー選手である。日本・Jリーグのセレッソ大阪所属。ポジションはFW。
地元ウルグアイのベニャロールやダヌービオのユースを経て、1998年にアルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン(1部)のインデペンディエンテのユースへ入団。トップチームの試合にも出場しプロデビューを果たす。入団1年目の1998-1999シーズンこそ出番は少なかったものの、翌シーズンから徐々に出場機会を増やし、2000-2001シーズンには36試合に出場し18得点を挙げた。
2002年にイングランド・プレミアリーグのマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。得点を量産することを期待されたが、ヨーロッパ初挑戦ということもありプレミアリーグのサッカーに適応しきれずに苦しんだ。2年半で17得点を挙げたが期待を大きく下回る結果となってしまった。
2004年にスペイン・リーガ・エスパニョーラのビジャレアルへ移籍。ウルグアイとスペインは同じスペイン語が公用語ということもありすんなり適応し、移籍1年目の2004-2005シーズンから25得点を挙げ得点王に輝いた。ちなみにこのシーズンにはヨーロッパ・ゴールデンシューも受賞している。
2007年にスペイン・リーガ・エスパニョーラのアトレティコ・マドリードへ移籍。セルヒオ・アグエロとコンビを組み、フェルナンド・トーレスが移籍した穴を見事に埋め、2008-2009シーズンには32得点を記録し得点王となった。
2011年にイタリア・セリエAのインテルへ移籍。インテルは今夏にエースのサミュエル・エトーを放出していたためクラブ浮沈の鍵を握っていたが、負傷なども影響もあり、思ったような活躍ができなかった。
2012年にブラジル・カンピオナート・ブラジレイロのインテルナシオナウへ移籍。ここでは1シーズン過ごし、34試合に出場し10得点を記録した。
祖父は代表監督、父は代表選手と、サッカー一家で育った。5ヶ国語を操り、学力も優秀であった。サッカー選手を始めるきっかけとなったのは交通事故にあった姉の治療費を稼ぐためでった。
2002年にウルグアイ代表デビュー。以降チームの顔として長きに渡り活躍し、特に2010 FIFAワールドカップではガーナ戦のFKやドイツ戦のボレーシュートを含む5得点を挙げる活躍を見せ、ウルグアイのベスト4進出に大きく貢献し、大会MVPを受賞した。
2011年のコパアメリカでも決勝パラグアイ戦で2得点を挙げるなど中心選手として活躍。ウルグアイの南米制覇に貢献した。
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最終更新:2024/04/23(火) 16:00
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