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三冠(さんかん)とは、あるジャンルの主要3部門(3賞)で、一人が(同時に)トップに立つこと。
(同様に、二冠・四冠・五冠・六冠・七冠など、○冠という形もあるのでこの記事で説明する。)
賞レースそのものを○冠と呼ぶわけではなく、
あくまで複数部門の覇者が現れたときだけ、「二冠達成」「二冠王」、「三冠達成」「三冠王」、・・・という言い方をする。
Triple Crownの略語として初めに競馬で使われ、
1958年頃から野球でも「三冠王」の表現で使われるようになった。
日本では、その年の中央競馬で「クラシック三冠」の対象レース(皐月賞、東京優駿、菊花賞;いずれも3歳馬限定レース)を全部勝つと「三冠馬」の称号を与えられる。
これまでに、セントライト(1941)、シンザン(1964)、ミスターシービー(1983)、シンボリルドルフ(1984)、ナリタブライアン(1994)、ディープインパクト(2005)、オルフェーヴル(2011)が達成した。
また、牝馬にも牝馬の三冠がある。
さらに詳しいことは、「三冠馬」の記事を参照。
今では日本人なら大抵聞いたことがある「打撃三冠王」という表現であるが、考え出したのは戦後のメディアだった。
西鉄ライオンズに、中西太という往年の大打者(後年の名コーチとしての姿を知っている方も多いだろう)がいた。
彼は全盛期、パ・リーグにおいて
|
1953 1955 1958 |
打率2位(.004差) 打率1位 打率1位 |
本塁打1位 本塁打1位 本塁打1位 |
打点1位 打点2位(1点差) 打点2位(1点差) |
という世にも美しい記録を連発していった(なお、54年本塁打王・57年打点王も獲得)。
それまで、大リーグでは古くから浸透していたTriple Crownという概念は日本で注目されていなかった(1938年秋期には中島治康が達成していたにも関わらず)のだが、
こうした記録が続いたため、「中西 今年も1点差 惜しくも三重勝ならず」的な報道の注目が集まった。
「三重勝」「トリプル冠」などと書く社もあったが、結局「三冠王」という表現が定着した。
そして、1965年に野村克也が実際に三冠王を取り、1973年・1974年に王貞治が取ったことにより、○冠王という言葉が日本で完全に定着した。
1リーグ時代1938(秋) 中島治康(巨人) |
パ・リーグ1965 野村克也(南海) |
セ・リーグ1973 王貞治(巨人)★ |
★は「出塁率」「長打率」1位(OPS完全1位)を加えた五冠達成者。
なお、セパ両リーグの3部門トップの数字を合わせても3冠王である「仮想1リーグ制3冠」は以下の3人のみ;
38(秋)中島 73王 84ブーマー。
ちなみに五冠といえば、95年イチロー(オリックス)が「打率」「打点」「出塁率」「安打数」「盗塁数」の変則五冠。
本塁打もあと3本出ていれば三冠王と盗塁王を同時に達成という、信じられないような事態が起きるところであった。
「投手三冠」「投手四冠」という言い方がされることは多いが、打撃ほどはっきり相場が定着していない。
2012年現在では、
セ・リーグで「防御率」「勝数」「奪三振数」の3部門、
パ・リーグでは「最優秀投手(13勝以上の投手のうち最高勝率)」を加えた4部門、
を公式タイトルとして表彰しているため、これらについて三冠・四冠と呼ぶのが公平であろう。
なお「防御率」「勝数」「奪三振数」「勝率」「完投数」「完封数」「投球回数」の先発指標リーグ七冠を達成した投手;
38(秋)ヴィクトル・スタルヒン 43藤本英雄 06斉藤和巳。
囲碁・将棋には、各新聞社などが主催する七大タイトル戦が毎年度ある。
(順位選を勝ち抜くなどして決まった挑戦者が、各タイトルの保持者と対局をおこなう。)
七冠独占は、将棋で1996年前半に羽生善治が保持していたのが唯一無二のことである(タイトル戦の数が少なかった時代は、升田幸三が「三冠独占」、大山康晴が「五冠独占」をそれぞれ達成している)。
なお、羽生は竜王以外6タイトルは全て永世称号(各タイトルの通算or連続獲得期数が規定に達すると得られる称号)を持っている。竜王についてもあと一度勝ち取れば永世竜王となり、前人未到の「永世七冠」となる。
囲碁では、井山裕太が2013年3月に棋聖を獲得し六冠を達成(同年4月に十段を失冠したため五冠に後退、10月に名人位を奪取し六冠に復帰、継続中)したのが最高記録である。
なお、囲碁では棋聖・名人・本因坊は特に格が高く、独占者は「大三冠」と呼ぶ。これまでの達成者は趙治勲、井山裕太の二名。
