ラコニア号事件とは、第二次世界大戦中の1942年9月12日に発生した事件である。連合軍の国際法違反であったが、当事者たちは全く裁かれなかった。
ドイツ海軍が放ったUボートは、大西洋に浮かぶアゾレス諸島沖を新たな狩り場としていた。ここはイギリス軍の牙城・ジブラルタルの哨戒圏外であり、Uボートは悠々と敵商船を沈め続けていた。
1942年9月12日22時、ハルテンシュタイン少佐率いるU-156は西アフリカ沿岸を航行していた英大型商船ラコニアを発見。同船は武装していたため、無警告で撃沈した。この船には船員の他にイギリス軍人268名とその家族が休暇で乗船。さらに1793名のイタリア人捕虜が乗せられていた。沈没の際、イタリア人捕虜は船倉に閉じ込められたままで、舷窓を破ってどうにか脱出。しかし少ない救命ボートを巡ってイギリス人とイタリア人捕虜との間で諍いが起き、数名の捕虜が刺殺されている。U-156が浮上してみると、そこには海面を漂う2000名以上の生存者がいた。またイタリア人が流した血によってサメが集まり、何人かが喰われている。たまらずU-156側は赤十字を掲げ、救助活動を開始。ボートからイタリア語が聞こえたため、同盟国のイタリア人を優先して救助した。やがて片っ端から漂流者を引き上げる事になり、イタリア人以外にも100名のイギリス人が助けられた。翌13日午前1時25分、U-156はカール・デーニッツ提督へ電報を打っている。
この事を知ったデーニッツ提督はU-506、U-507、U-459に救助を命じて応援に向かわせた。同時にヴィシーフランスとイタリアにも連絡を取り、イタリア海軍の潜水艦コマンダンテ・カッペリーニが現場へと急行した。U-156の艦内にはぎっしりと生存者が詰め込まれ、その中には婦女子や子供の姿もあった。それでも入りきらなかった者は救命ボートに乗せた上で曳航。報告を受けたヴィシーフランスの艦艇がダカールより出発、U-156は合流ポイントへと向かった。この時、ハルテンシュタイン少佐は「ラコニアの船員と乗客を救助しに来る船舶に対しては、危害を加えない限り攻撃しない」という電報を1時間おきに打って連合軍の船舶に呼びかけた。しかしどの船舶も現れる事は無かった。
ヴィシーフランスの艦艇と合流する前に、招かれざる襲撃者が現れた。9月16日午前11時25分、たまたま海域を哨戒していたアメリカ陸軍のB-24が、U-156へ攻撃してきたのである。ハルテンシュタイン少佐は艦を守るため、艦内の生存者を救命ボートへと移乗させた。そして即席で作った赤十字旗を6名の水兵で掲げたのである。これを見たB-24は一度去っていったが…。
再びB-24が戻ってきて、徐々に高度を下げながらU-156を威圧。このままではまた攻撃されかねない。そこで、救助されていたイギリス軍の士官が「連合軍の暗号を使ってB-24に呼びかけよう」と提案。ハルテンシュタイン少佐はすぐに決断し、士官に無線機を貸し与えた。まもなく連合軍の暗号で「U-156にはイギリス軍人、子供、女性、民間人が乗っている」「近くに連合軍の船舶はいるか?」と打電した。
しかし、これに対する回答は爆弾2発の投下であった。幸いU-156や救命ボートには命中しなかったが、こうなっては人命救助どころではない。ハルテンシュタイン少佐は潜航のため救命ボートを繋ぐ舫綱の切断を命じた。そこへ二度目の投弾があり、救命ボートに直撃。乗っていたイタリア人とイギリス人が犠牲となってしまう。投弾は続き、今度はU-156の司令塔付近に着弾。完全に沈める気である。生き残っていたイギリス人及びイタリア人に救命具を付けさせ、断腸の思いで海上へ置き去りにしていった。ただ幸運な事に、彼らは後からやってきた別のUボートやヴィシーフランスの艦艇に助けられた。午後、婦女子を含む142名を救助したU-506であったが、この艦も飛行艇の攻撃を受けている。幸い撃沈には至らなかった。
人道的救助をしていたUボートに対して攻撃を加えた連合軍の所業は鬼畜の一語に尽きた。当然デーニッツ提督は激怒し、9月16日深夜に「撃沈した船舶の乗員を救助したり、食糧や真水を供給するのは禁止する」というラコニア命令を発した。当時は大西洋の片隅で起きた小さな事件だったため、認知度は低かった。
世間一般にも知られるようになったのは、戦後のニュルンベルク裁判の事だった。検事がデーニッツ元提督の悪逆を示すためにラコニア号事件を提示したのである。弁護人のクランツビューラーはB-24の違法性を主張して無罪を訴えたが、もともと不公平満載の裁判なのでデーニッツ元提督は白眼視された。が、クランツビューラーはアメリカ海軍のチェスター・ニミッツ提督に「対日戦において、作戦に支障が出たり自軍の艦が危険に曝されそうな時は無警告で撃沈し、救助活動をしなかった」という(責任を追及したい連合軍にとって)致命的な証言をさせてしまった。つまりドイツもアメリカも同じ事をしていた訳である。ドイツを追及すればするほど自国の品位が傷つくので、アメリカ代表はデーニッツ元提督の減刑に応じたという。
急上昇ワード改
最終更新:2025/12/10(水) 01:00
最終更新:2025/12/10(水) 01:00
ウォッチリストに追加しました!
すでにウォッチリストに
入っています。
追加に失敗しました。
ほめた!
ほめるを取消しました。
ほめるに失敗しました。
ほめるの取消しに失敗しました。