「歴史とは、後に好きに語られるもの――
ですが今この瞬間だけは……私の人生ですから」
メジロアルダン(ウマ娘) (Mejiro Ardan)とは、アプリゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』、漫画『ウマ娘 シンデレラグレイ』に登場するウマ娘である。
誕生日:3月28日 身長:162cm 体重:秘密♪
スリーサイズ:B87・W56・H85儚く、優しく、思慮深く、そして高貴な深窓の令嬢。
『ガラスのように繊細な脚』といわれるレースに不利な体で生まれるが、それを悲観することはない。
幼いころから体が弱く、遊びなれていないので、放課後のお喋りなどが大変新鮮らしい。
アプリ配信直前の2021年2月10日に、シンデレラグレイ実名組と共に実装が発表された。アプリ未登場だが公式サイトでは紹介されている。
水色の髪色、編み込んだ髪、後ろは長髪。右耳に赤いフリルのついた筒。勝負服は黒を基調としたフリルの多いドレス。
なお、髪色の近いマックイーン(芦毛)などと違って実際には黒鹿毛であり、髪色が元ネタに準じていないウマ娘に分類される。
メジロ家のウマ娘であるが、今のところシンデレラグレイにしか登場していない都合もあり、マックイーンをはじめとした関係者との関わりは描かれていない。
第17Rにて登場。二つ名は「名門メジロ家令嬢」。オグリキャップが転入してきた時点で未出走。ダービー時点で3戦2勝(主な戦績:GⅡ NHK杯2着)となっている。
メジロのウマ娘だけあって、お嬢様として扱われ、それに違わぬ雰囲気と言動。第26Rにおいて、ダービーの紹介でも「名門メジロ家の誇りと意地を見せつけろ!!」と紹介されている。そのダービーでは先頭を走っていたサクラチヨノオーにヤエノムテキと共に並びかけるが、サクラチヨノオーの気合の前に差し返されてしまう。
その後は、足の怪我に焦りつつも同組の友人たちとレースを見ながら感想を述べている。
作者のTwitterではなぜかゴルシちゃん号と思わしき機械を乗り回している画像が投稿されている。漫画だとスーパークリークと区別がつきづらいが、耳飾りと編み込みに白髪が混じっていないかどうかで区別が可能。
現時点では育成、サポート共に未実装。
今後のCV追加とオグリら同世代やマックイーン、ドーベルなどメジロ家のウマ娘との絡みが気になるところ。
平成三強に食い込める実力と、あまりにも脆い弱い脚を持ち合わせた、不運ながらも逞しく平成初期の競馬界を走り抜いた牡馬。
1985年3月28日誕生。父アスワン、母メジロヒリュウ、母父ネヴァービート。初代三冠牝馬メジロラモーヌの半弟。父はノーザンテースト産駒。なお、胎内では双子だったが、片割れは死産となっている。
1988年3月27日にデビューし、ダービートライアルだったNHK杯(GⅡ)で2着に入りダービーの優先出走権を確保。デビュー2ヶ月でダービーはかなり記録的。本番のダービーでは、好位から先頭を走っていたサクラチヨノオーを抜くが、サクラチヨノオー気合の激走によってにまさかの差し返しをされて2着。もし勝っていれば、メジロ初のダービー馬だったのだが。更に、悪いことに骨折で長期休養に入る。
休養明けにはオープン戦に余裕勝ち。GⅡ高松宮杯でもバンブーメモリーを抑えてのレコード勝利。1989年天皇賞(秋)ではスーパークリークとオグリキャップに次ぐ3着、1990年天皇賞(秋)ではヤエノムテキにアタマ差2着だったのは流石の実力だろうか。だが、その後は屈腱炎もあり、1991年ジャパンカップで引退。結果として「双子の競争馬は大成しない」を示してしまったが、もし、脚が強ければ……ややもすると「平成四強」となっていたかもしれない、そんな馬であった。
種牡馬としても活動したが、産駒はオープン戦どまり。ならばと心機一転と2001年に北京に移住。ところが2002年に心臓麻痺によって急逝。中国でも2世代しか産駒を残せなかった。彼を繋養していた北海牧場はその後倒産。故郷のメジロ牧場も解散し、彼に縁のあるものは全て消えゆく…かに思えた。
ところが、中国での2世代の産駒の中から、Wu di (无敌、日本語だと無敵の意)が登場し、圧倒的成績を残した。なんでも1400m、2600m、5000m、8000mのレースで勝利したとか。ほんまかいな
今は種牡馬としてノーザンテーストから続くメジロアルダンの血統を中国本土で伝えている。中国競馬は2020年に本格始動した新興市場。未開の地を切り開く血筋として今後にも注目だ。
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最終更新:2025/12/07(日) 13:00
最終更新:2025/12/07(日) 13:00
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