86年、桜花賞。
その美しき黒い流線形。嫉妬すら追いつかない。憧れすら届かない。
その馬が史上初の三冠牝馬になることを、まだ誰も知らなかった。
”魔性の青鹿毛” その馬の名は…
―2012年桜花賞CMより
メジロラモーヌとは、元競走馬・繁殖牝馬である。
史上初の牝馬三冠を、トライアル三冠と共に決めた名牝。
父はメジロの総帥とシンボリの総帥が共同で購入し、種牡馬入りさせたリファール産駒モガミ、母メジロヒリュウ、母の父はネヴァービートという血統で、
半弟にはオグリらと同世代でしのぎを削った詰め甘おぼっちゃまメジロアルダンがいる。
(以下、特に断りがない場合馬齢表記は旧馬齢表記とする。)
幼名は俊飛。幼い頃は血統評論家に血を汚すとまで言われたくらい気性難が多いモガミ産駒らしからぬおとなしい馬で、脚にも欠陥があるなど期待を持たれておらず
受け入れ厩舎がなかなか決まらなかったが、後にメジロライアンらを預かる奥平真治厩舎に、メジロの馬として始めて入厩することになった。
デビューに向けてメジロ牧場で調教を積み始めると、脚の欠陥も治り、馬体のバランスも素晴らしいものへ変わっていった。
デビューしたのは秋の府中開催。ダート変更となったレースだったがすでに調教でもスゴい動きを見せており、その動きの評判に違わぬ圧勝を見せる。
なんせ3.1秒差である。約20馬身ちぎったと書くと凄さが分かるであろう。
そのせいか次走の京成杯三歳ステークスでは牡馬を差し置いて一番人気に推されるがスタート直後に接触してかかりっぱなしになってしまい5頭中4着に敗れてしまう。
次の条件戦を快勝し、当時牝馬の三歳GⅠがなかったため関東の牝馬の最大目標であったGⅢテレビ東京杯三歳牝馬ステークスへ。
ここを当時の牝馬としては破格の1:34:9で駆け抜け重賞初制覇を飾る。前走から乗り変わっていた柏崎騎手も重賞初勝利となった。
この勝利が決め手となり、最優秀三歳牝馬を獲得した。
年明け初戦はクイーンカップから始動するが、激しくイレ込むモガミ産駒らしい部分を発揮し失速。4着に敗れる。
騎手は「イレ込みなんて関係無い、スゴい手応えだったのに…」と言っていたが、馬主の北野ミヤ氏は当日の様子を見て「こりゃ負けるわねぇ」と思っていたとか。
次走は西下し四歳牝馬特別(西)へ。ここで騎手が牝馬巧者の河内にスイッチ。レースは垂れた先行馬のせいで一時最後方に下がってしまうが
目の覚める末脚で差し切り勝利。迎えた本番桜花賞では無難に前につけ、4角前で一気に進出し押し切り勝ち。見事なGⅠ初制覇となった。
この勝利のあたりから、かつての最強牝馬テスコガビーとの比較すらされるようになっていたという。強さ的にどうなのかはともかく、
見た目は黒光りする青毛(テスコガビー)と青鹿毛(メジロラモーヌ)で眉目秀麗、レースでは卓越した先行力で押し切るという共通点はあった。
次走はオークス直行かと思われたが、東京で二敗していることを懸念され、オークストライアルの四歳牝馬特別(東)へ向かう。
ここには3歳の頃から対決が期待されていたノーザンテースト産駒の快速・ダイナアクトレスとの初対決になったが
これを軽く退け勝利。
オークスでも出遅れながら後方から早めに先頭に立つとそのまま押し切る強い競馬を見せ圧巻の二冠達成。
鞍上の河内は「ガビーより強いんじゃないかな」と言い、シンボリルドルフの調教師である野平祐二は「オークス史上稀に見る強い勝ち方」と絶賛した。
ビクトリアカップ創設以来、あやふやにだが存在していた牝馬路線の三冠、その最初の達成が見えてきていた。
秋は地元中山のクイーンステークスからの予定だったが挫石で上手く調整が出来ず、西下しローズステークスから。
ここでもなんとか勝利するが、辛勝だったため三冠へ黄信号!?とも言われた。
そして迎えた最終戦エリザベス女王杯。調教師が後の回想で「いいとこ70%の仕上げ」という、GⅠに向かうには心もとない体調であった。
しかしながらレースでは残り800mで仕掛け先頭に立つ。が、最後は脚が止まり万事休すかと思われたが、なんとか後続を振り切り三冠達成。偉大な記録を史上初めて達成した。
三冠戦のトライアルレースも全て制覇し、一部では完全三冠とも言われた。
この勝利で重賞6連勝でハイセイコーの記録を抜き、更に当時の牝馬の獲得賞金記録も更新。記録づくめの勝利になった。
続く有馬記念でも当年のダービー馬や天皇賞馬を差し置いて2番人気に推され、体調も絶好調であったが勝負どころで一頭行けるかどうかのスペースに彼女を含めた三頭が突っ込み
失速してしまい、立て直しに手間取り9着に敗れる。まだやれるという声もあったが、「華のある内に引退させます」という馬主の意向もあり引退、繁殖入りとなった。
しかし獲得したJRA賞は最優秀四歳牝馬のみにとどまり、年度代表馬の受賞には至らなかった。通算成績12戦9勝。
繁殖牝馬としては、デビュー前の欠陥や体質的にあまり強くないところがよく遺伝してしまったことや
母の父モガミが押し並べて失敗だったこともあり、強い子は残せなかった。
2005年、永眠。娘の十冠ベイビー・メジロリベーラの孫、ひ孫にあたるフィールドルージュのGⅠ獲得を見ることは出来なかった。
黒光りする美しい青鹿毛の馬体、祖父のリファールに似た愛らしい顔立ちと強さを両立させた、史上稀に見る牝馬であった。
モガミ産駒はブサイクな馬体に出ることも多かったが彼女はスタイル抜群であり、競馬の神様こと大川慶次郎も「モガミからこの馬が生まれたのは信じがたい」とコメントしている。
強さの面では、有馬記念の惨敗故か、クラシックにろくすっぽ出られず、ラモーヌには全敗であったが
後に牡馬一線級と激戦を繰り広げたダイナアクトレスより低く見る向きすらある。が、有馬記念では致命的不利を受けており、評価対象外という意見も根強い。
騎手の河内も後のNumberの1999年の企画では騎乗した最強馬にサッカーボーイやニホンピロウイナーを差し置きこの馬を挙げており
「4歳で引退したからわからないところもあるけど、続けていれば牡馬とやって強さを証明したかった」と述懐している。
調教師の奥平もメジロライアンよりこの馬を評価していたり、ポテンシャルは相当あったと感じさせる馬だったのだろう。
もっとも実際に牡馬と走ったのがたった一回の不完全燃焼だけでは、推し量りようもないのだが…
まあとにかく、知らないなら一回動画を見て欲しい。こんなに綺麗で強い馬滅多にいないから。そりゃ桜花賞のCMに採用されるなと納得していただけるはずである。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/09(火) 22:00
最終更新:2025/12/09(火) 22:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。