マイク・シュルツ(Mike Schultz)とは、アメリカ合衆国出身のプロ野球選手(投手)である。
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2000年にドラフト2位でアリゾナ・ダイヤモンドバックスに入団。
入団当初から故障に悩まされ、一時期は医者から「もう野球はできない」と告げられる状態であったが、2003年にはメジャーの試合に登板出来るようになるまで回復する。
しかし結局1試合しか登板することは出来ず、2007年オフに広島東洋カープに入団する。
前述した通り故障歴があることから再発が懸念されていたが、2008年のキャンプにて右肩痛を発症、不安が現実のものとなってしまう。そして当然開幕も出遅れ、シーズン序盤を棒に振ってしまった。この期間、同時に入団したコルビー・ルイスやベン・コズロースキーが結果を出す中、ただ一人活躍できていないシュルツに非難の声を浴びせる者もいた。
しかし、交流戦に入って中継ぎ投手の調子下がり、シュルツに一軍昇格の機会が巡ってくる。
そして5月21日の対福岡ソフトバンクホークス戦で初登板を果たすと、横山竜士と共に永川勝浩に繋ぐ勝利の方程式として定着し、遅れを取り戻すかのように活躍。最終的に55試合の登板を果たした。
2009年シーズンは課題だったクイックの改善や新球種の習得などの効果により投球はより一層安定感を増し、5月には22試合連続無失点を記録するなど年間を通じてリリーフの柱として活躍し、セ・リーグ2位となる73試合に登板、そしてセ・リーグ一位の35ホールドを記録。大車輪の活躍を見せた。シーズン後2年契約を結んだが、推定年俸75万ドル(50%増)とかなり安い契約となった(おそらく出来高が多いと思われる)。
2010年は永川に変わり抑えを任されたが、5月に腰痛の検査のため帰国すると腰椎椎間板ヘルニアと診断され、6月に手術を受け以後登板することなくシーズンを終えた。
2011年は6月までセットアッパーとして好投していたが、肩を痛め戦線離脱し、そのままシーズンを終え、オフに退団。
2012年、ワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだが、7月に放出される。
2013年、オリックス・バファローズの春季キャンプにテスト生として参加し、合格して入団。背番号42。しかし一軍では1試合に投げただけで、シーズン中の7月29日にスティーブ・ハモンドとともに戦力外通告を受ける。
2メートルを超す身長から繰り出される角度のある最速156kmのストレートが最大の持ち味。さらにこの球は他の多くの外国人同様動くため(ムービングファストボール)、捉えるのはかなり難しい。
広島入団の際「ランナーがいたほうがアドレナリンがみなぎる」と闘争心をアピールするコメントを出しているが、アドレナリンがみなぎり過ぎて投球が荒くなる場面もときたま見受けられる。
栗原健太とは家族ぐるみの付き合いがあり、球団から退団のアナウンスがあるより前に栗原の嫁がブログでシュルツの帰国をバラしてしまうという出来事もあった。
(2012年終了時点)
通算:5年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
MLB(1年) | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | .--- | 1.0 | 0 | 1 | 0.00 |
NPB(4年) | 158 | 0 | 0 | 8 | 8 | 8 | 63 | .500 | 155.1 | 1 | 130 | 2.25 |
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最終更新:2024/04/23(火) 18:00
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