囲碁では「七冠すべてを経験」(同時獲得でなくてよい)のことをグランドスラムと呼び、趙治勲・張栩・井山裕太の3人が達成している。なお将棋での「七冠すべてを経験」は中原誠・谷川浩司・羽生善治が達成している。
国内のサッカーの大会を開催するのによくある形式として、「リーグ戦」「オープンカップ(国内全チームを対象とした少試合数での大会)」「リーグカップ(上位リーグのチームだけによる少試合数での大会)」と分けるというものがある。それらを同年度にすべて制覇すると三冠という。「トレブル」とも。
日本男子の場合、上記の三大会は「Jリーグ(J1)」「天皇杯」「ナビスコ杯(Jリーグカップ)」であり、Jリーグ創設以降では2000年度の鹿島アントラーズ、2014年度のガンバ大阪が三冠を達成している。前身の日本サッカーリーグ時代の三冠は1978年度の三菱重工(現・浦和レッドダイヤモンズ)、1989年度・1990年度の日産自動車(現・横浜F・マリノス)の合計3回。
日本女子の場合、上記の三大会は「日本女子サッカーリーグ(なでしこリーグ)」「皇后杯」「なでしこリーグカップ」であり、2007年度に日テレ・ベレーザが、2013年度にINAC神戸レオネッサが三冠を達成している。
主に1989年4月に全日本プロレスで創設された「三冠ヘビー級王座」のことを指す。
かねてから存在していたインターナショナル・ヘビー級王座、UNヘビー級王座の2つと、1973年に創設されていた同団体のPWFヘビー級王座を統一したもので、初代王者はジャンボ鶴田(対戦相手はスタン・ハンセン)。
統一王座だがベルトは1本ではなく3本で、現在も変わっていない。
以後、全日本プロレスの象徴となるタイトルとなるが、三沢光晴らが大量離脱してプロレスリング・ノアを旗揚げして以降は、新日本プロレスをはじめとして他団体(ノア含む)の選手もベルトを巻くようになっている。
なお、現在の王者は船木誠勝(全日本プロレス所属)。
日本の純文学の世界では、芥川賞、野間文芸新人賞、三島由紀夫賞の三賞を「三冠」と呼ぶことがある。いずれも純文学の若手作家に与えられる賞。達成者は笙野頼子、鹿島田真希の2名。笙野頼子は2007年にその三賞受賞作をまとめた作品集『笙野頼子三冠小説集』を出版している。
大衆小説では対応する賞にそれぞれ直木賞、吉川英治文学新人賞、山本周五郎賞の三賞があるが、こちらは特に三冠とは呼ばれていない。なおこの三賞を制覇しているのは宮部みゆき、船戸与一の2名。
また、文学賞がたくさんある日本では、ひとつの作品が複数の文学賞を同時に受賞することを「○冠」と表現することは多い。たとえば垣根涼介『ワイルド・ソウル』は大藪春彦賞・吉川英治文学新人賞・日本推理作家協会賞を、村山由佳『ダブル・ファンタジー』は中央公論文芸賞・島清恋愛文学賞・柴田錬三郎賞を同時に受賞し、それぞれ「三冠」と呼ばれた。誰も知らないようなマニアックな賞もカウントされることがあり、冲方丁『天地明察』は本屋大賞・吉川英治文学新人賞の他、北東文芸賞・舟橋聖一文学賞・大学読書人大賞で「五冠」と称されている。
日本のミステリー小説においては、「このミステリーがすごい!」「週刊文春ミステリーベスト10」「本格ミステリ・ベスト10」の3つのランキング全てで1位を獲ることを「三冠」と呼ぶ場合がある。達成したのは今のところ東野圭吾『容疑者Xの献身』のみ(3つのうち1つだけ2位だった作品には歌野晶午『葉桜の季節に君を想うということ』と法月綸太郎『生首に聞いてみろ』がある)。
海外SFでは、SFファンの読者投票であるヒューゴー賞、選考委員の選ぶネビュラ賞、SF雑誌「ローカス」の選ぶランキング1位を表彰するローカス賞の三賞を受賞することを「トリプル・クラウン」と呼ぶ。が、ヒューゴー賞とネビュラ賞に比べてローカス賞の地位が若干低いため、ヒューゴー賞・ネビュラ賞の「ダブル・クラウン」の方が一般的に権威のあるものとして知られており、ローカス賞はおまけみたいな扱いである。
アカデミー賞、ラジー賞などの映画賞では、ひとつの賞につき「作品賞」「監督賞」「脚本賞」「主演男優賞」「主演女優賞」「助演男優賞」「助演女優賞」etc...と多数の部門に分かれており、ひとつの作品が同じ賞で複数の部門を受賞することを「○冠」と表現することがある。
何しろ部門が多いため、二冠三冠どころか、五冠七冠、はては10冠ぐらいまで積み上がることもある(たとえば2012年の日本アカデミー賞では『八日目の蝉』が10冠を達成している)。
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最終更新:2025/12/10(水) 08:00
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